あなたにとって、一番されたくない嫌なことって何? - color to color
すがらACC
序話 うつつには
「あなたにとって、一番されたくない嫌なことって何?」
彼女の話はいつも唐突だった。
虚を突かれたこちらの顔を見るのが楽しいのか、よく困らせてくる。これも、その一環だろう。
「嫌なこと? そうだな……特には思いつかないな。そりゃ常識から逸脱したことはされたくないけどさ、一番って言われると選べないよ」
なんとも要領を得ない答えに、彼女はくすくすと笑った。
「ふふ、あなたって幸せなのね」
⏩ ⏩
「先輩、起きてください」
霞がかった意識が、急速に晴れていく。
窓から差し込む夏の朝日が疎ましくて、俺は目を開けた。
「確か今日は一限がありましたよね? そんな調子では遅刻してしまいますよ」
視界の片隅に、こちらを覗き込んでくる少女の姿を捉える。
挿絵(https://kakuyomu.jp/users/allnight_ACC/news/16816927859242142501)
かなり小柄であどけなく、精々中学生程度にしか見えないが年の頃は十七歳で高校三年生。艶やかな黒髪を真っ直ぐ切り揃えており、ショートカットにしている。左のこめかみの辺りに、白い花の髪留めをつけている。既に制服に着替えており、その上に水色のたすき掛けエプロンを着ていた。少しブランケットを持ち上げるようにしている。
「もう目は覚めましたか?」
「ああ……おはよう、瀬名」
「先輩、おはようございます。ごはん、もう出来ていますからね」
瀬名は微笑む。
その瞳が、朝の光に照らされて青く輝いた。
▶ ▶
俺が眠い頭のまま身支度をする横で、彼女はてきぱきとちゃぶ台に料理を並べる。朝から元気だ。
瀬名とは小中高と同じ学校に通っていて――というか小中高一貫校だっただけだが――俺が大学二年生である今、別の学校に通っていることになる。とはいえ「先輩」という呼び方は変わらないままだった。
紆余曲折あってこうして暮らすようになってからもう随分経つが、いつも俺より先に起きては支度をしている。
外から風が吹き込み、カーテンが広がる。ベランダに置かれた水色の花の鉢植えが見えた。これは瀬名が育てているものだ。
築十五年の二階建てアパート。俺の住む部屋は、二階の角部屋だった。
間取りは1Kと、それほど広くはない……というか正直手狭である。とはいえ立地はよく、大学まで自転車で十分程度しか掛からないため、多少の不便は我慢するしかないだろう。
一通りの支度を済ませたので、俺はちゃぶ台の前に腰掛ける。
既に朝食は並べられていた。
鶏団子のあんかけ、きんぴらごぼう、ほうれん草のおひたしといったラインナップだった。
瀬名はご飯茶碗に炊き立ての白米をよそうと、俺の目の前に置く。
「ああ、ありがとう」
なんとも至れり尽くせりだ。
彼女はちゃぶ台を挟んで俺の向かいに座った。当然のように正座だった。まっすぐと背筋を伸ばしている。
「いただきます」
その涼やかな声につられて、俺も食前の挨拶をすると箸を手に取る。
鶏団子を一個口に運ぶ。甘酢のあんかけの味がおいしい。
ちらりと瀬名の方を見ると、洗練された美しい所作で箸を動かしている。
「天気予報見てもいいか?」
向かい側に座る少女がうなずいたので、テレビのスイッチを入れる。確かこの時間はローカル局のニュース番組が天気予報をやっていたはずだ。
テレビによると、しばらくは晴れが続くらしい。
雨が続くよりはマシだが、炎天下になるのは困る。幸い猛暑とはならないようだけど。
お天気お姉さんがつらつらと世間話をしている。皆さん暑さには気を付けてくださいといった、ありふれた定型句だ。
「先輩は、髪が長い方が好きですか?」
「え?」
一瞬何の話か理解できなかった。そういえばお天気お姉さんは綺麗な長い髪をしている。
「いいや、ショートカットが一番好きだよ」
「……もう、先輩ったら」
彼女は照れたようにうつむいてから、茶碗を持ち直す。
「先輩、早く食べちゃってください。お皿片付きませんから」
「あはは、わかったよ」
天気予報は終わり、ニュースコーナーに切り替わる。アナウンサーは淀みない声で原稿を読み上げた。
「
「また、か」
思わずそんな声が漏れていた。
最近この近辺は騒がしい。
二か月ほど前から、行方不明者が続出しているのだ。事件性があるとみなされているものだけで、もう十人を超したという。それも、皆全て何の痕跡も残さずに。
しかも俺の通う大学――
いなくなった学生に共通点はあまり見られず、学年も学部もバラバラだ。学部生か院生かすら無差別だ。だが、同じ大学の学生だけが行方不明になっている。
単なる偶然とも考えにくいが、犯人からの声明のようなものなどもなく、事件だとしたら意図が読めない。さらに、人為によるものなら、あまりにも痕跡がなさすぎる。それに、警戒の目や巡回の人数も強化されているのに、行方不明者の数は増える一方だ。
現代の神隠しとも、天狗の仕業とも呼ばれている。
行方不明になった人間は、果たして戻ってくるのだろうか。十数人もの人間が、数か月間発見されず生き永らえているということが、有り得るのだろうか。
そんなこと――
「先輩」
瀬名の声で、はっと我に返る。彼女は不安げに俺を見ていた。
「あまり人通りの少ないところを歩いたりしては、ダメですよ。夏で日が長いからって、遅くまで出歩かないでくださいね。先輩に何かあったら、大変ですから」
「わかってるって」
心配性だ。確かに、俺も安曇大学の学生として行方不明者に名を連ねる可能性はあるが。
食事を済ませると、瀬名は皿を片付ける。そして一通り家事を終え、エプロンを脱いだ。そろそろ家を出る時間だろう。
半袖のブラウスに、サスペンダーのハイウエストスカート。そして胸元をミニネクタイが飾る。これが瀬名の通う学校の制服だった。といっても、俺の母校でもあるが。
折り目正しい彼女らしく、ブラウスは第一ボタンまで留めてあり、スカートも膝丈。白いハイソックスも眩しい。
「先輩、これ、忘れないでくださいね」
彼女が差し出したのは、浅葱色の巾着袋。瀬名が作ってくれた弁当が入っている。
「ああ、ありがとな」
ひっくり返ることがないよう慎重にリュックの中に収めて、鞄を背負う。
「先輩、いってらっしゃい」
「いってきます」
外に出ると、まだ朝なのに日差しが厳しい。
夏めく風が吹き抜ける。
俺は自転車を漕ぎ出した。
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