第16話 写真の中の記憶も今に続いている
椿と二人で居間に行くと、寝転がって録画したアニメを見ている大樹の背中にもたれかかって、菜々がプレート状の何かを見つめていた。向日葵は思わず「あ」と呟いた。テレビ台の上に置いておいた向日葵と椿のウエディングフォトだ。椿は嫌がったが、母がどうしても飾りたいと言うので折れて飾ることを許したのだ。
駅近くの商店街にある写真館で撮ってもらった写真だ。ドレスは仕事のつてをたどってレンタル衣装屋に依頼した。一応客としてちゃんと金を払って利用したが、写真屋もレンタル衣装屋も向日葵にとっては顔馴染みで、向日葵の結婚を祝っていろいろなサービスをしてくれた。
間に合わせの、あり合わせの、一ヵ月で用意されたウエディングだった。
それを悲しんだのは椿だけで、向日葵はあまり深く気にしていなかった。椿はどうしても形式にこだわる。母にも一生に一度しかないことなのだからちゃんとしなさいと言われたが、こういうのは気持ちの問題ではないのか。向日葵は夢見る少女ではない。ウエディングドレスや結婚式に金をかけるくらいなら二人で海外旅行に行きたい。それに地元の業者に金を落とすのはいいことだ。自分の結婚が写真館やレンタル衣装屋にプラスになると思うだけで満足だ。
とはいえ当日の椿はかなり上機嫌で、初めて素直に写真を撮らせてくれた。彼は写真を撮られるのが大嫌いで、大学時代にみんなで撮った写真から遺影を選んでくれと半ば本気で言ってくるような人間だったのに、この時だけは率先してああでもないこうでもないと写真屋に相談してこだわって撮った。今こうしてプリントアウトした写真を見てみても嬉しそうな顔をしている。自分との結婚がそんなに嬉しいのか、と思うと向日葵は嬉しい。自分の結婚ではなく椿の結婚が嬉しかった。
プリントアウトした写真は二枚で、右側に入っているのが白いタキシードと白いウエディングドレスで、左側に入っているのが紋付袴と白無垢だった。他にも三パターンほど撮ったが、データで保存してあるのでタブレットかスマホでないと見れない。向日葵に五着も用意してくれた業者のお姉さんの嬉しそうな顔が浮かぶ。白いウエディングドレスが二着、白無垢、色付きのドレス二着を三着分の料金で出してくれたのだ。
菜々が、ほう、と息を吐いた。
「ひまちゃん綺麗」
向日葵は照れて「えへへへ」と変な声を出した。
「いいなあ、幸せそう。ななも結婚したくなるなあ」
「ななちゃんは今のカレシさんとはどうなの?」
「んー、わかんない。向こうも就職してからしばらく仕事の様子を見たいって言ってるし、最近ななのことバカだからいじりがひどくなってきてモヤってる」
テレビ画面を眺めていて参加しているのかどうかわからなかった大樹が、「別れちまえそんな奴」と言いながらリモコンを操作してCMを飛ばした。
「菜々ならもっといい男見つかるだろ」
「ななバカだから変な男に捕まったらどうしよう」
「現時点で変な男に捕まってんだから変な男を手放して次のステージに上がれ」
稔もカーペットの上に膝をついてウエディングフォトを覗き込んだ。そして「両方いい写真だけど僕はドレスのほうが好きだな」と言った。向日葵もだ。椿の珍しい洋装だからだ。
そんな向日葵の頭の中を読んだかのように、椿は「僕は和服のほうが気に入ってる」と言った。
「僕洋服あんまり好きやない」
「どうして? 椿くんなら何でも似合いそうな気がするけど。タキシードもきまってるよ」
「洋服着てるとな、細いし童顔やから女の人に間違われるん」
向日葵は一瞬笑いそうになってしまったが、頬の内側を噛んで耐えた。椿にとったら笑いどころではないのだ。ここで笑ったら彼を傷つけてしまう。椿の自分の外見へのコンプレックスは深刻で、写真嫌いもおそらくそこから来ている。
「着物着始めたのは大学に入ってからなんや。私服やろ。洋服で通学したくなかったん。着物やと明らかに男物やから男やとわかるやろ」
それは初耳だ。向日葵もつい「えっ」と漏らしてしまった。
「ああいうおうちだからそういうしきたりなんだと思ってた。お義母さんもお着物だったじゃん」
「弟はジーパンやったやん」
「それは――」
その弟が椿とは異母兄弟で、正妻の子である椿より愛人の子である弟のほうが格が低いと思われているからではないか、と思っていたのだ。菜々と稔の前で何の話だと思って口に出すのをやめた。
「高校まではどうしてたの?」
「制服」
衝撃を受けた。
「椿くん制服ある学校だったの?」
椿が「何かおかしい?」と嫌そうな顔をする。
「制服姿の写真は?」
「ない」
「見たい」
「ない」
「なんで?」
「ない」
いつの間にかアニメ視聴が終わったらしい大樹がテレビを消して立ち上がった。ふらりとどこかへ消える。向日葵と椿のやり取りに夢中の菜々と稔は気づいていないようである。
「絶対可愛いのに」
「バカにしとる」
「一個だけ確認させて。中学学ラン? 高校は?」
「中高ブレザー」
「がっかりだ」
「どういうこと?」
菜々と稔が声を上げて笑った。
「椿くんの第二ボタン欲しかったなあ」
「は? ボタン? 何に使うん?」
「使うんじゃないんだよ、卒業の時記念に貰うんだよ。学ランの第二ボタンは本命の証なんだよ、心臓に近いかららしいけど、なんかそういう気持ちがこもってるんだよ」
「どのみち僕ら知り合ったの大学の時やん」
「いずれにせよふつうに学ランが萌えなんだよな」
「ひいさんのそういうフェチわからん」
影が落ちたのではっとして振り返ると、大樹が重そうなアルバムを抱えて戻ってきたところだった。
大判のアルバムが三冊、四人の真ん中、床に置かれる。菜々は「なにこれ」と呟いたが、向日葵は見覚えのあるアルバムだった。デジタル機器に疎い祖父が息子の嫁にねだってお気に入りの写真をプリントアウトしてもらいせっせと作成したアルバムだ。基本的には自宅の孫たち、つまり大樹と向日葵の写真だ。
「稔が生まれてから小学校卒業するまでくらいの写真の入ってるやつ引っこ抜いてきた」
稔が驚いた顔で「えっ、僕?」と言う。大樹が「こん中で一番年下なのお前だろ」と答える。つまり稔が生まれてからこっちは大樹、向日葵、菜々、稔の四人が揃っているということである。
「こんなんあったんや」
椿が「見たい見たい!」と言って手を伸ばした。ページをパキパキと鳴らしながらめくる。自分の写真は見せたがらないくせにひとの写真は見たいのか。
「うわっ、これ幼稚園か? ひいさんと大樹さんすでに原型ができあがったはる。ほぼ変わってへん」
「そうだら、小さい頃から可愛いら」
大樹も腰を下ろしてアルバムを開いた。そして椿に向かって「ほら、これな」と言って差し出した。椿がいつになく「わっ」とはしゃいでみせた。
「ひいさんセーラー服やん!」
「何の時の写真だ? 普段ジャージだったのに」
「中学の卒業式だな。俺が高校生で学ランだ」
「ほんとだ、お兄ちゃん何も変わってねえ」
「お前も変わってねえ、ミリも変わってねえ。あっ、うそうそ、ひまちゃんは大人の女性になって綺麗になりました」
椿がきょとんとする。
「これも親戚の子ら?」
稔が覗き込んで「ああ」と微笑んだ。
「僕とななちゃん」
椿は目を真ん丸にした。
写っていたのはおとなしそうな少年少女だった。背景は海水浴場で、快晴の夏空の下なのだが、二人の表情は硬い。女の子のほうは肩につくくらいの真っ黒な髪をふたつ三つ編みのおさげにして唇を引き結んでいる。男の子のほうは長い前髪と分厚い眼鏡で顔が隠れてしまっている上にうつむいている。二人とも小柄で、ショートパンツにパーカーといういでたちであり、年齢がわからない。対してそのサイドに立つ向日葵と大樹は夏空そのものの笑顔で、中学生の向日葵はセパレートタイプのスポーティな水着、高校生の大樹はサーフパンツに上半身裸だった。
「……ちょっと雰囲気、変わったなあ」
稔が明るく優しい笑顔で「びっくりした?」と言う。菜々は無言でにこにこしている。
「暗そうでしょ」
「あ、いや――」
「僕ね、小学生の時不登校だったんだ。五年生から六年生にかけて、結構長い期間学校に行かなくて。このままだとひきこもりになると心配した親が五年生の夏休みから二学期に相当する期間三、四ヵ月この本家に預けたんだよね」
向日葵は慎重に雰囲気を探りつつ、「なつかしいね」と呟いてみた。菜々はやはり何も言わない。
「ひまちゃんと大樹兄と暮らせて楽しかったよ。でも二人とも学校も楽しそうで、僕も行きたくなった。だから中学受験して心機一転私立の学校に入ったんだ。それからは楽しくやってる」
「そうなんや」
「人間ってね、変わるよ」
兄がなぜアルバムを持ってきたのか、わかった気がした。
風呂に入っていた父が戻ってきて、「おっ、なんだなんだ」と言いながらアルバムを覗き込んでくる。
「じいさんが作ってたやつか? 写真はもっとあるだろ、俺がデジカメに凝って撮りまくったのがよ」
「お袋が印刷したやつしかねえんだわ、親父が撮りまくったのはパソコンか何かでデータ開かないと」
「そういえば全部CDに焼いたんだったな。知ってる? 昔CD‐ROMというものがあってな」
「あれね、お母さんがせっせとグーグルドライブに保存し直してたよ。CD自体はもうない」
「うわあ、時代だなぁ」
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