第11話 沼津城本丸跡 2
子供たちが飴細工の店の前に行列を作っている。椿がその行列をおもしろくなさそうな顔で眺めている。向日葵は笑顔を取り繕って「椿くん、椿くん」と必死に話しかけた。
「椿くんが興味のあるブースまわろう、どこがいい? マップ貰ってきてあげる」
「うん」
「あっ、飴見る? 飴細工可愛いね」
「子供やないし飴さんはええわ」
「大人でも欲しい時は欲しいよ。わたしが行列並んで買っちゃおうかな」
「好きにせえ」
「もーっ、椿くん!」
しかし椿もそのうち歩き出した。拗ねていても仕方がないことはわかっているのだろう。
「おぼろ寿司って何や? ひいさん食べたことある?」
「伊豆の料理らしいね。買っちゃおう、食べちゃおう。椿くんが興味持ったもの全部買ってあげる」
椿が微笑んだ。その瞳になんとなく悲しそうな色が浮かんだ気がした。向日葵ははっとした。ほんの数ヵ月前まで、食べ物をねだるのは向日葵のほうで金を出すのは椿のほうだった。
「ほら……会社の経費でちょっと貰ってるし……」
「そう」
喉の奥が詰まるような緊張をおぼえる。せっかく夫婦になれたのに――しかも今日はクリスマスデートなのに、嫌な感じだ。
否、仕事なのだった。
「プチヴェールっていうのは何やろ」
椿の足がある農園のブースの前で止まった。向日葵は「芽キャベツとケールをかけ合わせたらしいよ」と答えた。沼津で栽培している葉野菜で、最近生まれた品種だ。
「買う?」
「どうやって食べるん?」
「前に炒めて食べたらおいしかったけど、お母さんこういう新しい食材試すの大好きだから丸投げして新メニュー考案してもらっても大丈夫だよ」
二人でプチヴェールを覗き込んでいると、店員をしている農園の女性から声をかけられた。
「あらっ、ひまちゃんじゃん」
顔を上げるとやはり顔見知りだ。農園の持ち主の母親で、恰幅の良い年配の女性である。
彼女は楽しそうににやついていた。
「その子、どなた?」
向日葵は椿を自慢できるのが嬉しくてにっこりと微笑みながら答えた。
「わたしの夫の椿くん!」
「夫だって! 結婚したって噂ほんとだったんだね」
そして隣で接客していた息子、農園主である若い男性に「ねえ、この子が例の」と話しかける。息子がそれまで相手をしていた客に釣り銭の百円玉を渡してからこちらを向く。ちょっと帽子のつばを上下させてからにやっと笑う。
「結婚したのは聞いてたけど、なんか意外な感じ。もっとガタイが良くて威勢のいいタイプをイメージしてた。豪ちゃんとかリッキーみたいなさ、なんかこう、体育会系、運動部、みたいな奴」
向日葵はげんなりした。
「わたしそんなに体育会系って感じかなあ。確かにそういう系の男子とよくつるんでたけど、別に文化系が嫌いだったわけじゃなくて、友達いるし」
「ひまちゃんといえばスケバンみたいにでかくてごつい男ぞろぞろ引き連れてるイメージだったら」
「勘弁してくれ! 生まれてこのかた二十三年法律を順守して真面目に生きてきました!」
隣の椿は笑っているが、たぶん内心ではおもしろくない。豪のことを思い出しただろうし、そうでなくても華奢な自分の体躯が好きではない。挙句の果てには向日葵が地元では男をぞろぞろと引き連れて歩いていたと聞いたらおもしろくないに決まっている。
「ひいさん、知り合いがいっぱいいはるんやね」
これは、みんな知り合いなのか、狭い社会だ、ド田舎め、の婉曲表現である。
「おっ、関西弁? 向こうの人なの?」
「京都です」
「あー、ひまの大学のね。そういうこと」
「そういうこととは?」
息子のほうは椿の笑顔から不穏なものを察知したのか「まあ『週末の沼津』楽しんで」と言って切り上げようとした。だが母親のほうはそう簡単にはいかない。
「すごいね、京都人でお着物で美少年で、キャラ立ってんね。何か京言葉喋ってよ。やっぱりどすえって言うの?」
ものの見事に連続で椿の逆鱗に触れた。向日葵は思わずぎゃあと叫びそうになった。
「今の若い人間はどすとは言いませんね。曾祖母くらいやったら言うてたと思うんですが」
本当ははらわたが煮えくり返っており、彼女とはもう二度と会話したくないと思っているに違いないが、本人を前にしてそうとは言わないのが彼である。
「こっちで結婚したの?」
「はい」
「京都に帰る予定は?」
「今のところないですが」
「あらそう、池谷さんちの土地に新居建てんの? ひまちゃん上にお兄ちゃんいるら」
「いえ、おかげさまで妻のご実家の離れで暮らさせてもろてます」
「そりゃいいね、ひまちゃんちはお父さんもお母さんもまだ若いしおばあちゃんもしっかりしてるから子育てにはいいさね」
「子育てはちょっと気ぃ早いんちゃうかなと思うんですが……」
「あれっ?」
冷汗が止まらない。
「これなんじゃないの?」
女性の手が、お腹の上で丸を描くような動きで上下した。
お腹がふくらんでいる。
「えっ、妊娠してない」
「違うの?」
とんでもないことになっていた。
「あれー、生まれちゃうから急いで籍入れたんだと思ってた」
椿がとうとう爆発して、きっぱり断言した。
「うちは子供は作りません」
衝撃の発言だった。
向日葵がショックを受けて硬直している間に、椿は会話を進めた。
「このプチヴェールというのいただけます?」
「あっ、はいはい」
「あとこの大学芋は? この辺お芋さん有名なんですか?」
「そう、紅あずまっていう三島で育ててる品種なんだけど――」
「それいただきます」
「ありがとう!」
「こちらこそおおきに」
そうやってむりやり会話を打ち切ると、椿は向日葵に向かって微笑みかけ、「お買い物袋持ったはります?」と聞いてきた。向日葵は無言でマイバッグを差し出した。椿が無言で受け取り、農園の女性から受け取ったプチヴェールと大学芋のパックを突っ込む。
「ほな失礼します」
歩き出そうとする椿の羽織の裾をつかんで止めた。
「あ。あの」
「なんや」
「椿くんじゃなくておばちゃんなんだけどさ」
農園の女性が「はい?」ときょとんとする。
「ちょっと、今のはないよね。椿くん、わたしの体のこと考えない軽率な男じゃないから、謝ってほしいんだけど」
向日葵が震える声で、本気で真剣な顔で言うと、さすがに自分の失言がわかったらしい。彼女は呆気にとられた顔をしたが、ややして「ごめんごめん」と謝罪してきた。
「今のはちょっと失礼だったね、やだねおばちゃんは」
「僕は別にいいんですけど」
「これ、お詫びにつけとくから」
そう言って彼女はプチヴェールをもう一束差し出してきたが、向日葵は「いりません」と突っぱねた。なんとなく謝罪に誠意を感じられずごまかされたように思ってしまうからだ。
「ごめんね、機嫌直して。ね?」
脇から息子も顔を出して、「ほんとごめん、ごめん」と頭を下げる。向日葵は息子のほうの誠実さに折れることにしたが、椿はわからない。おそらく一生根に持つだろう。
なんだかんだ言って一番大事なのは愛する恋人の名誉だ。
向日葵も彼女とは仕事上の付き合いだと割り切ることにした。仕事でのつながりは消せないが、彼女とはもう二度とプライベートな話をしないだろうし、息子のほうとも距離を置くことにする。
椿が歩き出した。
「おぼろ寿司なくなってまう」
今度は止めなかった。向日葵も農園親子に「失礼します」と頭を下げてから椿の後をしずしずと歩いていった。
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