第8話 そんな難しいこと常日頃考えてるわけじゃないけど
なんとなくいい感じにまとまったので、椿と豪はみかんの収穫作業に参加することになった。
みかん畑の将来の主である豪が椿にみかんの収穫方法を指導する。
「実をこう持って、ここをはさみでぱちんと切る」
「これだけ?」
「これだけ。これをひたすら繰り返すだけ。これをコンテナがいっぱいになるまでやるだけ」
「こんなに大きいコンテナ一人でいっぱいにするん? 重ない?」
「重いったって二十キロぐらいだろ」
「う、うん」
豪が椿にコンテナの持ち上げ方まで教えている。聞いている椿も真剣な顔をしている。その様子は仲が良さそうに見えた。向日葵は安心した。なんだかんだ言って豪も運動部のキャプテンをやっていた人で本当は面倒見がいい。そしてプライドが高く上品でいることにこだわりのある椿がライバルの前で露骨に不機嫌な顔をすることはない。とりあえずはなんとかなりそうだ。
向日葵もみかんの収穫をすることにした。
けれど、収穫しながらでいいから、話もしたくなった。
父と、だ。
「お父さん」
父がみかんを収穫している木に近づく。普段はプラスに働く高身長が災いしてみかんの木の下のほうになる実に苦戦している。みかんの木の高さはせいぜい二メートルで、地上から数十センチのところにも実をつける。これも全部取ろうとすると背中や腰がおかしくなる。
「わたしもここで作業していい?」
「おー?」
許可が出る前にコンテナを持ってきてすぐそばに置いた。
「別にいいけど、何だ?」
「お父さんとおしゃべりしたくなった」
「そりゃ嬉しいな、娘に積極的に口を利いてもらえるなんて俺は幸福な父親だな」
向日葵はちょっと笑った。
「豪とは仲直りしたのか?」
「うん。椿くんとうまくやってくれそうな雰囲気になったからもういいことにした」
「そっか、よかったな」
みかんの実をつかむ。
「お父さんさあ」
軽く茎を引っ張ってぱちんと切り取る。
「なんでお母さんと結婚しようと思ったの?」
父は手を止めなかった。
「お母さんはよくお父さんと結婚した時のこと話してくれるけどさ」
母はこの夫がとにかく好きなのだ。出会った時の爽やかな印象、結婚前の紳士的な態度、今でもたくましくて頼もしいと思っていることなどなど、彼女は子供に聞かれるたびに父と一緒にいる経緯や理由を語ってくれる。
「でも、お父さんがお母さんと結婚しようと思った時何を考えてたのかは聞いたことないな、と思っただよね」
彼は軽口を叩いた。
「そりゃオメー東北弁をしゃべるさらさらの黒髪ロングヘアの色白秋田美人が結婚してくれって言ってきたら可愛くなっちゃうだろ」
気持ちはわからないでもないが、あまりにも軽薄すぎる。向日葵は父の物言いに不快感を覚えて顔をしかめた。
だが、父は次にこんな言葉を続けた。
「ちょっとずるいことすれば男に不自由しなさそうなくらい可愛い女の子がさ、泣きながら地元から遠く離れたところに住む男に突然結婚してくれとせがんじゃうくらい必死でさ、これで実家に強制送還されたら親のせいで人生めちゃめちゃになっちまうんだ、と思ったら、守ってやらなきゃ、って思うじゃんね」
それには、大いに共感する。
「でもそれって本当はばか危険なことなのよ」
「危険?」
「そう。守られるってことは、思考停止するってことだから」
向日葵はみかんを切る手を止めた。
父はそのままの態度で作業を続けた。
「守られてんのは楽さ、難しいことを何にも考えずに指示されるがまま依存してりゃ生きていられんだから。つまり、選択の自由と引き換えに安心安全を得るってことだ。優しいご主人様に買われた奴隷、今風に言えば生殺与奪の権を他人に握らせるってことだ。親と子供の関係でもある。保護されるべき未成年が親に守られんのは当然のことで健全な関係だが、成人同士でやるとあんま健全じゃないわな」
守られる側からの視点で語ってくるとは思ってもみなかった。
「守る側ってのは圧倒的な強者よ。生殺与奪の権を握ってんのよ。お前はそれを背負う覚悟があるから結婚したんだよな? ――俺は、そうだった」
何も答えられなかった。
「俺が覚悟を決めれば。俺がこの子の人生を背負うって決められたら。今自分の将来への不安で頭がいっぱいでぱんぱんで、しかもこのまま放っておけばその不安が現実になって一生雪の降る田舎に閉じ込められて不幸な人生を送るのが決まってるっつう女の子が、助けて、助けて、って言ってて。ちょっと何にも考えない時間があってもよくない? って思うじゃん。日光浴したら? って。俺が守ってやるから、安全なところで暮らしたら、って」
「そっか……」
「でもそれは優越感と紙一重だ。俺は圧倒的な強者としての立場を得る。俺の一言でこの子の人生が吹き飛ぶ――それはプライドとか男の意地とかなんやかんやそういうものを満たしてくれるものでもある。すごいヤバい欲望よ。そこらへんで気軽にぶつけていいもんじゃない。一生に一度、たった一度だけ使うことを許された危険なカードだ。すさまじい重圧、この上ない責任が伴う。そのカードをいつ切る?」
ごくりと唾を飲む。
「その点母さんは安心できた。この子は芯の強い子だから、いつか現状を抜け出して対等な関係になれると思えた。守られるだけの存在じゃなくて、弱った時にはお互い様、俺がしんどい時には逆に支えてくれるんじゃないかと。まあ俺は強くてかっこいいイケメンなので結果としてこの二十何年弱るってことがぜんぜんなかったわけですが」
「そういうこと言うのお兄ちゃんそっくりで嫌い」
「素直でいい子だから、まあ、いつかなんとかなるわな。最悪俺がただの一時避難所になっちまってもいい、とりあえず今は何も考えずに守られてくれればいい。って思って腹くくったらあとはもう現在に至るって感じ」
初めて聞いた話だった。深い話だ。この父がこんなことを考えていたとは思っていなかった。もっと単純な奴のように思っていたのだ。
「豪になんで椿と結婚したのか聞かれたんか?」
向日葵は「うん」と答えた。
「豪のやつ、椿くんに、甘ったれんな、みたいなことを言ってきてさ」
「おっ、あいつなかなか見込みがあるな。それはただのいちゃもんじゃなくて結構本質を突いてるぞ」
認めるのは悔しいが、頷く。
「それに対して、椿くん、何とかしたいとは思ってる、って言ってて。それを聞いた時、わたし、昨日おばあちゃんとタウンワーク見てた時のこと思い出して。おばあちゃんが、椿くんも店番してくれてるんだから養うとか養われるとか言うな、って言ってくれたけど。でも、なんかこう……、なんかもやった。っていうのが今全部わたしの脳内でつながった」
「そう。それはつまりお前と椿の間に上下関係があるってことだ。椿や豪からしたら違和感のあることなんだら」
「そうなの。今のお父さんの話を聞いたら腑に落ちた。わたし、今、椿くんの生殺与奪の権を握ってるんだなあ。椿くんはそれを感じてるから現状を抜け出したいんだなあ」
「いいことだ。お前も椿もちゃんと今の状況を把握してる。ただお父さんの個人的な意見として思うんだけど椿はまだ何にも考えずに守られていていいと思うね、もうちょっと何も考えない期間必要そうに見えるね。人間は誰だって弱る時、思考停止したい時、守ってもらう必要がある時ってあるら。椿はまだそういうモラトリアムしててもいいら」
ほっとして息を吐いた。
「お前がそういうところにもやもやしてくれて俺も今安心した」
「そう?」
遠くて渡辺夫人が「広樹くーん、なにおしゃべりしてんのー!」とたしなめてきた。
「真面目にやってるー?」
父が「すんませーん」と答えた。みかんでいっぱいになったコンテナを持ち上げる。そして「よっこいせ」と言いながらトロッコのほうへ移動した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます