第一三話

 わずかに、ときが過ぎた。

「……おっと。いかん」

 為朝は微かな肌寒さを感じ、ふと目を覚ました。

 ほんの一瞬ではあるが、戦の最中にもかかわらず、うっかりうたた寝してしまったらしい。敵が来ぬとはいえ油断は禁物と、一気に五感を研ぎ澄まし辺りの様子を窺う。

 どうやら、そろそろ夜が明けそうな刻限である。

 真夏とはいえ、京の明け方は肌寒い。おまけに西方、つまり鴨川の方からわずかに霧が流れてくる。

「我らが見張っております。お館様はそのまま休息なさいませ」

 腹心の家季が、為朝を気遣って声をかけてきた。

「いや、そぎゃんわけにもいかん」

「この後、どうなさるおつもりで?」

 家季が為朝の顔を覗き込みつつ、声を少し抑えて問うのである。

「まあ、此度は完全に負け戦だわなあ……。ここだけなんぼ、我らがしっかと守り切ったところで、他所の御門が一つでも破られればお終いやけんが」

「いかにも」

「じゃったら、今のうちに、新院ば背負って逃げ出すか」

「ほう」

 家季は少々意外そうな表情をした。

「大お館様(為義)はいかがなさいますか?」

「親父殿か……。知らん」

 為朝はゲラゲラと笑った。

 為朝は新院・崇徳上皇に対し、密かに曰く言い難い敬意を抱いているのである。

 何故なら為朝が元服したての頃――つまり五年ばかし前、新院御所に呼ばれた事がある。そこで少納言信西とひと悶着ありつつ、御前にて武芸を披露した。その後新院より、内々でお褒めの言葉を賜った。

 また、それが原因で京を離れる事になった時も、やはり内々で新院よりお守りを頂戴した。そのひとかたならぬ御心遣いに、若く血気盛んな年頃ながらも感じ入るものがあった。

 九州に移動しの地を平定すると、為朝は公家らの荘園をことごとく取り上げた。そしてその多くを朝廷に返還し、さらに一部は新院に寄進した。為朝はなにも好き勝手に暴れ回ったわけではなく、自分なりに世の有りようを正すべしと考え、自身の正義に従って行動した結果に過ぎない。

 かつ、かつての新院の御心遣いに多少なりとも報いようとした。

 此度の動乱に際し、父・六条判官為義が、

「一族総出で新院(上皇)方に与す」

 と決断した際、為朝は何も言わずそれに従った。新院に勝利を献上するつもりでいたし、もしそれが叶わぬならば、新院を伴い九州にでも落ち延びればよい……と腹を括っていた。

「親父殿は仮にも武家の棟梁ばい。今後の事は、勝手に自分でどげんでんすっじゃろ」

「されば……」

「おう。そろそろ新院を連れ出すばい」

 為朝はそう言うと、首にかけた小さなお守りを取り出し、そっと手に握った。

 それは、まだ元服したての頃、密かに新院より賜ったあの熊野のお守りだった。為朝はその小さなお守りを一瞬見つめると、すぐ胸元に戻した。

 先程まで騒がしかった、南の大路に面する西門の攻防も、今は小康状態のようである。そちらの方に目を向けると、わずかに篝火の明るさだけがぼんやりと視認できた。

「敵方は退いたのでは? そろそろ夜も明けましょう」

 他の者が、為朝に問いかける。

「はて、どげんじゃろか……。オイが寄せ手じゃったら、ここで北殿に火をかける」

「なるほど」

 家季が眉をひそめる。

「確かに今丁度、鴨川の方から良い風が吹いておりますな。火攻めの頃合いでございましょう」

 家季は為朝のより三つばかし年上である。

 めのとゝゝゝとして幼少時より、為朝に付き従っている。武者として華々しい武功があるわけではないが、実務面で長年、為朝を支え続けてきた。ひと言為朝の意思を聞けば、全てを察して思考を巡らせ、為朝の手となり足となり動く男である。

「よし。三人ばかし奥に入って、新院を此方へお連れ申せ。逃げ出すぞ」

 と、為朝は小声ながらも力強く、周囲に命じた。すかさず幾人かが立ち上がり、奥へと走り去る。

「馬を連れて来い。それから衣類や金子きんすなど、新院の行幸に必要な品々も急ぎ揃えさせよ」

 すかさず家季も指示を出し、さらに幾人かがその後を追った。こうして為朝主従が動き出した、まさにその瞬間。――

「……!!」

 空に一筋の閃光がはしり、わずかに遅れてゴウという音が響き渡った。

 間髪を入れず二閃、三閃と漆黒の空が瞬き、たちまち辺りが轟々と鳴り始める。

「すわっ! 火攻めが始まったか」

 ひと足出遅れた、と為朝は臍を噛んだ。

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