第一二話

 ともあれ。――

(ここで気勢を落としてはならぬ!)

 と判断した義朝は、為朝一人に拘り大局を見誤る虞れを意識しつつ、

「皆、儂に続け~っ!! 八郎為朝を一気に潰すぞ!」

 と号令するが早いか馬に鞭を入れ駆け出した。

「お館様に続け!!」

 二百騎ばかりが一斉に、あるじ義朝を追う。

「我が弟・八郎よ。で来よっ!」

 一気に三丁を駆けた義朝は、北殿西側の御門に向かい大音声を上げた。

 赤地錦の直垂に黒革縅の鎧。鍬形付きの兜といういでたちである。黒馬に黒の鞍が、周囲の闇と半ば同化している。

 その左右にわらわらと、後続の郎党達が轡を並べる。

「次はたれぞ? ……おお、兄者のお出ましか」

 為朝が御門の奥より単騎、のんびりと出てきた。

 中途半端に具足を着けた、あたかも雑兵の如き格好なりである。が、そこには源氏の誇る伝説的豪傑、八幡太郎義家さえも霞みそうな、底しれぬ巨大な風格が漂っていた。

「兄者!? さては上総御曹司(義朝)でござるか」

 すわ決戦のとき、と為朝の郎党達も全て飛び出し、門前に並ぶ。その数、二八騎。

「よいか八郎。汝がこの兄に向こうて弓を引くならば、神仏の怒りを受くるぞ。早々に降参せよ」

「ほう……。さすれば、父に弓引く兄者はどぎゃんなるんか? 怒りどころかたたりば受くるんやなかか!?」

 阿呆はさっさと立ち去れ、とせせら笑う、弟・為朝。ぐぬぬぬ……と歯噛みし悔しがる、兄・義朝。

 口では勝てぬと悟ったのか、義朝は素早く抜刀すると右手に高々とそれを掲げ、

「やれっ!! 一気にあ奴らを押し潰せっ!」

 と号令した。

 義朝勢二百騎中、百騎程がときの声とともに門前の為朝主従に向け突入……かと思われたその瞬間、

「うぐっ!!」

 と三ヶ所から次々にうめき声があがった。

 声の主のひとりは、他ならぬ真正面の義朝である。左肩付近をおさえつつ、馬上で苦痛に呻いている。

 しかしその肩に、矢は見当たらない。

 他の二人も同じである。一人は大庭三郎景親、もう一人が斉藤別当実盛。共に義朝配下の将として名高い。どちらも義朝同様、左肩に攻撃を食らっていた。

 今まさに突入せんとした二百騎は突然の事態に驚き、皆手綱を引き馬を制止する。

「見たか。我が〝つぶて〟を……」

 為朝のすぐ側に立っている、よく日焼けした軽装の男が、右手上でポンポンと石礫をお手玉のように跳ね上げつつ、ニヤリと笑った。

 三丁礫の紀平次という男である。為朝が九州で拾った山の民で、投石がめっぽう巧い。夜目も利く。

「わははは。一応兄者やけん、手加減してやったばい。これに懲りたらば、早々にこの場を去れっ! 否と言うなら、次の瞬間兄者の命は無いと思え」

 ニヤリと笑いつつ、為朝が言い放つ。

 いや、為朝としても兄との総力戦は避けたいのである。なにしろ兵力に十倍のひらきがある。真正面から力攻めされれば、さすがに厳しい結果となるだろう。

 もうひとつ、懸念がある。

(実は、親父殿と兄者の間で何らかの密約があるんやなかろうか?)

 と、ふと気になったのである。つまり、互いに手加減し合う……だとか、勝った方が負けた側の助命嘆願を行う、といった取り決めが両者で事前に為されていたのではないか。

 しかし、今更ながらそれをこの場で公然と、兄に質すわけにもいかない。

(じゃったら、兄者を殺さず追い払うしかなか)

 そう考え、寸前に紀平次に下知していたのである。礫で兄・義朝と、他にも目ぼしい郎党ら二、三名を狙い撃ちしろ、と。……

 しかし義朝は、退かない。

「なるほど。あくまで兄に歯向かうか」

 左肩を右手でおさえ、その痛みに顔を歪めつつ、きっ、と鋭い眼差しで為朝を睨みつける。暗闇の中でもその眼力が、槍のように為朝に突き刺さる。

(本気で、やる気だな……)

 そう悟った為朝。次の瞬間矢立から鏑矢を取り出し、目にも留まらぬ早さでつがえたかと思うと、ひょうと射た。

 居並ぶ者達には、無造作に射たようにしか見えなかった。しかしその鏑矢は、ひゅぅ~~っ、という日頃聞き慣れた軽い高音ではなく、

 びゅぉ~~~っ、

 という異様に鋭い、およそ鏑矢とは思えぬ唸り音をたてつつ真正面に飛んだ。それは義朝のこめかみ近くをかすめ、総勢二百騎のわずかに頭上のくうを貫き通した。その後を追いかけるように、謎の強烈な風圧が駆け抜けた。

「……っ!!」

 義朝は、背筋が一瞬にして冷え固まるような、何とも表現し難い生命の危機を感じ慄然とした。

「今のは挨拶代わりぞ」

 とニヤニヤ笑いつつ、為朝はなおも素早く二本の鏑矢を射た。水平方向に、である。二本は鏑矢にあらざる怪音を響かせ、衝撃波じみたものすら発しながら、義朝勢二百騎の集団を切り裂いた。そしてそれぞれが義朝勢の中程に居た者を直撃した。

 為朝の鏑矢の直撃を食らった二人は、

「うがぁっ!!」

 と絶叫し、そのまま息絶えた。

 義朝勢はたちまち大いなる恐怖に包まれた。何よりも馬が恐怖した。全馬一斉におののき、前足を蹴上げつつ悲鳴をあげるかのように嘶くと、勝手に為朝らに背を向け、馬の癖に脱兎のごとく逃げ出したのである。

 そこへ為朝の郎党らが、揃って彼らの背に矢を射掛けた。

 そうなると義朝勢は、もはや総崩れである。場はたちまち大混乱の、阿鼻叫喚地獄と化した。

 馬が狂ったように暴れ逃げ惑う中、その背から振り落とされる者も続出。少しでも身軽になって逃げ出そうと、弓を放り投げ刀さえも腰から抜いて路上に放棄しつつ、皆ドタドタと命からがら、西へと逃れた。

 その後、為朝主従の警固する最も人員手薄な西側の御門には、敵が一切寄り付かなくなった。

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