第3話 ふたりの出会い【過去編その1】

 それは5月下旬。都立斉京せいきょう高等学校に入学して約2カ月が経った頃のことだった。

 

「どこか……どこかひとりになれる場所は……」


 昼休み、俺は校内をゾンビのように徘徊はいかいしていた。

 

 ……どこもかしこも居辛くてしかたない……。

 

 今年は例年よりも半月ほど早く梅雨が始まっていた。連日の雨のせいで休み時間のクラス内の人口密度は爆上がり。唯一のいこいの場の図書室も席のすべてが埋まっていて、俺の居場所はどこにもなかった。


「おっ、こことか人気ひとけが無さそうだな」


 5階、美術室。選択授業で使う部屋だが、この時間帯は無人だった。

 

 ……この教室で昼休みをやり過ごすのも悪くないな。

 

 なんて思いつつ、しかしその美術室の脇にさらに階段があるのを発見した。

 

「なんだここ?」


 ちょっとした冒険心が俺を突き動かす。その階段の天井の電灯は切れていて、まるで手入れがされていない。

 

 ……いったいどこへ繋がっているのやら。

 

 なんとなく、ソロリソロリと足音を殺して上った先、うす暗いその場所には、


「えっ?」


 こちらに背を向けてしゃがみ込む誰かがいた。その人はこちらを振り返って……俺と目が合った。


「ひゃぁっ⁉」

「おぅっ⁉」


 それは女の子だった。その叫び声に、思わず俺も声が出る。

 

「ひゃうっ‼」


 彼女は叫んだ拍子に尻もちを着いた。直後、ビュゥッ! ベチャァッ! という何か液体が噴き出すような音が聞こえる。

 

「だ、大丈夫……? って、おわぁっ⁉」


 助け起こそうと手を伸ばした俺だったが、目の前の光景に思わず一歩退いてしまった。

 

「あ……ウソ、やっちゃった……」


 絶望するような声を出すその女の子は制服を血まみれにしていた。まるでスプラッター映画のワンシーンに出てくるヒロインみたいなありさまだ。しかも、驚くべきはそれだけじゃない。


「もしかして、姫野さん……?」


 俺に名前を呼ばれた彼女はビクリと肩を跳ね上げた。

 

 ……間違いない。彼女は姫野アカネ。入学から1カ月もせずに3学年すべての男子生徒のハートを射貫いてしまったとかいう、スーパー美少女のクラスメイトだ。そんな彼女がこんなうす暗い場所で血まみれって……いったい、どういうことだっ?


 混乱していたそのとき、後ずさりする俺の足が何かを踏んだ。

 

「なんだこれ……【飲料用血液パック】?」


 ラベルに書いてあるそれを見て数秒、ようやく思い当たる。

 

 ……これ、確か薬局とかコンビニとかで売ってる吸血鬼の専用ドリンクだ。少数派マイノリティである吸血鬼が生活しやすいようにと、10年ほど前から置かれるようになったのだ。中身は人工血液だとかで、人間のパートナーがいない吸血鬼にとっては必需品であると、保健体育の授業で習ったことがあったような。


 チラリとアカネに目を向ける。


「あ……その、それは……」


 アカネはひどく怯えた様子でこちらを見つめていた。肩を震わせて、すがるように。

 

 ……なるほどな。

 

 俺はまず、心を落ち着けるためにひとつ息を吸うとそれから、


「ちょっと待ってて。着替えを持ってくるから」


 そう言って階段を駆け下りようとする。

 

「あ、あのっ!」


 後ろから、切迫したようなアカネの声がかかる。不安げなまなざしは、それだけで何を訴えようとしているのかよく分かった。


「大丈夫。人は呼んでこない」


 それだけ言い残すと、俺はクラスへと走った。そして教室の外に設置されているロッカーから未使用の体操服と箱ティッシュを持ち出すと再び先ほどの場所まで駆ける。


 戻った先、姫野アカネは身を縮こまらせるように膝を抱えていた。


「えっと、お待たせ。これ、予備の体操服とティッシュ」

「あ、ありがと」

「じゃあ、俺は下の階にいるから」

「うん……」


 5階にてしばらく、俺はなるべく上の階に意識を向けないように美術室前の掲示を集中して読んでいた。意識するとどうしても衣擦きぬずれの音が聞こえそうな気がしたから。


「あ、あの、着替え終わったよ」


 上の階から声が響く。


「うん、分かった」


 階段を上った先、そこには俺の体操服を着たアカネが、恥ずかしそうにしながら立っていた。


「その、ホントにありがと。体操服、洗って返すから」

「いや……気にしないでいいよ」

「えっと、岸守くんだよね。同じクラスの」

「ああ、うん」

「……」

「……」


 ……どうしよう、会話が途切れた。


 ただの陰キャの俺と陽キャのアカネに接点があるはずもなく、しかも状況が状況だ。何を話していいのかも分からない。


 ……気まずいな。なんて思っていると、


「あの、岸守くん」


 意を決したように、アカネが口を開いた。


「今日のこと、誰にも言わないでもらうことって、できる……?」

「えっと……」

「私、自分が吸血鬼だってバレたくないの。昔それで嫌なことがあって、それで……」


 彼女は弱々しく、そう言った。


「分かった」


 もちろん、俺は頷いた。


「絶対に言わないよ。誰にも。ていうか俺、秘密とかバラすような友達いないしさ」


 ……自分で言ってて悲しくなってきた。完全に自業自得の精神的ダメージを受けていると、


「……よかったぁ」


 アカネに心底ホッとしたように喜ばれてしまった。

 

「あ、えと、いや……違うのっ! これは友達がいないってことに対して『よかった』って言ったわけじゃなくて!」

「あ、うん……大丈夫。分かってるよ」

「うん、そういうことだから……!」

「……ハハっ」

 

 俺を気遣って取り乱すアカネがなんだかおかしかった。するとアカネも張り詰めていた何かがようやく解けたのか、クラスでいつも見るような明るい表情で微笑んだ。


「あの、岸守くん。よかったら私と友達にならない?」

「え……あ、うん」


 思いがけないアカネの申し出に俺はコクリと頷いた。


「よかったぁ、岸守くんって休み時間はいつもひとりで本を読んでるみたいだったから、話しかけていいか悩んでたんだよね」

「そ、そうなの?」


 ……まさか自分が姫野さんに認知されていたとは。なんか、ちょっと嬉しいな。


「じゃあ岸守くんさ、もしよかったら明日のお昼いっしょに食べない?」

「え」

「私いつも決まった友達といっしょに食べてるんだけど、岸守くんも──」

「ごめん、それはちょっと……ムリかも」


 俺の返事に、アカネはキョトンとする。


「えと、女子だけのトコは嫌……とか?」

「いや、違うんだ。せっかくのお誘いは嬉しいんだけど……俺、複数人と喋るのとか、いっしょに居るのとかが辛くて。姫野さんと話せるのは嬉しいけど……」


 ……学校No1美少女とご飯食べてたら間違いなく目立つからな。それはさすがにごめんだ。せっかくのお誘いを断るのはもったいないけど、苦手なものは苦手なのだから仕方がない。

 

「そっか」


 アカネはしかし、そう言って微笑むと、


「じゃあ、ふたりでコッソリ話そうよ。ときどき、こうやってさ」


 そう、ささやくように言った。


「ここなら誰も来ないみたいだから、内緒で会って話せると思うし」

「う、嬉しいけどさ、でもいいの? 俺なんかのためにわざわざ……」

「『なんか』じゃないよ。だって私たち、もう友達でしょ?」


 それから俺たちはたびたびこの屋上前で会って、仲を深めていくことになる。

 

 ──これが岸守ケンと姫野アカネの最初の出会いだった。

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