第13話

 挑戦状は子供の字で書かれていた。

 玉座にいる領主のところへ、侍官が恭しく運んできたそれを、スィグルは受け取った。

 錦で裏打ちされた巻物を、紐をといて開いてみると、そこにはやたら大きな部族の文字で、拙い墨跡ものたうつごとく、こう書かれてあった。


 挑戦状。

 領主スィグル・レイラス・アンフィバロウ閣下。

 連弩れんどと弓比べをして、負けたら、いうことをきけ。

 牛の目のファサルなんて、俺の敵ではありません。やっつけてやるから。

 果たし合いの日は某月某日の、夕ごはんまえです。よろしくおねがいします。

 閣下の忠実なるしもべ、発明王ケシュク。


 スィグルは読み終えてから、しばらくぼんやりとして、さらにもう一度、念のために読んだ。

 何度見ても、同じことが書いてあった。

 いつもなら、気になるような書類は玉座までのぞき込みにくるギリスが、壇上に上がる石段に腰掛けてこちらを見たまま、にこにこしていた。

 どうやら内容を知っているらしかった。スィグルはむかっとした。

「我が忠実なるしもべ、エル・ギリスよ、これは、朝儀の最中に割り込んで届くような、緊急性のあるものだろうか」

「やむをえません、治世の一大事ですので、レイラス殿下」

 もっともらしい口調で、ギリスは真顔を作り答えた。

「子供をけしかけるなよ」

 スィグルは遊び半分のようなギリスの態度に呆れた。いつまでも子供っぽいやつだ。

「けしかけてないよ。あいつが自分でやるって言うから。なんでもね、俺のかたきをとってくれるらしいよ」

 作った真顔では保たないらしく、ギリスはまたにこにこと満面の笑みに戻っていた。スィグルは不機嫌になって顔をしかめた。

「いつ僕がお前の仇になったよ」

「工房での一件だろ。ケシュクはお前が俺をいじめたと思ったんだよ」

「そんなのお前が否定すればすむことだろう、子供の誤解なんて」

「いいや俺はいじめられたから。人食いスィグルはいつも俺をいじめるんだって言っておいた。俺、独楽回しで討ち取られて、今はケシュクの子分だから。あいつはお前より甲斐性のある主人だぜ。だって俺がいじめられたら怒ってくれるもん」

 恨んでるのかギリス、ラダックにけしかけられて、お前を突き放そうとしたことを。

 それはな、と考えかけて、スィグルは思い出した。

 今は朝儀の真っ最中。

 小さく首を横に振って、スィグルは巻物を巻き戻した。盆を捧げ持ったまま待っていた侍官のほうに、それをぽいと放り返すと、そいつは器用に銀の盆で巻物を受け止め、一礼して恭しく引き下がっていった。

 絶妙の呼吸だった。

 グラナダ宮殿はすでに、新しい領主の息づかいを把握したらしい。

 ラダックが絞りに絞った最低限の人員しか侍っていないが、そのどれもが精緻なモザイクの一片一片のように、うまくかみ合って、小宮廷の絵模様を描き出している。

 スィグルは広間に目を戻した。

 絵師シャムシールが、どこか抜けたような笑顔で、おとなしく待っていた。

「噴水広場の壁画が仕上がりましたよ、殿下。市民にも好評みたいで、よかったです」

 シャムシールは謁見するということで、礼装していたが、まるで貸衣装みたいだった。

 都市の中央あたりに位置する、市場への入り口にある広場が、ずいぶん老朽化していたので、修復したのだった。そして殺風景だったので、広場の左右を遮る白壁に、シャムシールに命じて絵を描かせた。

 宮殿の絵師が街の壁に絵を描かされるというのは、一時はタンジールの宮廷絵師まで上り詰めていたシャムシールにとって、ずいぶんな不名誉ではないかとスィグルは悩んだが、本人がやってみたいというので、特別に許した。別に害もない気がしたので。

 下絵を見た時には、その絵は確か、泉のある風景の、美しく花の咲き乱れる木立のなかに、そぞろ歩く市民たちがところどころ描かれており、みな、木立からもいだ果物を持っていたり、市場で買ってきたらしい品物を持っていたりした。

 なんだか妙な絵だったが、グラナダ宮殿の壁に描かれるわけじゃなし、市民会がこれでいいと受け入れたのだったら、シャムシールの好きにさせればいいと、スィグルはその後をほったらかしておいた。

 やるべきことが山積みで、広場の絵なんていう平和なものを、逐一見ている余裕がないのが本音のところだった。命じた立場としては、一回ぐらい激励しに行ってやらなきゃと思っていたのに、結局ちらりとも見に行けないまま、仕上がってしまったらしい。

「ご苦労だったな、シャムシール。広場が華やいで、きっと市民はお前に感謝しているだろう」

 労うと、シャムシールは嬉しげに頷いた。

「拙い筆がお役に立てて良かったです。肉屋が殿下に感謝していました」

 伝言めいたことを、さらりと口にしたシャムシールに、スィグルはとっさに、問いかける目をした。頷いて、絵師は答えた。

「金曜日には肉を食べよう、です」

「え、なんの話だ。それは」

「絵があまりに横長なので、ちょっと構成に詰まりまして、七分割して、主題に曜日を割り当てたんです。金曜日のところでは、殿下が肉料理を食べているところを書きました。金曜日は肉の日だから」

 スィグルは軽く虚脱して、それを聞いた。

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