第12話

 スィグルは彼に魔法の使用を禁じていた。使えば石が育って寿命が縮まるし、そういうのは寝覚めが悪かった。

 とにかく、ギリスに限らず、竜の涙が魔法を使うことに、スィグルは言いしれない抵抗感があった。なんとなく、彼らが嬉々として、死の穴に墜ちていっているような気がするのだ。

 それはおかしい。それはどこか、狂った考えかただ。

 英雄として激しく生き、そして潔く散るのだという、彼らの死の美学は、美学として理解できるが、やはりおかしい。

 死がそんな美しいもののわけがあるか。

 タンジールでジェレフの死を看取って、ますます分からなくなってきた。

 おかしいのが彼らか、それとも自分か。

 とにかく自分には、父のように微笑んで、彼らに死ねと命じることはできない。

 宮殿にやってきた三つ子の治癒者が、幻視術も使えますと楽しげに披露してくれた技も、確かに素晴らしかったが、それが僅かでも彼らの血を吸っていると思うと、スィグルはいい気味がしなかった。

 少なくともグラナダにいる間は、無駄な魔法はつかわないでほしいと、スィグルは彼らにやんわりと命じたが、三つ子はそれに妙な顔をした。

 訓練しないと、精度が落ちるし、長く放置すると、魔法が消えてしまいますと、彼らは言った。それは反論ではなく、あからさまな命令拒否だった。彼らには魔法を維持する責務がある。

「魔法戦はだめだ。盗賊ごときに、竜の涙を出すのは、やりすぎだ」

「だったら連弩れんどだ。それで駄目だったら、親父に泣きつけ。父上、盗賊が僕の金を盗みます、やっつけてください、ってな」

 機構を確認しおえた連弩れんどを、もう一度構えて、ギリスは引き金を引いた。がちっと掛けがねが下りる音がして、弓弦が勢いよく跳ね返った。そこから放たれるはずの矢はなかったが、たっぷり毒を塗った矢が、しっかりこちらに放たれた気が、スィグルにはした。

「そんなに怒るなよ」

 ギリスはうつむいて、いかにも情けないという顔だった。珍しく怒っているらしい相棒に、スィグルは静かな宥める声で話した。しかしギリスは腕に抱いた連弩れんどを見下ろすだけで、顔を上げはしなかった。

「スィグル、お前は人の使い方が分かってない。お前の先祖は、双子の兄貴だって使い潰すようなやつだった。お前はその末裔だろ。ちゃんとした目的があるときは、犠牲に気をとられるな」

 そうだろうかとスィグルは考えた。

 アンフィバロウは後悔していた。だから紋章に蛇を二匹使った。自分とともに、死んだ双子の兄を、密かに即位させたのだ。そして紋章の中で永遠に生かすことにした。

 千里眼のエル・ディノトリスが納得して死んだか、それは誰にも分からないだろう。

 辿り着いたタンジールを見て、彼は麗しの《フラ》タンジールと呟き、そして微笑み、眠るように死んだと伝説は語る。しかし石による死がそんな美しいものか。きっと悶絶して死んだのだ。

 彼は記録された部族史上、最初にフラ・タンジールと言った人物でもあるが、本当はいまわの際に、まともにものを言うことなど、できなかったのではないか。

 鎮痛のための処方が確立されている今の世でも、英雄たちは痛みに苦しむのに、ディノトリスはなんの薬も与えられず、たったの二十歳で死んだのだ。双子のもう片方は、老衰して死ぬまで部族を治めたというのに。

 そう都合良く、王都到着とともに絶命すると思えない。

 タンジールを発見して、千里眼は役目を果たし終えたと、自決したのではないのか。

 あるいは誰かが彼に安楽死を与えたか。

 もしそうだったとして、それは誰だ。双子のアンフィバロウか、彼に命じられた他の誰かか。

 自然死したにしろ、自決したにしろ、殺されたにしろ、使い潰れさて死ぬのは、竜の涙たちの初代からの習いなのではないか。

 きっと双子の片割れを、恨みながら死んだのだ、ディノトリスは。

 立場が逆なら、生きて、戴冠して、治めていくのは、自分だったかもしれないのにと、無念に思いはしなかったか。

 たぶん彼のそんな怨念が、代々の射手に作用して、彼らは玉座を裏から支配しようとするのではないか。

 お前もきっと、そうやって生き、そうやって死ぬのだ、エル・ギリス。

 永遠の蛇の呪いに囚われていて、新星と射手は、いつも相手を呑み込もうとして貪欲にのたうち、それで結局馬鹿をみるのはディノトリスのほうだ。

 じたばたしないで、大人しく、僕に仕えればいいのに。

 どうせ長くない生涯なんだったら、ちょっとでも長生きできるように、足掻いてみたらどうなんだ。

 そうやって無様に足掻いて、生き延びた最後の一瞬に、このために生きていたんだと思えるような出来事が、あるかもしれないだろう、って、お前とは別の、竜の涙が言っていた。

 イルス。言ってやってよ馬鹿なこいつらに。命を粗末にするなって。

 スィグルは長いため息をついた。

「とにかくだめだ、エル・ギリス。考えるのは主である僕の仕事だから、お前は勝手になにかしようとするな。言うことをきけないなら、戦闘にも出さないから」

 上から言いつける口調で、スィグルは伝えた。

 ギリスは頷いたかもしれないが、それは、ますます項垂れただけかもしれなかった。

「まさに蛇の生殺しですね」

 銀貨を磨きながら、ラダックが唐突に口をきいた。

「畜生、ラダック、お前がこいつに妙なことを吹き込むからだろ。今まで上手くやってきてたのに、お前が変に意識させるから、ただでさえ余計なことを考えるこいつが、支配者意識に目覚めて、ますます変になるんだよ」

 ギリスは向き直って、ラダックに文句なのか泣き言なのか分からないようなことを言った。

 ラダックは磨き終えた銀貨を窓からの陽にかざし、その輝き具合を確かめた。

「階層構造の頂点に立てるのは一人だけです。それが我々、官僚の社会です。あなたの意識はおかしいです。この部族に支配者がふたりいるというのは、私には到底理解できません」

 ラダックは淡々とそう言い、磨き終えた銀貨を、正確な三角錐の形に積み上げてある自分が磨いた銀貨の、一番頂点にあたる位置に、そうっと乗せた。そして眺めて、完璧だという表情を、ラダックはした。

「お前が理解できなくても、ずっとそうだったの! それが玉座の間ダロワージの仕組みなの! 星と射手とが常に議論したり、争うことで、より良い治世が導き出されんの! そうやって独裁の毒を抜いてんの! なんでわかんねえのよ」

 ギリスはじたんだを踏みそうな勢いだった。

「ではなぜ射手にも戴冠させないのですか。あまりにも曖昧です」

「いいの曖昧で!」

 ラダックは、ありえないというふうに小さく首を横に振ってみせた。

 ギリスは、それを見て、どうしたらいいかという困惑の顔になった。

「この田舎もんが。いっぺんタンジールに行け。ダロワージを拝めば理解できるから」

 負け惜しみみたいなことを、ギリスは吐き捨てた。しかしラダックはもちろん全く動じない。

「栄転させてくださるのですか。それはいいお話ですが、あなたが決められることじゃないです。族長か、せめて領主のご下命がないと。あなたはいつも出しゃばりすぎです、エル・ギリス。レイラス殿下を無視して、好き勝手ばかりして」

「そんなの……そんなのお前だってそうだろ、ラダック」

「私はいいのです」

 新しい三角錐にとりかかるらしく、ラダックは黒く変色した銀貨をもう一枚手に取った。

「なんでだよ」

 当然の質問を、ギリスはぶつけている。

 ラダックは熱心に、布で銀貨を拭き始めた。

「なぜって。それは私が金庫番だからです。このグラナダ宮殿で、私より偉い人はいません」

 ギリスに教えるラダックは、そんなこと教科書の最初の一行に書いてあるだろうというような口調だった。

 言い終えてから、ラダックは、どこか呆然と聞いていた領主レイラスに視線を向けてきた。

「そうですよね、殿下」

 官僚の瞳に、スィグルは目を瞬かせて向き合った。

 なんだか、そうですねとしか答えようのない気持ちがした。

 そういえば、僕が仕事を丸投げしていた前の領主は、どうしてこいつをクビにできなかったんだっけ。あいつはタンジールで鳴らした生え抜きで、ラダックはグラナダの地方官僚なんだから、階位的には、はるかに下のはずなのに。

 ああ、それはやっぱり、偉いから? ラダックのほうが……。

 階位はどうあれ、とにかくこのグラナダ宮殿では、こいつが一番偉いから。

 もしも、とスィグルは思った。

 もしも僕が即位できたら、紋章の永遠の蛇には、もう一匹の銀の蛇を、追加しなきゃいけないんじゃないか。王族と、魔法戦士と、この金の亡者みたいな官僚と、その三匹で、お互いの尻尾をがじがじ食い合うような、そんな治世になりそうだから。

 ギリスは悔しかったのか、装填していない連弩れんどで、びしびしとラダックを射るふりをした。しかし金庫番はそれに、銀貨を磨く手を休めることもなく、ふんと鼻を鳴らしただけだった。二匹目の蛇と三匹目の蛇が争っているのを、スィグルは何となく、あんぐりとしながら眺めた。

 そういえば僕、さっきまですごく真剣に考えてなかったか。

 また操られていた。悪い蛇たちに。

 真面目に考えたら負けだ。

 こんな馬鹿ばっかりの宮殿で、ひとりだけ真面目になったらおしまいだ。

 僕も馬鹿になんなきゃ、と思い、それからスィグルは、大丈夫かそれで、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る