第9話

 答えを示されてみると、それへの道筋は明白だった。

 グラナダの競馬は公営で、グラナダ宮殿の資産により運営されている。賭に勝った者に支払われる金は、大本をたどれば、宮殿の金庫から出ている。つまりスィグルが払っているわけだ。

 賭は胴元が勝つようにできている。ほとんどの者が金をるからこそ、宮殿の金庫は潤うことになる。

 だが、もしもある日、猛烈に高い倍率に、莫大な金額を賭けた者が現れ、その払戻金額が、宮殿の総資産を上回っていたら、どうなるだろうか。

 その時は、領主は破産する。

 それはこの仕組みが持っている難点だった。

 だが実質的に、スィグルの財力を脅かす金額を、賭けに投じることができるような者が現れるというのは、現実的な仮定ではない。

 そういうことになっている。それで成立する商売だ。

 だけど、ギリスか。

 それは、案外近くに、そういう奴がいたものだ。

 スィグルは困惑して、ラダックと見つめ合った。

 そんなこと、考えたことがなかった。

 そんなこと、ばっかりだ。最近の自分には。守備隊があんなに弱いとは、考えたことがなかった。ギリスにそんな財力があるとは、考えたことがなかった。

 賢いつもりで、自惚れていたが、実際なにを知っていたというのか。座学でどんなに優秀でも、それにどんな価値があったろうか。

 たぶん自分はまっさらの紙のように無知で、何にも知らない子供のような顔のまま、この宮殿に領主としてやってきた。

 だからラダックは最初から、僕のことを馬鹿にしていたのだ。

「お前はギリスがそんなことをすると思うのか」

「いいえ。彼は勝ち馬を予想できないので、やろうったって無理です。しかし、掛け金の上限を定めたほうがいいと言っていました。殿下、あの人は殿下が信じているような、阿呆ではありません。用心したほうがいいです、英雄たちには」

 ラダックは真面目に忠告しているらしかった。

「お前はギリスが僕を裏切ると思うのか?」

 そういうことがあるだろうかと、スィグルは真剣に興味が湧いて、ラダックの意見を聞いてみたかった。金庫番は首を横に振った。

「いいえ。そのつもりなら私に資産管理なんか任せなかったでしょう。大穴ねらいの話だって、するわけないです。あの人が私に言いたかったのは、俺を見くびるなという話です。氷結魔法だけが、彼の力じゃないという、そういう意味です。私はそれから、彼には一目置いています。彼は軍人ではなく、政治家です、殿下」

 スィグルは何度目かであっけにとられた。

 あのギリスがそんな、派閥抗争のような真似をするとは、見当もつかなかったからだ。

「新星として玉座につくのは、殿下のご意志なのですか。それとも、エル・ギリスの意志なのですか。それによっては、私の身の振り方は違います。私は、殿下にお仕えしているつもりです」

 それがお前の本題か。

 スィグルはやっと、納得がいった。

「僕の意志だよ、ラダック」

 スィグルは答えてやり、もっと何か言うべきかと思った。

 例えば、なぜ即位したいのかの動機やら、何やら。

 天使と約束したからか。それとも、月と星の船を探すためか。あるいは、全土の飢える口に、餌をねじ込んでやりたいだけか。グラナダの。タンジールの。領境の中にある全ての。もしくは第四大陸ル・フォアにあまねく。

 そのどれを言ってみても、現実味のない話だった。

 スィグルは結局、そこから先を沈黙するしかなかった。

 ラダックがやがて頷いて、手に携えていた書類をぱらぱらとめくって見せた。

「修正予算案です。どうせ斜め読みだろうから見せませんけど。三年かけて段階的に、常任の正規兵を補充します。しわ寄せは全部、殿下のお小遣いからさっ引きますので。それでいいですか」

 スィグルは頷いて、ラダックに許しを与えた。金庫番に逆らえるはずがあろうか。

「武器開発は、エル・ギリスの趣味ということにして、私費を投じさせてください。彼には金を使わせるべきです。他の英雄たちもそうです。国庫から支払って、それが延々と蓄財されるだけで、市井に流れ出ないのでは、金が死んでしまいます。元をたどれば税収、それは、民の資産です、殿下」

 その話にも、スィグルは頷いてやった。

 つまるところそれが、ラダックの意見ということだろう。スィグルは彼が語った内容を、肝に銘じた。

 ラダックは深く一礼し、列柱の廊下にスィグルを残して、とっとと去っていった。相変わらず、身も蓋もない、金の話ばかりする男だと、スィグルは官僚の後ろ姿を見送った。

 なんだか、玉座に座る立場というのは、妙なもののようだった。想像していたのと、随分違う。

 みんな、どうしているかなと、不意にスィグルは学院で顔を合わせていた連中のことを思い出した。

 今、みんなはどうしているのかな。何をして、何を考えているのだろう。

 みんな、頑張っているのか。それとも、頑張ってるのは僕だけか。

 相談する相手が、スィグルは欲しかった。

 ギリスでいいじゃないかと、安易な習慣が、内心でそう囁いたが、それが適当なことかどうか、急に分からなくなった。

 ギリスはどこに行ったんだろうかと、スィグルは心配になった。

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