第10話

 侍官に探しに行かせると、ギリスは中庭にいるという話だった。

 取り込み中とのことだったので、呼びつけさせずに、スィグルがそこへ行くと、ギリスは独楽こまを回していた。

 十かそこらの年頃の子供とふたり、布を張った樽の上に、小さな独楽を投げ入れて、彼は勝負をしているらしかった。

「なにをやってるんだ、ギリス」

 真剣そのものの、子供以上に子供じみた姿に呆れて、スィグルは彼に話しかけた。

「見たまんまだよ。こいつ、めちゃくちゃ強いから」

 独楽を放った後の紐を、ギリスは握りしめていた。

 スィグルは樽を覗き込んでみた。二つの金属の独楽が、ぶつかり合って争っていた。

 やがて片方の独楽が、もう片方によって、樽の外にはじき飛ばされた。

 それを見ていたギリスが、がくりと死んだように項垂れた。

「勝てない……」

 敗北を宣言する英雄に、対戦していた子供は、胸をそらして大笑いした。

「不敗のケシュク様に勝てるわけがない! 約束どおりやってもらうよ、エル・ギリス」

 そう勝ち誇る子供に、ギリスは情けなさそうに何度も頷いてみせた。

 それからおもむろに、庭園の石畳の上に跪き、子供に深々と叩頭してみせた。

「参りました、ケシュク様」

「氷の蛇、討ち取ったり」

 腕をふりあげて、子供はあたかも芝居の俳優のように、意気揚々と宣言した。

 その得意げな顔を見て、スィグルは思わず笑った。

「なんという様だ、エル・ギリス。僕に許可も得ず私闘して、しかも敗北するとは、それでも英雄か」

「お前もやってみろ、こいつ本当に強いんだから」

 約束した叩頭礼は、一回では済まなかったらしい。ギリスはスィグルに泣き言を言いながら、宮廷仕込みの完璧な礼節をもって、子供に三跪九拝礼をした。

 お前、そんなこと僕にもしたことないだろ。父上にだってしたことないんじゃないか。

 スィグルは笑い、呆れながらそれを見た。

「そっちのお前も、俺と勝負したいなら、正々堂々と名を名乗れ」

 歴戦の将らしい、錫製の独楽をスィグルに突きつけて、子供は言った。

 どうやら彼は、こちらが誰か、知らないらしかった。大人なら、着ているものを見れば、すぐに分かることだが、子供っていうのはいろいろと、見えないものがあるらしい。

「スィグル・レイラス・アンフィバロウだ」

 名乗ってやると、子供は独楽を掲げたまま、ぽかんとした顔になった。

「領主様だ」

「そうだよ」

 子供はさすがに、衝撃を受けたらしかった。

「お前は誰だ。こちらの名を聞いておきながら、名乗らないとは、無礼だぞ」

 微笑して訊ねてやったつもりだが、子供は硬直していた。

「そいつはケシュクだよ。お前の矢を作った職人イマームの息子だ。こないだから、お前の武器職人として、宮殿に召し抱えた」

 やっと立ち上がったらしいギリスが、代わって教えてきた。

「僕じゃない、お前が召し抱えたんだろう。ラダックが言ってきた。雇うなら、お前の財布を傷めるようにと」

「でも俺は人は雇えないよ」

 ギリスは困ったような顔をしていた。一応彼も、掟を知っているらしかった。

「なにを作らせるつもりなんだ」

「連発式のおおゆみだ。七連発だぞ。正規兵の武器として使えるようなやつを開発させる。こいつの親父は腕のいい職人だ」

 熱心そうに話しているギリスの言葉を、スィグルは鼻で笑ってやった。

「そんなもん、子供の玩具だろ。お前は玩具を買ったんだ。それが目が飛び出るほど高価でも、お前は金持ちらしいから、問題ないだろう。法的にも、ラダック的にも」

 顔を見つめて、そう言ってやると、ギリスはしばらく考えてから、急ににやりとした。珍しい顔だと、スィグルは思った。

「あいつ、お前になんて言ったんだ」

「お前に一目置いているが、仕えているのは僕にだと」

 教えられた話に、ギリスはますます、にやりとしていた。

 こんなやつだったか。

 そのどこか大人びた顔に、スィグルは黙って微笑み返した。

 そういえばこいつは確かに、詩人たちの詠う英雄譚ダージによれば、冷酷なる氷の蛇だ。

 そして蛇というのは脱皮するのだ。年ごとに。

 その前と後とで、別人ということはないだろうけど、体の模様のどこかが少し変わるぐらいは、あり得る話だ。

 案外いつの間にか、長老会の毒が染みた毒蛇になっていて、僕の足首を噛むのかも。

 油断禁物。

 しかしこんな阿呆みたいなやつがか、と、スィグルはちょっと可笑しかった。

「ケシュク、お前の不敗の独楽を、ちょっとだけ俺に貸してよ。こいつと対戦してみたいから」

 ぼけっとしている子供の手から、ギリスはぴかぴかに磨かれているその小さな独楽を、ひょいと奪い取った。

 そして自分が持っていたほうを、スィグルに渡して寄越した。

「お前になら勝てるような気がするよ」

 ギリスはそう言って、スィグルに挑戦の意を見せた。

 独楽に紐を巻きながら、スィグルは笑った。

「昔はこれでも、弟とけっこう遊んだけどなあ」

 しかし独楽回しとは。

 いい大人になった領主と英雄がやるようなことかと、スィグルは毒づいた。

 だが、もちろんギリスはそれに取り合わなかった。

 彼は勝負を始めた。スィグルはそれに乗ってやった。

 樽の上にほぼ同時に投げ入れられた独楽は、くるくると安定してよく回った。そして時折ぶつかりあって、かすかな火花を散らした。独楽の回る音が、ぶうんと蜂の羽音のようだった。

「なにか賭けるのか。まさか三跪九拝を?」

 戦いの趨勢を伏し目に見守りながら、スィグルは訊ねた。

 首を振って、ギリスは答えた。所在なさげな子供の肩を、彼は抱いてやっていた。

「いいや、何も賭けないよ」

 そう言って笑うギリスの笑みは、まるで苦笑のようだった。

「俺とお前は、ただ戦うだけだよ」

 樽の中で、スィグルが投げた独楽が、激しく相手を打っていた。そこに散る火花を、ギリスは面白そうに笑って見ていた。

「どっちが勝とうが、結局は同じ。よく言うだろ。民に仕えて、双子のごとく、一心同体なのさ。玉座と長老会って、そういうものだろ? 太祖と、その兄君が、そうだったようにさ」

 同意をしろよというギリスの口調に、スィグルはただ笑って答えた。

 子供が丹精したらしい独楽は、よく回る逸品だったようで、勝負はなかなかつかなかった。たぶん、投げ方にこつがあるのかもしれないと、スィグルは思った。

 いったい、どうやったらギリスに三跪九拝させられるのか、あとでこの子に聞いておかねばと、スィグルは考え、勝負のつくのを待つことなく、その場から立ち去った。

 ギリスはそれを、引き留めなかった。

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