第8話

 ギリスが勝手に人を増やしたと、ラダックが文句を言ってきた。

 それが例の、三つ子の竜の涙のことだろうと思ったので、レイラス殿下が許可なさったのですかと鬼の形相でいるラダックに、スィグルはそうだと答えてしまった。

 でも、そのことは前々から、お前にも根回ししていたんだろう、あいつは。治癒者をもらってくるからと。

 スィグルはそう言い訳した。

「治癒者? そのことですか……」

 宮殿の通路を移動しているスィグルに、やや背後から噛みつきながら、ラダックはついてきていた。

「三人とは思いませんでした。そのうち治癒者が来るとエル・ギリスは言っていましたが、まさか三人とは」

 腹に響く声で、ラダックは低くそう語っていた。

 気が咎める謂われはないはずが、スィグルは内心で、もしラダックから殿下の責任ですと指弾されたら、ごめんなさいと反射的に詫びてしまいそうな気分だった。

 ラダックは計算が狂うのが何より嫌いだ。その時、このグラナダ宮殿において、ラダックより強いものはいなくなる。そうでない時にはなりを潜めているだけで、小宮廷の真の支配者は、この予算担当官ではないかと、スィグルは時々思う。

「だけど、お前の予算にさしたる変更点はないだろう。三人だからって。彼らの俸給はタンジールの予算から支払われているのだし、こちらが持つのは食費やら何やらの雑費だけなんだろう」

 ラダックをなだめようと、スィグルはそんなことを早口に言ってやりながら足早に歩いた。早く歩けばラダックを引き離せるのではという無意識の期待があったが、金庫番はがっちりと食らいついていた。逃げたところで、ついてくる侍従がぜえぜえ言うだけだ。

「何やら、って何ですか。そんなどんぶり勘定な。そこが重要な点なのです。彼らに割り当てる居室も必要ですし、その部屋に付ける女官や侍官も必要です。ぎりぎりの人員で運営しているんですから、面倒をみなきゃいけない偉い人が増えたら、また人を増やさないといけません。その者たちの俸給は、グラナダ宮殿の金庫から払うんですよ、殿下。わかっているんですか」

 ラダックは鞭でびしびし打つように、その事実をスィグルに教えてきた。

 耳を塞ぎたいような話ぶりだったが、そうもいかないので、スィグルは歯を食いしばって耐えた。

「でも、しょうがないだろう。英雄たちは僕の客なんだ。まさか女官を雇うから、お前らの俸給から金を出せと、僕に言えとでも?」

「言えるもんなら言ってください」

「言えるかよ」

 とうとう耐え難くなって、スィグルは歩きながら両手で顔を覆った。

「そんなに貧乏なのか、僕は。たった三人増えたくらいで、お前に虐められるぐらいに」

「いいえ、殿下は大金持ちです。だからといって浪費はいけません。締めるとこ締めておかないと、際限がないのです。殿下が分かっておられないようなので、忠実なる臣下として、お諫め申し上げただけのことです」

 鼻息も荒く、ラダックはそう締めくくった。

 どうやら愚痴を言われただけらしいと分かって、スィグルはほっとした。話はもう終わりだろうと思ったからだった。

「それはどうも。僕はもう十分、お諫め申されたよ。お前の心からの忠節に、内心熱い涙も出たよ。とにかくこれで今日の仕事も終わったし、休憩する時間なんだ。僕も休憩していいんだよな、まじめに働いた後は?」

 なおも追ってくるラダックを追い払おうと、スィグルはしっしっと手を振って見せた。

 ラダックはそれを見ても、全く頓着しない、相も変わらぬ渋面のままだった。

「本題はこれからです」

「本題じゃなかったのか!?」

 列柱の美しい、庭園の見える廊下にさしかかったあたりで、その話を聞かされて、スィグルは思わず立ち止まった。それに合わせて歩みを止めたのはラダックだけで、侍従たちは勢い余って、よたよたと多々良を踏んだ。

「エル・ギリスが街から武器職人を勝手に召し抱えてきました。金曜日のことです」

「なに……なんだって。僕は聞いてない、そんな話は」

 なぜギリスが黙っていたのか、という、納得のいかない気分で、スィグルは苦情を述べた。

 ラダックに言っても仕方ないことだったし、第一、ギリスがその日の出来事をなにもかも自分に話しているわけではない。むしろいつも勝手なことばかりやっている男じゃないか。債券は勝手に売るわ、僕の馬は勝手に競走馬にするわ。そんなことばっかりだ。

「ふたりもです」

 ラダックはそこを強調した。一人でも二人でも、重要なのは、ギリスが無断でやったという点ではないかと領主レイラスとしては思うが、金庫番の感覚は違うらしかった。

「そんな勝手な追加予算は受け入れがたいです。彼には常任守備隊の導入の件で譲ってやったばかりです。私に甘えるのも、大概にしてもらいたいのです。武器職人と戯れたければ、自分の金で雇えと殿下から言ってください。相手があの人なら言えるでしょ」

 見つめ合ったラダックは、がおっと吠えるように話を締めくくった。

 スィグルは返す言葉を思いつかず、口をぱくぱくさせた。

「あのな、ラダック。ギリスは竜の涙だ。私兵や、使用人を雇うことはできないんだ。それは掟なんだ。それに、あいつはそんな金を持っているんだっけ?」

 スィグルはそれについて、考えたこともなかった。

 ギリスは父リューズの宮廷が養っている魔法戦士で、年ごとに序列に従った俸給を下賜されているはずだった。それは他の竜の涙たちと同様で、彼らはその財力を用いて、土地と人以外のなんでも手に入れることができた。

 服装や宝飾品に凝る者もいたし、名馬をうなるほど持っている者もいる。派閥の宴席で美食の限りを尽くしたり、一流の芸人や役者を呼んで、親しい者を招待する一席を設けるような、気の利いた者もいた。

 しかしギリスはそのどれもやっていない。

 格好は構わないし。食い意地は張っていても、出された食事で満足するらしい。時々、職人に頼んで遠眼鏡のような、玩具めいたものを作らせはするが、基本として、ギリスは金のかからない男だった。けちというより、無欲なのだろう。

 支払われた俸給を、あいつはいったい、どうしているのだろう。

 スィグルのそういう考えが読めたのか、ラダックは目を細め、言った。

「あの人は大金持ちですよ、レイラス殿下。ご存じなかったんですね、それについても」

「なんで知っているんだ、ラダック」

「エル・ギリス本人の依頼で、彼の財務管理をしてやっているからです」

 そんな副業までやってるのか、ラダック。

「本人の二十年分の蓄財もありますが、なにより彼には、後見人だったエル・イェズラムからの莫大な相続財産があります」

「どこにそんなもんが」

 驚いて、スィグルは尋ねた。

「タンジール王宮の金庫にですよ」

 ラダックは、そんなことも知らんのかという目でスィグルを睨んだ。

「すでに帳簿が処分されているので、遡れる過去は知れていますが、そもそものエル・イェズラムの資産も、代々の相続によって生まれたものだと思います。この際ですから言いますが、なぜ族長は彼らに課税しないのですか。せめて相続を禁止すべきです」

 ラダックの話があまりに突飛に思われたので、スィグルはぽかんとした。

「そんな、ふぬけみたいな顔しないでください、殿下。伸るか反るかの大事なところですよ。玉座に座ったら、まず手始めに、竜の涙たちの世襲財産を禁止して、死んだ者からは順次、蓄財を回収してください。私兵を禁じるだけでは、手ぬるいですよ」

 そういうラダックが口にした玉座というのが、このグラナダのものではないことは、スィグルには漠然と感じ取れた。ギリスじゃあるまいし、なんでこいつまで、そんなことを言いだすんだろう。

「彼らは血縁でつながっているわけじゃありません。法で血縁者以外への相続を禁じれば足りることです。エル・ギリスに相談してはだめですよ、あの人は、金の流れをちゃんと理解しています」

 スィグルは思わず、そんな訳あるかという顔をしていた。ラダックは嘆かわしそうだった。

「私は休みの日に、彼とよく競馬に行きます。でも彼は滅多に賭はしません。しかし以前、私にこんな話をしました。もしも自分が全財産を大穴の馬に賭けたら、どうなるだろうかと」

「ギリスが大儲けするんだろ」

 スィグルは、ギリスとラダックがそんなに親しいという話のほうが意外だった。深く考えずに答える領主に、ラダックはこの阿呆の王族がと言いたげな、剣呑な目をし、そして言った。

「ちがいます。殿下が破産するのです」

 うっ、とスィグルは呻いた。

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