第7話

 ケシュクは職人の子だった。

 ギリスがこの界隈を、領主に命じられて巡察にやってきた時に、いつも手製の面白い玩具を自慢げに振りかざして遊んでいる餓鬼大将がいたので、なんとなく声をかけ、なんとなく知り合いになり、今では向こうから遊び友達だと思われているらしい。

 確かに気張らしがてら、ギリスは時々、ケシュクのところに遊びに来ていた。

 しかし今日はちゃんと用があってきたんだぞと、ギリスはケシュクに自宅に案内するよう言った。

 スィグルが、ケシュクの父親に褒美を持っていけと、金貨を渡してきたからだ。

 ケシュクの父はイマームという名の武器職人で、領主レイラスに王族が用いるにふさわしい矢を献納していた。朱塗りの軸に金の象眼細工があり、白い矢羽根が優雅な逸品だ。よく飛ぶと、スィグルは言っていた。

 その矢が今日の盗賊討伐で、ほとんど唯一と思われるスィグルの気休めの種を提供したので、さっそくにもその忠節を讃えたいとのことだった。

 きわめて質素な、工房を兼ねた借家に住んでいる職人イマームは、ギリスが渡した錦の袋に、蜂の紋章を刻印したグラナダ金貨が詰まっているのを見て、呆然という顔をした。

 男は膝丈までの、働く者らしい簡素な長衣ジュラバを着ていた。髪は後ろで一本に編んで垂らしてあり、木くずがくっついていた。

 そういう父親を、ケシュクは英雄のように崇めていた。母親は死んでいておらず、親子は二人暮らしだった。

 だがケシュクは寂しくないらしい。なぜなら英雄たちには母親はいないものだからだ。確かに、ギリスにも三つ子にも、生母はいなかった。

「こんなにいただけません」

 しばらくの間、納得がいくまで呆然としてから、イマームは褒美を断ってきた。

「いただいとけ。領主はお前にもらってほしいらしいから」

「じゃ一枚だけ……」

 青い顔をして、無欲な男は言った。

「持って帰ったら、不忠者っつって俺が領主に殺されちゃうから」

 ギリスは錦の袋を返そうとする職人の手を押し戻した。

 スィグルに正常な金銭感覚がないのは無理もないことだった。

 自分で労働して稼いだこともないし、そうやって得た金を使ったこともない。あいつも大変な生涯を生きてはいるが、王族のそれは、市井の者の背負う労苦とは種類が違う。

 それについては長らくギリスにとっても似たようなものだったが、グラナダの路地の空気と、金庫番ラダックの教えが、すっかり身にしみた今では、いくらか様子が違ってきていた。

「イマーム、ケシュクが持っているおおゆみだけど、お前が作ってやったの?」

 その場にいる子供の顔を見下ろして、ギリスは訊ねた。子供はむっとし、父親のほうはにっこりとした。

「いいえ。ケシュクが自分で作りました。調整は手伝いましたが」

 なんとなく苦笑しているイマームの顔を見ると、かなり手伝ったらしいことが伺い知れた。案外、実情のところは、ほとんどイマームが作ったのではないか。思いついたのがケシュクだとしても。

「俺の発明だからな!」

「どのへんがお前の発明なんだよ」

 威張っているケシュクに、ギリスは解説を求めた。いつものことだった。この子供は自分が思いついた技術を解説することに快感をおぼえる性分なのだ。

「連発式だ。すごいだろ。七発だよ、エル・ギリス。これなら相手が矢をつぐ間にやっつけられるからな」

 ケシュクの燃える目を見れば、この界隈の子供らの、可愛げのある抗争が、熾烈であることがうかがい知れた。ケシュクはいつも、自分たちとは違う井戸に所属している、よその餓鬼どもの、度肝を抜いたり、死ぬほど羨ましがらせたりするための大発明を生むため、寝食を忘れて努力しているのだった。

「俺は今まで、こんなもん見たことがない。お前は天才だ」

 ギリスは手放しでケシュクを誉めた。しかしケシュクは当然だという顔をした。

「まだまださ、エル・ギリス。目標は十連発なのさ」

「矢を装填する機構になかなか難しさがありまして。玩具とはいえ、俺まで必死です」

 部族の英雄に向かって偉そうな態度をとっている息子に弱ったのか、イマームは申し訳なさそうな顔で口を挟んできた。

「これは実戦用に使えるか、イマーム」

「実戦用ですか……。でもおおゆみは飛距離と精度に欠けます。弓のほうが威力があります」

 職人の言うとおりだった。

 わりと古来からおおゆみの機構は存在していて、特段珍しいものではなかったが、部族の戦士たちは自らの指で弓弦を引き絞る武器のほうを、威力だけでなく、栄誉のあるものとしていた。矢が正確に飛び、いかに遠い的を射抜くことができるか、そして二の矢を継ぐ素早さと、馬上からそれを射る巧みさこそが、男としての何よりの面子なのだ。

 おおゆみは、弓弦を引く腕力のまだない、子供のための玩具だった。だから正規軍のための武器として、真面目に開発されたことはない。

「ケシュクはどう思う。お前のおおゆみは、大人の引く弓には敵わないか」

 ギリスがそう訊ねると、天才は一瞬、ぽかんとした顔をした。

 それから、むかっとした顔をした。

「そんなことはない!」

 手に持ったままだった連発式のおおゆみを、ギリスの胸に突きつけて、ケシュクはまるで英雄譚ダージの英雄のごとく宣言した。

「よく言った。お前をグラナダ宮殿に召し抱える。レイラス殿下に仕える武器職人として」

 ギリスが言うと、ケシュクは高らかに宣言した顔のまま、静止していた。

「えっ。む、息子をですか」

 先に我に返った父親のほうが、上ずった声で叫ぶように訊いてきた。

「なんならお前も、助手としてどうだろう。元服もしてない餓鬼が住み込みで宮仕えだと、なにかと心配だろうから」

 ギリスが配慮めいたことを一応言ってみると、イマームはそんな馬鹿なという顔をした。

 自分はよくこういう目で人から見つめられるなあと、ギリスは思った。

「ええと……それは、決定なんですか、エル・ギリス。あのう、冗談ではなく?」

 イマームはなおも上ずった声だった。

 工房の戸口に立って、見物していた三つ子が、突然、口を挟んできた。

兄貴デンは冗談は言わない人だから」

「というか言えない人だから」

「力一杯、本気ですから」

 彼らは頷き交わしながら、無痛のエル・ギリスの仕様について解説していた。

 俺は今、冗談だと思われるようなことを、何か言ったろうかと、ギリスは悩んだ。

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