第6話

 グラナダ市街は夕景に変わろうとしていた。

 炎天に灼かれていた街の空気が、きゅうに涼しげになってくる。

 ギリスは着替えた三つ子を連れて、井戸のある路地を歩いていた。

「お前ら疲れたりしないの。着いたばかりだろ」

 ずんずん進んでいくギリスのあとを追って、三つ子たちはにこにこと着いてきた。連れてきたわけではなかった。出かけるところを見つかって、くっつかれたのだ。

 そうやって彼らを引き連れていると、なんとなく、ギリスはタンジール王宮で十やそこらだった頃の自分に戻ったような気がして、心許なかった。

「大丈夫、まだまだみなぎってますから」

 そうだよなとギリスは思った。

 とにかく丈夫で、よく飯を食うのが、自分たちの共通点だった。

 それは大事なことだとイェズラムは誉めていた。

 英雄たちの競争は名付けられた瞬間から始まる。

 銅鑼の音で一斉に駆け出す競走馬のように、誰も彼も一心不乱に走り続けるが、虚弱な者は石に負けて、十歳を待たずに一人また一人と脱落し、元服の歳に達する時には、このまま未来の英雄として養い続けてよいかどうかが決定された。

 長老会の眼鏡にかなわないものは、気の毒だが、その時点で敗退だった。

 英雄たちは莫大な俸禄を食んでいたので、役に立たない者を永遠に養っておくことは、王宮の金庫が許さなかったからだ。

 英雄たちは自らの群れに、一定の水準を求めた。

 元服の姿絵を描いてもらえるということは、その水準を満たしており、英雄としての人生を許されたということだった。

 描きあがったギリスの絵姿を見て、イェズラムは、お前がここまで辿り着いたのは、たらふく飯を食うからだと誉めた。

 なんのこっちゃと思ったが、そう教えられてから、晩餐のダロワージにまだ席を与えられていない子供部屋の連中を眺めにいくと、たらふく食うのから、ほとんど喉を通らないようなのまでいた。

 食わないやつは消えた。石の与える魔力がどんなに優秀であっても。

 それを尻目に、三つ子はいつも、がつがつ食っていた。

 彼らの魔力は振るわなかったが、その食いっぷりを見るにつけ、きっと元服の姿絵を描いてもらえるだろうという予感がしたものだった。

 予想通りだったが、相変わらず無駄飯を食っていたとはなあ。

「レイラス殿下は、なんだか雰囲気変わりましたよね、兄貴デン。宮廷にいた時、あんな人でしたっけ」

 背後から三つ子が話しかけてきた。路地からは夕飯を作る匂いがしていた。

「前は、もっと物静かというか、才知にあふれる沈思黙考派という雰囲気じゃなかったですか」

「それは今が、うるさくて阿呆な行動派に見えるという意味か」

 ギリスは突っ込んでやった。なんだかスィグルの嫌みな物言いが最近うつってきた。

「いやいやいや、そういう訳じゃないですけど。あんな自信たっぷりな人に思わなかったけどな、以前は」

「あいつは本来ああいう性格だったんだ。思うさまハジケるにしては、あいつにとって、玉座のダロワージの空気は薄すぎたんだろ。グラナダに来てから、才能が開花したのさ」

 振り返ってみると、三つ子は腹が減ったような顔をしていた。肉を焼く匂いがしていたからだろう。

 グラナダ市街には夕飯にする食べ物を売る店が沢山あった。一日の労働の後、都市に暮らす者たちは、そういう店で食い物を買って戻り、家族と食べるらしい。鉱山で日銭を稼ぐ層の住まいには、竈のないこともあり、そういう暮らしになるらしかった。

 自分で自分を養う力のない者あっても、この街では食事にありつける。

 民に施しをするのは王族の習いで、タンジールでも行われていたが、領主レイラスも族長に倣って、宮殿前の広場で盛大に食い物を配給してやっている。

 だからこの都市では人が飢えるということはない。

 スィグルは人の腹を満たすことには執念があった。

 時折ギリスを街にやって、あらゆる路地裏の奥の、薄暗い隅にでも、限度を超えて腹を空かしている子供や、見捨てられた老人や、放棄された赤ん坊がいないか確かめさせた。

 はじめはグラナダにも、そういうものは見かけられた。どこの都市にでもある普通の出来事だとラダックは言ったが、スィグルは予算を割かせて、腹ぺこの連中に飯を食わせた。

 狙ってやったことかどうか、ギリスは知らないが、その一事によって、グラナダは新領主レイラスを支配者として受け入れた。

 そういう姿を見るとき、ギリスはふと、あいつを玉座に座らせなければという執念を覚える。

 イェズラムの心眼に狂いはなかった。あいつが間違いなく新星なのだ。

「どうにもこうにも腹が減ってきたんですけど」

 三つ子が泣き言を言った。

「我慢しろ。飯は宮殿に帰ってからだから。お前ら運がいいぞ、今日は金曜日だろ。肉の日だ」

 ギリスが歩きながら振り返って教えてやると、三つ子は不思議そうな顔をした。

 到着した彼らを謁見したスィグルは、三つ子の英雄を晩餐に招いた。それが名前の前にエルがついている客に対する、王族として当然の礼儀だと思ったのだろう。

 あるいは、幻視術で謁見の広間に一面の花を咲き乱れさせ、その中に馬を走り回らせた、芸人のようなこいつらを、単に気に入ったのかもしれなかった。

 しかし、食べ物にからしき興味がなく、粗餐ばかり食っている領主の晩餐に付き合わされるのが、果たして喜ばしい名誉かどうか、怪しい。

 それでもスィグルは金曜には肉料理を中心とした贅沢な食事を作らせた。ギリスにとっては、その日だけが、生きている実感のする食卓だった。

 なんでも、かつて天使がスィグルに命じたらしい、金曜には肉を食うように。

 どうせだったら天使は、月曜や水曜にも食うように命じてくれればよかった。

 今からでも遅くないから、命じてもらえないだろうか。なにしろ天使ブラン・アムリネスは、スィグルの友人だというし、時折は連絡をとっているらしいから。

 そう考えながら歩いていると、路地から何か細いものが、膝くらいの低空で、ひゅっと音を立てて飛んできた。

 ギリスは避けたが、後ろにいるアミールだかカラールだかに、それは当たった。

「いてえ!」

 すねを打たれて、カラールだかルサールだかが悲鳴を上げた。

 路地から数人の子供たちが走り出てきた。どれもまだ肩を過ぎたあたりまでの幼髪をしており、それを思い思いのところで無造作に束ねていた。

「エル・ギリス、氷の蛇よ」

 他の子供を従えて、先頭に仁王立ちした一人が、まるで芝居のセリフのように物々しく呼ばわってきた。その子は、両手で何か十字の形をした木製のものを支えていた。

 弓のようだった。子供が玩具に使う、おおゆみだ。引き金があって、それを指で引くと、水平に弓弦を引っかけた弓から、仕掛けられた矢が飛び出す仕組みだ。

「このケシュク様の新兵器を、受けてみろ」

 そう言って、子供は自分の目の高さにおおゆみを構えた。そして、引き金を引いた。

 先を丸めたちっぽけな矢が飛び出してきて、ぽすぽすとギリスの胸に当たった。たぶん痛いのかもしれないが、ギリスはそれを感じなかった。

 だが驚いてはいた。

 子供が使ったおおゆみが、連発式だったからだ。

「どうだ!」

 七本の矢を放ってから、その子供はおおゆみを下ろして胸を張ってみせた。

「参った。まじで凄い」

 ギリスは勝ち誇る子供に、真剣に頷いてみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る