第4話
それから私は、レイヴェルやマリーに気遣われながら、今まで以上に静かな毎日を送っていた。レイヴェルが言っていた「王国内のごたごた」のせいか、人形姫の離宮を訪ねてくる神官たちもおらず、代わり映えのない日々を繰り返している。私の一日は、祈りと、食事を含めたマリーによる世話と、レイヴェルの朗読だけで構成されていた。
外の情報は、ろくに入ってこない。お兄さまは相変わらず、離宮を訪れる暇もないほどに忙しくなさっているようだ。このぶんでは、きっとお母さまも働き詰めなのだろう。
「何か私にできることはないのかしら?」
時間が経つにつれ、私にも焦りが生まれてきた。人形姫として育った私が、表の世界に対して何かできるわけではないのだが、どうにかしてお母さまやお兄さまをお支えしたい。
けれどもレイヴェルは、呑気に思えるほど穏やかに、私をなだめるばかりだった。
「大丈夫ですよ、コーデリアさま。あなたが心配なさることは何もないのですから。あなたはここにいてくだされば、それでいいのです」
「レイヴェル……せめて何が起こっているのかだけでも教えてくれない? お母さまはともかく、お兄さまが私に手紙のひとつもよこさないなんておかしいわ」
すでに「わずかな時間でもいいから、会いにきて外の状況を教えてほしい」という手紙を、レイヴェルに頼んでお兄さまに送ってもらっている。
だが、何通送っても一向に返事は返ってこない。手紙の一通も書く暇もないほど追い詰められているのかと思うと、余計に不安でたまらなくなる。
内乱か、はたまた神殿を絡めた宗教的な問題が起こっているのか。情報がないだけに、つい悪い方向にばかり考えてしまうのだ。
「……アーノルド殿下の手紙なんかなくても、僕が物語を読み聞かせて差し上げますよ。退屈なら、また新しい物語を持って参りましょう。ふたりでつくるのもいいですね」
「それは楽しそうだけれど……でも、今はそれどころじゃない気がするわ」
レイヴェルだけでなく、マリーまで何も教えてくれない。絶対に何かがおかしいのに、人形姫の離宮は怖いくらいに穏やかだ。
いや、あるいは平穏を演じていると言ったほうがしっくりくるかもしれない。以前は和やかだった離宮の空気は、どこか暗く澱んでいて、張り詰めているようにさえ感じるのだから。
その理由をマリーに尋ねても、震える声で「姫さまの考えすぎですよ」と一蹴されるばかりだった。
……本当なら、今ごろ儀式のために忙しく駆け回っているはずなのに。
本来の儀式の日取りは、一週間後に迫っていた。予定通りであれば、私は大勢の神官たちとともに一日中祈りを捧げているころだ。儀式に向けた仕上げの時期だった。
「コーデリアさま」
ふと、膝の上で揃えていた私の手に、レイヴェルの温もりが触れる。ソファーに座っている私を前に、跪くような体勢で手を握ってくれているのだろう。
「不安なのはわかります。でも、あなたがここで焦っても、何かが変わるわけではありません。アーノルド殿下や女王陛下だって、あなたに穏やかな心地で過ごしてほしいと思っているはずです。そのために、余計なことは知らせまいとしているのですから」
「それは……そうかもしれないけれど……」
私の手を包むレイヴェルの手が、なだめるように手の甲を撫でる。彼の優しさは嬉しいけれど、なんだか前向きな気持ちにはなれなかった。
「……コーデリアさまの不安を和らげるような、何か明るい物語をお持ちしましょう。紅茶でも飲んで、ここで待っていてください」
レイヴェルは私の手のひらにくちづけて、するりと手を離した。以前は眠る前だけにしていた手のひらへのくちづけも、今ではちょっと席を外す際にも欠かさなくなっている。
扉が閉まる音を聞きながら、私はレイヴェルにくちづけてもらった手のひらをそっと胸に押し当てた。
「……姫さま」
マリーが近づいてくる気配がする。彼女もこのところどことなく元気がなく、この人形姫の離宮と同じように「いつも通り」を演じているだけのような気がしていた。
「……レイヴェルが戻ってくるまで、お庭をお散歩なさるのはいかがでしょう? 気分転換になりますよ。薔薇の蕾が膨らんできておりまして、姫さまも香りを楽しむことができるかと」
「お散歩……」
以前は日課のように行っていたが、このところは体に障るといけないからと言われて、ほとんど外へ出ていなかった。
正直、花の甘い香りを楽しむような気分ではないが、適度な運動は必要かもしれない。
近ごろ、不安と焦燥感のせいで、ろくに眠れない夜を繰り返しているのだ。体を動かせば、すこしは寝つきやすくなるだろうか。
「そうね、ちょっとだけ出てみようかしら。……あんまり長く外にいると、レイヴェルが心配してしまうから、彼が戻ってくるまでね」
レイヴェルは、私が外に出ることを病的に心配していた。すこしでも無理をすると、また倒れてしまうと思っているらしい。私がひと月もの間臥せっていたことが、彼の心に傷を残しているのは確かだった。
マリーは「お支度をしますね」と言って、私の肩に薄手のストールをかけてくれた。
布の端をつまむと、でこぼことした糸の感触がする。
刺繍がされているのだろう。指先でなぞり、どんな柄か想像してみた。
「薔薇の刺繍がされているのかしら? マリーが刺してくれたの?」
「……はい。コーデリアさまは、薔薇がお好きですから」
「ありがとう。きっと見事なものなのでしょうね。丁寧な刺繍だって触れるだけでもわかるわ」
元気のないマリーの前であえて明るく振る舞えば、不意に、柔らかいものに上半身が包まれた。
石鹸の香りがする。とっさに判断がつかなかったが、おそらくマリーに抱きしめられているのだ。彼女が予告なく私に触れるのは、これが初めてのことだった。
「……マリー?」
「おいたわしや……姫さま。私が必ず、姫さまをお救いいたしますからね」
「救う?」
何のことかわからなくて、マリーの腕の中で首を傾げる。
マリーは戸惑いごと、ぎゅっと私を抱きしめて、それから「いつも通り」に笑った。
「……さあ、行きましょう、姫さま。レイヴェルが戻ってくる前に」
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