第44話
翌日、灯の家に俺をむかえにやってきたフリジアの頬にはモミジがあった。
シュナのビンタの痕が残っていたのだ。その痕をみたレンズが「一体、なにがあったんだよ」とさすがに聞いてきた。フリジアは、レンズの質問には正直に答えなかった。
「……ちょっと、虫を退治しようと失敗したんですよ」
フリジアの言い訳には、かなり無理であった。レンズもそう思ったらしく、苦笑いを浮かべる。さすがはレンズ、と俺は思った。きっとフリジアと同様の思い出も多いのだろう。
「おいおい、さすがに無理があるだろ。その掌、女にやられたんだろ」
レンズは、しげしげと赤い掌の痕を見つめる。
その間、フリジアはかなり不服そうだった。
気持ちはよくわかる。フリジアは告白したのに、シュナに頬を叩かれて告白を了承する旨を知らせる刺繍が入ったハンカチを投げつけられたのだ。話だけ聞いていると告白というより決闘が始まりそうである。
「随分と遠慮なくやられたもんだな。相手は、誰だ」
レンズの視線から逃げるように、フリジアは自分の手で頬を隠した。
俺は、そんな光景を見ながら思わず笑ってしまう。戦争が迫っているのに、ここは不思議に穏やかな時間が流れていた。
「ルロ様……痛み止めを持ってきました」
シュナが家の奥から、布袋を持ってきていた。中身を確認すると、その中には前に飲んだものよりもいくらか小さな粒の丸薬が入ってきた。この間飲んだものよりも飲みやすそうな大きさで、俺はいくらか安心する。
「一度に二粒飲んでください。予備は、灯様ももっています」
シュナの言葉を聞きながら、俺は腰に布袋をつけた。
「レンズさんとフリジアさんにも、念のため傷薬の軟膏を作ってきました」
シュナは、二人にも薬を渡す。
だが、シュナはフリジアと目を合わせなかった。それを見ていたレンズは、にやりと笑う。
「お前ら、何かあったな」
レンズの言葉に、フリジアとシュナは驚いていた。まさか、レンズに看破されるとは思わなかったのだろう。
「何もない。何もないですよ!」
フリジアは、慌てて否定する。だが、その顔は真っ赤である。シュナは、大きなため息をついた。
「この変態は、昨日私に求婚したんですよ」
あきれながら、シュナは言う。
レンズは、にやにやが止まらない。
「それで、シュナに断られたのか。シュナはどうして断ったんだ?また、こいつが自分勝手な理想を押し付けたのか?」
レンズの言葉に、シュナは首を振った。
「いいえ。今の私の肯定してくれましたよ」
シュナの言葉に、レンズは「ほう」と息を吐く。まるで、いくらか成長したなとでも言いたげな顔だった。
「前に求愛したときは、相手のことも考えなかったのにな。成長したもんだ。それにしても、シュナはどうしてフリジアのことを断ったんだ?フリジアは、いい物件だろ」
レンズの言葉に、シュナは首を振る。
そのしぐさは、どこかイライラしているようだった。だが、レンズの言う通りフリジアはお買い得物件ではある。名家の次男だが、剣の腕もいいし、頭もいい。将来有望だ。そして、なにより美形でもある。
「私は、まだ十四歳ですよ。求婚なんて早すぎます」
シュナの言い分は分かる。十四歳ともなれば舞踏会に出られる最低限の年齢であるが、その年齢で婚約する娘は珍しい。
だが、いないわけでもない。
特に王族や高位貴族は生まれて数か月で婚約者がいることもある。できるだけ身分の釣り合う相手が結婚相手として好ましいとされているために、高位貴族や王族たちはいつも結婚相手選びに苦心している。もっともそれは雲の上の話なので、フリジアたちには関係がない。
フリジアは、シュナの言葉に噛みついた。
「十四歳ならば、社交界デビューする歳です。婚約していても、おかしくないはずです」
フリジアの言い分は、正しい。
正しいが、やはり十四歳は早い方だろう。しかも、十四歳で婚約するのはたいていの場合は家の事情が絡んでいる場合が多い。本人たちの理由で婚約するのならば、やはり早いとしか言いようがない。
「待ってくれていればいいのに……」
シュナは、頬を膨らませる。
よく灯がやる表情に「一緒にいると似てくる癖ってあるんだな」と俺は思った。レンズは、シュナの言い分に深くうなずいている。レンズも、十四歳で婚約というのは早いと思う派らしい。ちなみに、レンズは自分の婚期を思いっきり逃している。
俺たちがこの場にいるせいか、フリジアは顔を真っ赤にして答えた。いつもよりも、とても小さな声で。
「……待っていたら、誰かにさらわれるかもしれないじゃないですか」
フリジアの言葉に、俺は思わず納得する。
灯が着つけたドレスを身に着けたシュナは美しかった。今回の舞踏会ではシュナに後ろ盾がないこともあって壁の花になっていたが、あと数年たてば後ろ盾など気にしない男が現れても不思議ではないほどだ。
レンズと俺は、「なるほどなぁ」と納得してしまう。フリジアは舞踏会に参加する有象無象の男たちより先に、シュナに唾をつけたかったのである。話はあまりにも単純である。だが、考えてみれば男女のことはいつだって単純なのかもしれない。
フリジアの言葉を理解したシュナは、顔を真っ赤にした。あまりにも赤いので、シュナの顔がリンゴになったのかと思ったほどである。
「それに、昨日はシュナからコレをもらいましたし」
フリジアは、昨日シュナに投げつけられたハンカチを見せた。白いハンカチの端には、小鳥が二匹刺繍されている。繊細なタッチで縫われたそれは、器用な人間が丁寧に縫ったことが分かるものだった。
「これシュナが、灯に習って縫っていたヤツ……」
たしか俺がここに来た当初ぐらいに、縫い方を教えてもらっていたハンカチであるはずだ。二匹の小鳥が描かれたそれは、女性からの告白に使う物のはずである。それを投げつられたフリジアは、とても嬉しそうだった。
「これが投げられたってことは……」
レンズは、ハンカチの模様とシュナを見比べた。小鳥が縫われたハンカチを男性に渡すのはひどく古めかしい告白方法で、一般的ではない。しかし、送られた(投げ渡された)フリジアは嬉しそうである。
「シュナもフリジアのことは、満更でもないってことか?」
俺は、冷静に呟いた。
間違っていないはずの俺の言葉に、シュナは頭から湯気を放つ。今にも暴れだそうとしているシュナは、レンズは羽交い絞めにされていた。
「あれは、そういうつもりじゃないの!練習で作ったやつだったし!!色々と雑に作ったし!!」
シュナはそう言って騒ぐが、ハンカチの刺繍は見れば見るほどに丁寧に縫われている。練習と言われれば何も言えないが、雑には作られていない。むしろ、丁寧に作られているハンカチだった。
「そんなに、じろじろ見るなバカ!!」
シュナは、大きな声で叫んだ。
あんまり騒ぐと、この場にいない灯に怒られそうだった。レンズは、シュナを離してやった。大柄の人間に羽交い絞めされたせいもあって、シュナは人間になつかない犬のように警戒していた。
「そのハンカチに、そんなに意味なんてないんです……。ただのついで」
シュナは俺からハンカチを奪い取ると、丁寧にたたみ始めた。たたみながらシュナは、ぼそりと呟く。
「私なんてモテないんですからね。そんなに……急ぐ必要なんてぜんぜんないのに」
シュナはそう呟くと、たたみ直したハンカチをフリジアに押し付ける。
シュナの言葉に、フリジアは真顔で尋ねた。
「どうしてですか?シュナは美人なのに」
照れ隠しだったのか、シュナはフリジアに殴りかかろうとする。俺は、慌ててそれを止めた。シュナがか弱い女性のふりをして、的確にシュナの弱点を狙おうとしていたからである。灯の教えをこんなときに発揮しないでほしい。
「そういえば、灯はどうしたんだ?」
レンズは、シュナに尋ねた。
さすがに色々騒がしくしているのに、家主が出てこないのも不思議な話である。
シュナは、俺の腕の中で暴れながら「ミソギに行っています」と答えた。
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