第43話


 俺が家の扉を開けると、そこにはシュナがいた。


 俺は、彼女に謝ろうと思っていた。


彼女のたった一人の師匠を俺は奪うのかもしれないのだから。


そこまで考えて、俺はようやくはっとする。俺は今更になって、灯を失うことを恐れていることに気が付いた。灯には、安全な場所にいてほしい。


 だが、それはきっと無理な話だ。


 灯は、絶対に俺についてくる。


 俺は、改めて父が戦争嫌いだったという言葉の意味が分かってしまった。父も、きっと灯には安全な場所にいてほしかったのだ。だから、戦争が嫌いだったのだ。


「シュナ!」


 フリジアの声が聞こえた。


 泣いていたシュナはその声に反応して、涙をぬぐう。


そして、毅然とした表情でフリジアを見つめた。フリジアは、どうしてか正装をしていた。俺の紹介の舞踏会で着ていた衣装のフリジアでは、平民服のシュナとは釣り合わないように感じられた。


「どうしたの。怪我でもしたの?」


 シュナの言葉に、フリジアは首を振る。フリジアは、緊張しているような気がした。灯の家に来るのは今さらなのに、どうして緊張をしているのだろうかと思った。


「君は……貴族の令嬢なのに、戦い手段までも会得していたのか」


 フリジアの言葉に、シュナは頷いた。


 その目には、すでに涙はなかった。師匠のように強い目で、フリジアに立ち向かっていた。一方で、フリジアはどうしてかシュナと目を合わせようとはしていなかった。


「灯様に……私を引き取った日から教えてもらっていたわ。一人でも生きていけるように……いいえ、一人でも守れるようにと」


 涙を捨てたシュナの言葉は、強いものだった。


 大切な人を戦場に出すことを悲しんでいる娘の顔ではなくて、教わったことを実行しようとする兵士の顔だった。


俺はシュナを見ながら、灯はシュナには自分のようになってほしいと願っていたのかと知った。医療を学び、武器も扱える、そんな万能な存在。そういう存在になってほしくて、シュナを養育していたのだと知った。


「君は、女なのに戦う手段まで学んで……益々嫁の貰い手がなくなってしまう」


 フリジアの言葉に、シュナはむっとする。


 フリジアの言葉に、思わず俺は頭を抱えた。今は結婚の話をするような場合ではないだろう、と思ったのだ。


「私は、それでもいいの!皆を守れるのならば、誰かのお嫁さんにならなくってもいいの」


 シュナは、そう叫んだ。普通の女の子ならば、結婚に夢を見る。だが、シュナは誰にもなれる教育を受けた。そのなかにある結婚と普通の女の子の部分に夢を見られなかっただけだ。


 このままでは話が平行線になると思ったシュナは、きびすを返して家の中に戻ろうとする。そんなシュナの手を、フリジアは必死に捕まえていた。


それに、シュナは驚く。


フリジアの頬は、赤かった。


シュナは、それに今更ながら気が付く。


「私は、顔なんて叩いてなんてないわよ!」


 シュナの突然の言い分に、フリジアは驚いていた。シュナは、フリジアの顔が赤いのは自分の暴力のせいだと思ったようだ。


「……顔が赤いのは、シュナのせいじゃありません。これは、その……」


 フリジアの態度は煮え切らない。


 だが、フリジアは勇気を出した。


「最初は、あなたは貴族の娘なのにと思ってた……けど、自分の力で、皆を守る姿は私たちと同じだ。今まで、すみませんでした」


 フリジアの謝罪に、シュナは視線をさまよわせる。


 まさか、謝られるとは思わなかったのだろう。


 そして、最後には耳まで赤くした。


「君は、私の師っている常識に収まりきらない女性だっただけなんですね」


 シュナは、フリジアの手を振り払った。


「昔の私なら……両親が生きていたころの私なら……戦うことなんてできなかったんだと思うわ。フリジアは、きっと昔の私の方が好きですよね」


 名家のお嬢様で、踊ることしかできなくて、武器なんて触ったことない令嬢が。


 シュナは指折り数えて、普通の令嬢が習うことをいう。


 きっとシュナの両親が生きてきたころは、シュナ自信もそんな習い事をしていたのだろう。だが、灯から教わることは令嬢らしく振舞うときには不必要なものばかりだ。


「でも、私は「今の私」のほうが好き」


 そう答える、シュナ。


「今の私だったら、誰かを守れるもの。誰かに守られずに戦えるもの」


 その答えは、シュナの自信に満ち溢れていた。


 世界で一番輝いている女性に見えた。


 そんなシュナと並び立つためか、フリジアは大きく息を吸った。そして、表情を引き締める。けれども、耳の赤みだけは取れないままであった。


「シュナ、私も今の君が好ましくなりました。好きになりました。どうか、私の妻になってください!」


 それは、町中に響き渡るような大声であった。


 俺はその言葉に驚き、急いでドアを閉めた。


 部屋のなかには、ニコニコ笑う灯がいて――ドアの外からはパンッと乾いた音が響いてきた。たぶん、シュナの平手打ちがフリジアに炸裂したのであろう。俺は思わず、外で何が起こっているのか覗き見てしまった。


「どうして、今更好きだなんて言うのよ!」


「明日は、もう言えないかもしれないからです」


 フリジアは真摯な瞳で、シュナを見た。


「明日から戦の準備が始まる。だから、今なんです」


シュナは何も言えなくなっていたが、顔を真っ赤にしてポケットのなかか何かを取り出した。それはハンカチだった。二匹の小鳥が縫われた刺繍入りのハンカチ。渡せば愛の告白になってしまうそれをフリジアに投げつけた。

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