第42話
領地を襲っていた敵が撤退したのを灯が確認すると、俺たちはそれぞれの家でゆっくりと休むことができた。俺は灯の家に泊まり、傷の手当てを受ける。館に行くことは考えなかった。
あそこも無事であるかどうかは、念のために確認はしたのだ。だが、俺にとって休む場所は灯の家になってしまっている。
「馬から落ちるなんて……ここに来た時と同じですね」
シュナは辛辣であったが、その通りだった。
この領地に訪れた際にも、俺は日射病で馬から落ちてしまっている。思い出すと、恥ずかしくてたまらなくなる。故郷で、乗馬をもっとやればよかった。いや、乗馬だけではない。政治の勉強やダンスの勉強。戦うための勉強も、もっとやるべきだった。
俺は、未だに覚えなければならないことが多すぎる。
未熟すぎる領主だ。
「ルロ様、これから中央で戦争が起きるでしょう。ベリル様と王子の間で……」
灯は、俺の胸の包帯を巻きなおしながらそう言った。
毛布は蒸れて暑かったので、普通の包帯を巻かれたことにほっとしていた。添え木も、骨折の時に使用するらしいコルセットに変更された。応急処置では苦しかった呼吸も、ちゃんと手当されると随分と呼吸がしやすいように感じられた。
「いつ頃始まると思う?」
俺は、灯に尋ねてみる。
灯は、難しい顔をした。
「すでに王位は空位です。先に戦力が整ったほうが、仕掛けるでしょう。私たちは、一刻も早く王都に戻るべきです」
灯の意見に、俺も同感であった。
灯は、不安そうに包帯が巻かれた俺の胸を撫でる。
「せめて、この怪我が治るまでは領地で静養していただきたいのですが」
灯の声は、ひどく残念そうだ。
だが、俺には時間は残されていなかった。
「剣を振るうのに問題はないんだろう」
俺は灯に、尋ねてみる。
灯は、難しい顔をして答えた。
「しっかり固定したので、多少ならば動けると思います。眠くならない痛み止めも調合しておきますが、無理はしないでください」
灯の声は、不安げだ。
「戦場では、ボクが近くに入れない場合も多いと思います。だがら、どうか無理だけはしないでください」
「灯様!」
シュナは、突然大声を出す。
見れば彼女は質素なスカートを握りしめて、今にも泣きそうであった。大人びた容姿をしているが、シュナもまだ幼い少女なのだ。養い親が死地に行くことが、不安でたまらないのだ。
「今回の戦争には、灯様も参加するんですか?」
シュナの言葉に、灯は頷いた。
嘘をつかない、凛とした横顔だった。
だが、同時にその横顔は俺には残酷なものにも思えた。
「はい。ボクは、兵士として復帰してルロ様と共に戦います」
シュナは、灯に抱きついた。
その様子は、幼い子が親に抱擁をしているようでもあった。灯は、それを拒否することはなかった。むしろ、シュナの背中の手を回し、きつく彼女を抱きしめる。
「行かないでください。前回の戦争の時みたいに、ここを守っていてください」
シュナの嘆きを聞きながら、灯は彼女の頭をなでる。
そして、聞き分けのない子供にいうようにシュナに語った。
「ボクは行くと決めたんです。ルロ様に、仕えると」
「利き腕の握力がないくせに!」
シュナは、灯の手をきつく握る。
灯は、痛そうな顔をした。
シュナの言葉は事実であった。かつての戦で、灯は利き手の握力をなくしてしまっていた。普段も、戦闘時も、それを感じさせないが、それを理由にして最近まで隠居していたのも事実である。
「それでも、行くと決めました。シュナ、あなたはここを守ってください」
灯の言葉に、シュナは涙をぬぐう。
「……私は、そこまで強くないないわ」
シュナは、小さくそう呟いた。
「まだ、灯様がいないと一人で立っていられない」
灯は、ちがうと言った。
「いいえ。あなたの心は、十分に強いです。ボクより、きっと強い」
「嘘。そんなはずない!」
シュナはそう言って、家から出て行ってしまった。扉の向こう側から、彼女が泣く声が聞こえてくる。取り残された俺は、灯に尋ねてみる。
「本当に、俺についてきていいのか?」
「はい。前当主様の時、最後の戦にはご一緒できませんでした。あなたための遺産になるために……今度は、遺産にはなりたくはないのです」
灯は、俺から離れる。
そして、夕食の準備を始める。
「さて、シュナを呼んできましょうか」
灯はそう言ったが、俺はそれを制した。
「俺が迎えに行ってくる」
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