第33話

王のための祈りが、協会に響き渡る。


 これが終わればいよいよ王とは、永遠の別れとなる。


その時であった。


神父の祈りが、最初に戻ってしまったのだ。そのような儀式なのだろうかと一瞬思ったが、他の客たちも不思議そうにしているので神父が間違ったのは自明の理であった。普通ならば、このような間違いが起こることなどほとんどない。だが、神父は悲しみや緊張でまちがってしまったらしい。


その間違いが、神父の間違いが、亡くなった王がどれほど慕われていたかを表しているように俺には思われた。粛々と進めるべき儀式が再び繰り返されることに、文句を言う人はいなかった。だが、一人だけ文句をいう人間がいた。


「おい、今間違えただろ。ただでさえ、長ったらしい儀式をこれ以上長くするんじゃねぇよ」


 ベリルであった。


 ベリルは、腰につけていた儀礼のための剣を抜く。儀礼のための剣の柄や鞘は、宝石や真珠が埋め込まれていた。遠くから見ても豪奢で素晴らしい一本だと分かる。しかし、真剣部分は刃がついている。戦には向かないが、それでも人を切れる剣だった。


 その剣に、ベリルの周囲の人間はおののいた。


「おやめください!」


 ベリルの部下だろう男が、彼の前に立ちふさがる。


王妃はスーリッツ王子を抱きしめ、暴漢と化したベリルから守っていた。それは、とても母親らしい行動であった。その行動を責める者はいなかった。


だが、この場に限って言えば王妃はベリルを止めなければならなかった。


なぜならば、この場でベリルよりも高位なのは、王妃の彼女しかいなかったからだ。


「どけ!」


 それだけ言うと、ベリルは自分の部下に向かって剣を振り下ろす。血で一線を描かれた部下は床に倒れこみ、それでもベリルの行動を止めようと彼の足首を掴んでいた。自分の主にこれ以上の狼藉を働いてほしくない、そのような忠義心が感じられる行動であった。


ベリルは、そんな部下の手を汚らしいものでも見るようにみつめていた。そして、ベリルはその手を振り払う。部下は、振りほどかれた手を悲しげに見つめていた。


 そのまま、まっすぐにベリルは神父の元に向かった。


 神父は、腰を抜かしていた。長い裾の礼服を床に引きずり、それでも神父はベリルから逃げようとしていた。この場で凶行に及ぼうとしているベリルは、俺の目には化け物にも思えた。


 俺は、思わず自分の剣を抜こうとしていた。


 だが、この場では王族以外は帯剣していないことに気が付いた。王族以外の帯刀は許されていなかったのだ。しかし、俺の意を正確にくんでくれている人間がいた。


 灯だ。


 灯は神父とベリルの間に入り、振り下ろされるベリルの剣を素手で止めた。


その光景に、全員が息を飲んだ。


東洋には真剣白刃取りという難しい技があるらしいが、灯はそれをやってのけたのだ。ベリルにも、灯にも、血の一筋も流れていない。灯は、神聖な場を血で汚さずにおさめて見せた。


「ほほう。面白いな」


 ベリルはそう言って、自分の剣から手を離した。


豪奢な剣の重さを灯だけが支えるだけになり、彼はバランスを崩す。灯はそれに目を見開き、次にくるベリルの蹴りに対応できていなかった。


ベリルは、灯の腹を力強く蹴った。


神聖な教会に「ぐっ」と苦しげな灯な声が響く。その声に、俺は自制心を忘れていた。


「灯!」


 俺は、フリジアに制止されているのに飛び出していた。


 武器もなにもない、相手は王族、そんな状態のなかで俺は灯を助けたいという思いしかもっていなかった。俺は灯の前に立って、灯を守るように両手を広げる。

その光景に慌てたのは、フリジアと灯であった。フリジアは俺がいた場所の隣で、頭を抱えている。「もう、おわりだ」と呟いているのが俺の耳にも聞こえた。


「ルロ様!」


 灯はすぐに置きあがり、俺の頭を無理やり下げさせた。


 少し前にベリルに蹴りを喰らったふうには、見えない動きだった。


 そこまでやって、俺はようやく灯がベリルに負けたふりをしたのだと気が付いた。おそらくはそうやって、丸く収める気でいたのだろう。


だが、俺が飛び出してきたせいで灯の思惑は外れてしまった。俺は、自分の拳を握り締めた。灯の思いをくみ取れなかったなんて、主失格だとも思った。


 灯は俺を守るように、ベリルの前に頭を垂れる。


 俺の心臓は、どきどきしていた。


 この時、俺たちの命を握っていたのはベリルであった。彼の機嫌しだいでは、俺と灯は殺されてもしかたがなかった。灯を蹴った時点でベリルの怒りが収まっているのならば、もしかしたら俺のミスで灯を殺してしまうかもしれない。だが、俺の心配に反して、ベリルは灯を殺すことはなかった。


「命がけでも、主の意思には従うか。益々、欲しくなったぞ」


 ベリルは膝をつき、頭を垂れた灯のおとがいに触れた。そうやって無理に顔を上げさせると、ベリルは灯の目を見つめる。油断ならない相手を見つめる灯の目は、相変わらず黒々としている。


「お前が俺の元に来れば主を殺さない、と言えばどうする?」


 そう言われた途端、灯は息を飲んだ。


 けれども、灯は俺を見なかった。


 灯が、自分よりも俺の命を優先するのは分かっていた。


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