第31話
俺は通された客室で眠れない夜を過ごしていた。
明日には葬儀が始まり、この国の貴族が一堂に会するのである。そんな大仰な儀式に緊張しているわけではない。
昼間に、灯がベリルの愛人に望まれる事件があった。そのことを考えて、ため息をついているのだ。
女性ならば高貴な人間の愛人になるのは、一番の出世の道である。男であっても、後ろ盾のない異邦人の灯ならば同じことが言えるかもしれない。
だが、灯は自分の意思で断った。
自分は、すでに俺の父親の愛人であるからと。
父親と灯、あの二人にはどのような絆があったのだろうか。俺は、そんなことを考えてもやもやしていたのだ。
それと同時に、灯が愛人になることを断ってしまったことでベリルとの関係が悪化しないかとも考えていた。ベリルに味方をするとはまだ決まっていないが、もしも彼の派閥にはいることになったときに問題にならなければいいと思うのだ。
それでも――……それでも灯がベリルの愛人にならなくてよかったことには安堵している。
「ルロ様、よろしいですか?」
部屋のドアの向こう側から、声が聞こえてきた。
入っていいぞ、と声をかけると灯が入ってきた。この手には、温かいミルクで満たされたコップが抱えられていた。
「眠れていないと思っていましたから、ミルクを持ってきました」
子ども扱いするなと言いたかったが、今は温かい飲み物と灯と二人で話せる時間が嬉しかった。今の灯はしっかりと縛った髪をほどいて、ゆったりとした服を着ていた。しかし、王宮にいるせいもあって、その服はいつもよりも質の良いものだった。
昼間の騒動を彷彿させるデザインであった。俺は思わず、灯の様子を凝視してしまう。足音がでないように歩く姿は優美に見えたし、顔立ちも男性的ではなく優しげな女性的なものだった。だが、一番灯を女性的に見せているのは美しい黒髪なのだろうと思った。男でも髪を伸ばす人間はいるが、灯ほど艶やかに伸びる男はそうはいない。
「どうかしましたか?」
灯に尋ねられ、俺は少しびっくりする。だが、昼間の話をするいい機会だとも思った。
「灯、昼間のことを聞いてもいいか?」
俺の質問に、灯は頷いた。
灯は、その質問がくることが分かっていたようだった。
灯は、とても落ち着いている。俺には、その落ち着きが大人の余裕に感じられた。
「僕と前領主様のことですよね?」
灯の言葉に、俺は頷く。
灯は、最初から父の愛人であったことを隠そうとはしなかった。
「俺は自分の父親にあったことはないんだ」
俺の言葉に、灯は静かにうなずく。
「存じています。奥様が田舎で静養されていて、ルロ様はそこで育ったんですよね」
灯の言葉に、俺は苦笑いする。
それと同時に、俺は過去のことを思い出していた。まだ領地にきたこともなく、何物でもなかった俺の頃だ。
「そんなの言い訳だよ。母上は、父上のことがきっと嫌いだったんだ。父上の血を受け継いでいる俺も嫌われていたんだよ。だから、俺に領地のことを何も教えなかったのかもしれない」
母にも愛されず、父にも愛されず、ただ義務だけを押し付けられた俺。
そんな俺についてきてくれた、灯。
その理由は、きっと父への愛なのだろうかと俺は思う。
「灯。灯は、どうして父の愛人になったんだ?」
俺は、ずっと気になっていたことを灯に尋ねた。
灯は、懐かしそうに微笑む。
「特別なことではなかったんですよ。新入りの僕が、前領主様の常に側にいるためには愛人という肩書が一番便利でしたから」
その言葉に、俺はあっけにとられる。
灯は、悪戯が成功した子供のような顔をしていた。この事実、もしかしたらフリジアやレンジは知っていた可能性がある。そして、すました顔で俺の反応を楽しんでいたのだろう。
「じゃあ、父上と肉体関係は……」
「ないですよ」
はっきりと答える、灯。
俺は、騙されたような気分になった。というか、父は特別な愛情を持たない相手にドレスやアクセサリーをプレゼントしていたのだろうか。ああ、あれは父が灯を女と思っていたし、灯が賃金を受け取らなかった故におきた事故か。
「それでも、よくしていただいたことは確かでした。前当主様からの愛情や信頼もあったと思います」
灯は、部屋の窓を開ける。
窓の外にあるバルコニーの柵に、灯は飛び乗る。危ないと俺は叫ぶが、灯はどこ吹く風である。鼻歌でさえ歌っているような楽しそうな表情に、俺は彼が酒を飲んでいるのかと疑った。
「灯、危ないから……」
俺が彼に近づくと、灯は嬉しそうにバルコニーの柵から降りた。
その拍子に、灯の香りがふわりとかおる。そこに酒に香りはなくて、防虫剤代わり焚かれた香のかおりだけだった。
「前当主様は、僕に自由にさせてくれました」
偶然流れ着いた異国の少年。最初は言葉すら喋れずに、大変だったのだろう。それでも、父はそんな少年を信頼し、自分の手当てを任せた。戦でも公の場でも親密にしていても、他の者に嫉妬を向けられないように、愛人という身分を与えた。
笑っていられる場所を作ったのは、父が灯に送った愛だったのかもしれない。。
「そんな前当主様が、一つだけ僕に命令をしました。それが、あなたに仕えることです。何があろうとあなたの味方でいることです」
父が唯一、灯に命じたこと。
それは、俺に仕えることだと彼は告げる。
俺にとって、それは嬉しくはない告白であった。
「灯、父上の約束なんて果たさなくていいんだ。俺が至らないのならば、すぐに見切ってくれ」
俺は、理想的な領主ではないであろう。
理想的な領主になれるかどうかも分からない。
そんなものに灯を巻き込むのは、なんだか悪いような気がした。
「灯、俺から自由になれ。自分の思うとおりに生きろ」
俺は、灯に命令した。
これが、灯に命令する最後の機会だとしりながら。
なのに、灯は微笑む。
「ルロ様。ルロ様に仕えているのは、自分の意思ですよ」
灯は膝をついた。王宮の毛足の長いカーペットが、彼の膝を優しく包み込む。
「ルロ様。あなたは、優しいお方です。他の傲慢な領主とは違うし、あなたはそうはならないでしょう。どうか、最後まであなたの思うように生きて、最後まで僕に仕えさせてください」
すくり、と灯は立ち上がる。
その微笑は、どんな淑女よりも楚々としたものに思えた。
「灯、俺には自分の理想が分からなかった。けれども、今ならば誓える」
俺は、灯に手を伸ばす。
灯は、されるがままに待っていた。
「俺は、優しい領主を目指すよ」
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