第28話

焚火で灯の髪がすっかり乾くころ、ようやく俺たちは眠りについた。


といっても俺は寝付けずにいた。体力の回復だけはなんとかしなければと思い、目だけはつぶっていた。これだけで精神は休まると聞いたことがあったのだ。


「灯……」


 俺の耳に、ファリアの声が響いた。


 どうやら、彼は灯の隣に座ったらしい。灯は恐縮し、居住まいをただす。ファリアは、楽にしていいと告げた。しかし、灯は体制を崩さなかった。灯の様子を見て、ファリアは少しばかり灯の勤勉さに苦笑する。


「新米領主の面倒は大変だろうね」


 灯をいたわる、ファリアの優しい声。


 その声に、俺は父を思う。


 父も、こうだったのだろうか。


 こうやって、灯をいたわってやれていたのだろうか。


「いいえ。やりがいがありますよ。なにせ、ルロ様はやんちゃ坊主ですから」


 灯の笑い声が、聞こえた。


 どうやら、楽しんで会話しているらしい。俺たちと違って少し対応が砕けているのは、ファリアと灯の年齢が比較的近いせいかもしれない。そう思いながら、俺はファリアと灯の談笑に耳を傾けていた。


 その談笑が、急に止まる。


 灯も黙ったので、俺は敵襲でもあるのかと思って剣だけは強く握った。だが、口火を切ったのはファリアだった。


「灯。私は、君を高く買っているんだ」


 ファリアの真剣な声。


 少し低い声に、灯が戸惑っているのを感じた。その戸惑っている灯の手が、ファリアに逃がさないとばかりに捕まえられた。驚いた灯だったが、すぐに呼吸を整える。そして、控えめな声で叱る。


「手をお放しください、ファリア様」


 灯は、自分からファリアの手を振り払うことはない。それは無礼であるからだ。いくらさっきまで談笑していたといっても灯とファリアでは身分は大きく違う。同じ陣営というわけでもない。しかも、だが、俺にはそれ以上の理由があるようなきがしていた。


「灯、私のもとで働いてくれないか」


 ファリアは、灯にそう尋ねた。


 俺は二人の聞きながらもドキドキしていた。


灯が、他の陣営に勧誘されるなど考えてみたこともなかった。灯は自分は引退していると言っているが、それ以上の働きを見せている。利き手の握力を失ったと言っていたが、戦闘においてはそんなものハンデすらならないという戦ぶりを見せる。


「買いかぶりすぎですよ、ファリア様。私はもう役に立たない人間です」


 灯は、いつだってそう言う。


 まだまだ現役で戦えると思うのに、灯本人は緊急時以外は参戦しない。


「そうだとは思えないよ。君だって、そう思っているだろう?」


 ファリアは、俺に声をかけた。


寝たふりがバレていたのだ。もう少しごまかせないかとも思ったが、ファリアの視線も感じるので無理だろう。俺がおきているかどうかなんて、灯も分かっているだろうが彼は悟っていて何も言わない。


 俺は、大人しく目を開けた。


俺の目に飛び込んできたのは、灯の手を強く握るファリア。その手の強さは、ファリアが灯に向ける執着のようなものに感じた。その執着が何故か恥ずかしく感じて、俺は視線を外した。それをどう思ったのか、灯は俺に声をかける。


「ルロ様……申し訳ありません」


 灯の言葉が、怖かった。


 灯が、自分の才能を認めたファリアの元に行ってしまうのだろうか。気になって振り向いた俺に、灯はにこりと笑って見せた。まるで、俺の不安をぬぐうように。


「ファリア様。どうか、ルロ様と二人で話をさせてください」


 灯がそういうと、ファリアが彼から手を離した。ずっと灯の手を握っていたファリスの手が、何故だか憎くてたまらなくなった。手を握っていただけだというのに。


灯は、すぐに俺に近づく。夜でも顔の形が分かるほど近づいてくるので、俺は思わず灯から顔をそらした。灯はそれを許さず俺の頬を掴んでまで、無理やり自分の方を向かせた。


俺が正面を向くと、それで灯は満足したのか俺の顔から手を離した。どうやら、灯は自分をまっすぐに俺に見てほしかったらしい。


「灯……」


 何がしたいんだ、という意味を込めて俺は灯の名を呼んだ。


 灯は答えなかった。


代わりに、灯は俺に手を差し出した。


俺は一瞬だけ、頭が真っ白になった。灯に手を差し出された意味が分からなかった。でも、その手を握ることに意味があるのではないかと思った。


俺は、灯の手を握って立ち上がる。


灯も立ち上がっていた。


子供のような背丈の灯が傍らに立つと、今だけ童心に帰れたような気がした。ファリアのことも、領地のことも、全ての責任から解放されたような気がした。


 灯はその場から逃げるように、俺をともなって森の奥へと進む。


 止まらない灯の背中に、俺は慌てて声をかける。


「灯、俺はお前がどこに行ってもいいと思っているんだ。だって、お前は元々は父上に仕えていて――……その父上はもう死んでいて」


 灯が、俺に仕える理由など父の遺言しか理由ないのである。


 なら、俺の役割は灯をその遺言から解放してやることかもしれないと思った。


 急に走るのを止めた灯が、振り返る。


 艶やかな黒髪がマントのようにひるがえり、黒曜石のような瞳が俺を見つめる。その目には決心があり、揺らぐことはなかった。


「ルロ様――……僕はたしかに前当主様の命令で、あなたに仕えていました」


 灯は、大きく息を吸った。


 次の瞬間には、俺は捨てられるのではないかと怯えていた。暖かな灯を失うのではないかと怖がっていた。


「でも、今は――」


 灯の言葉が響く。


「あなたの優しさを支えたいと思っています」


 灯の言葉に、俺は茫然としていた。


 ファリアに望まれるような、灯。


 そんな灯に、俺自身は相応しいだろうかと思った。俺は父ともファリアとも違って、一人前の為政者ではない。大人の恰好を許されているが、まだまだ中身は子供だ。


「――……灯、俺はお前に相応しくない」


 灯に聞こえないように、俺は小さく呟いた。


 すると『ぺしっ』とおでこに軽い痛みを覚えた。どうやら、俺は灯におでこをはじかれたらしい。


「相応しくないなんて、絶対にありません」


 どうやら、俺の独り言が聞こえていたらしい。


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