第27話

荷物が流された商人たちと共に俺たちは野宿することとなった。商人たちには大変感謝され食料などを分けてもらえたが、灯が目覚めることはなかった。


「たぶん、疲れだと思います。ずっと気を這っているところに、ルロ様が溺れかけたから」


 フリジアの言葉は、俺には信じられないことだった。


「疲れって……あれだけ動けていたのに」


 灯は全盛期のほど働きはできないと言っていたが、俺から見れば十分すぎるほどに動けていた。そんな人間が疲れで気を失ってしまうことが考えられなかった。


「おそらく、鍛錬は昔ほどやっていないんでしょう。手の握力のことだってありますし……」


 フリジアは言いよどむ。


 俺は、彼が何かを隠しているのではないかと思った。


「フリジア……どうしたんだ」


 俺は尋ねる。


 フリジアは、言いにくそうに答えた。


「灯さんは、もしかしたら私たちを心理的な面でしか支えることしか考えていなかったのかもしれません。だから、領地の経営のことや舞踏会のことなども口を出さなかった。でも、私たちがあんまりにも頼りないから、今回もついてきたのかも……」


 フリジアに言われて、俺は黙り込む。


 フリジアの言葉が正しいとすれば、俺が未熟だからこそ灯に迷惑や負担をかけてしまったことになる。どんなに強くとも、彼はすでに引退した身であったのに。


「ルロ様……自分だけが悪いと思っているんでしょう?」


 フリジアは、俺に尋ねる。


 俺は、無言でうなずいた。


「それは違いますよ。全部、私が悪いんです。ルロ様が川に飛び込んだ時に、私は躊躇してしまいました。だから、灯さんが行ったんです。灯さんに負担をかけたのは、むしろ私の方でした……」


 フリジアは、拳を握る。


「いいや。最初から、俺があんな無茶をしなければよかったんだ」


 俺は、ぼそりと呟く。


 御者が落ちた時、俺は自分だけで助けようとしてしまった。最初から、灯とフリジアの意見を聞けばよかったのに。


「……本当に、そうですからね」


 むくり、と灯が起き上がる。


 できる限り乾かしたが、まだ湿った髪を不機嫌そうに彼は振り払った。その様子は、いつもの灯で少し安心する。


「灯、平気か?」


 俺は、おそるおそる尋ねる。


 灯が気絶していたとき、感じていたことだ。灯の身に何かがあったらどうしよう、と。


 ぺこり、と灯は頭をさげた。


「はい。お見苦しいところをお見せしました」


 灯の行動に、俺とフリジアは慌てた。


 まさか、灯に頭を下げらえるとは思わなかったのだ。


「私の気絶は、どうやら気が抜けてしまったようですね。まったく、これで私が若くはないとわかったでしょう」


 灯は、俺とフリジアに詰め寄った。


 じりじりと近づいてくる灯に、俺もフリジアも固まってしまう。悪いことをしている自覚があるから、動けなくなるのだ。


「僕は、東洋人です。そのせいで若く見えていますが、中身は結構な歳なんですよ。心配かけないでください」


 ぷくりと頬を膨らませる、灯。


 俺たちよりもはるかに年上だと本人はいうが、そのしぐさは子供じみている。こういうことをやるから若く見られてしまうのではないだろうか、と思った。


 そして、灯はさっき叩いた俺の頬に触れた。


 色々なことをやってきて、ボロボロになった指先だった。この指先に、また無理をさせたのだと思うと申し訳なかった。


「先ほどは、失礼しました。けれども、これからはもう無茶はしないでくださいね。爺の寿命が縮んでしまいますから」


 灯は、真剣な顔でいう。


 俺とフリジアは、そろって顔を見合わせる。


「爺って……」


 その言葉は、俺とフリジアのどちらが言ったのかは分からなかった。


 しかし、灯なりの冗談なのは分かった。灯は、俺の父親よりは若いのだ。いくら年齢不詳の灯でも、そんな歳ではない。


「灯さん、そんな歳じゃないでしょう」


 俺と同じことを思ったフリジアに、灯はぺろりと舌をだした。


 そういう仕草をするから、年下に見られてしまっているような気がする。


「バレましたか」


 灯とフリジアは、そろって苦笑いをした。


 だた、灯だけが真剣な顔をしていた。


「でも、二人よりもずっと年上なのは事実なんですからね。自分のことを考えて……自分の身分を考えて、この爺を安心させてください」


 灯の言葉は、冗談じみている。


 だが、灯の目は真剣だった。


 俺は改めて、灯を失わなくてよかったと思った。


 父の世話を焼き、父と共に戦をかけた灯――。彼がいなかったら、俺はとっくの昔に領主としてダメになっていたかもしれない。


 そんなことを考えていると、灯は俺たちに改めて向き合った。その目は、さっきと同じく真面目な顔をしていた。俺とフリジアは、真正面に灯を見た。黒々とした冴えた瞳を真正面で見ると、灯はよくできた人形のようだなと俺はおもった。笑っているのか怒っているのか、判断しにくい表情だからかなとも思った。


「あと……もしも、僕が死んでも悲しまないでください。老兵はただ消えさえるのみです」


 その言葉は、フリジアにも向けられていた。


 俺もフリジアも、言葉を発することができなかった。


 目の前にいる人形のように綺麗な人の期限はとっくに切れて、今は余生を生きているだけなのだと思った。


「全盛期を過ぎた人間が、こうしてお役に立とうとしているのです。正直、いつ死んでもおかしくはな――……」


 灯は、最後まで言葉を言えなかった。いや、俺とフリジアが言えなくしたのだ。


 俺とフリジアは、同時に灯に抱き着いていた。


 まるで、子供のような俺たち仕草に灯は驚いた。灯は眼をぱちくりさせながら、飛びついてきた俺たちの頭を無意識になでていた。まるで、幼い子供にやるように。


「灯――長生きしてくれ」


 それが、俺の精いっぱいの願いだった。


「何を言っているんです」


 優しい声で灯は、俺の背をなでた。


「ルロ様、私は死ぬまで御そばにいますよ」


 灯は、そう言ってくれた。


 そう言ってくれることを信じて、俺は「長生きしてくれ」だなんて言ったのだ。


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