第25話

野宿をすることになった。


 本来ならば宿を取っても良かったが、街道の宿は全て埋まっていた。おそらくは、俺たちのような人間が宿を全てとってしまったのだろう。突発的な旅であったので、野宿は予測できたことだった。幸いにして、この場にいる全員に野宿の経験があった。騎士の鍛錬には、野営の訓練も含まれている。


 野宿をすると決まると、それぞれは馬から荷物を外して野営の準備を始めた。俺たちも持ってきたものを馬から順々に下ろしていく。フリジアも手際よくてつだってくれた。


 俺たちが野営の準備をするなかで、灯は周囲の確認ために馬を走らせていた。森のなかでの野営は、いつでも危険と隣り合わせだ。


大きな肉食獣の縄張りに入り込んでいる可能性もあるし、近くに野盗がいる可能性もある。周囲が安全だと判断すると、灯は俺たちの元に戻ってきた。馬の荷物を下ろしているせいか、馬の足取りが軽いような気がする。灯は、軽やかに馬から降りる。


「大型動物の糞も人のいる気配もありませんでした。このあたりには、野盗も野獣もいないようです」


 灯の報告を聞いた俺は、ほっとした。


 これで、今夜は比較的安全に眠ることができる。無論、交代で見張りは必要だが。


「ボクは、木の上で寝ますね。そっちの方が、全体を警戒できますし」


 灯の言葉に、俺は驚く。


「木の上なんて、不安定な場所で眠れるのか?」


 木の上なんてゴツゴツしているし、寝返りも打つことはできない。野営で快適な就寝を求めることは不可能だが、さすがに木の上で寝るような人間を俺は見たことはなかった。


「ボクは体も小さいですし、慣れていますから。だから、ルロ様は真似しないでくださいね」


 子供のように注意されたが、そもそも俺は木登りをしない。そして、木の上で寝てみたいという夢も持ったことはない。


「さすがに、俺は木の上で眠ろうなんてしないよ」


 俺は、嘘偽りない気持ちを述べた。


「じゃあ、俺はこっちで寝るから」


 俺は太い木の幹を見つけて、そこに寄りかかって休むことにする。使い古しの毛布を体にかけて、これで野宿の準備は終了だ。灯はそんな俺を見ながら、笑顔で上を指さす。


「では、ボクはその上で寝ますから」


 灯は、一度言いだしたことは引かない。ここは、俺が折れるしかないだろう。こうして、地面には俺。木の上には、灯。


こうして、俺は世界一珍妙な二段ベッドで寝ることになった。否、木は自然で出来たベッドではないのだが。


「相変わらずですね」


 その言葉は、ファリアのものだった。


ファリアの話を聞いた俺は、思わず父の時も灯は木の上で寝ていたのかと思った。できれば、父には灯の木で寝る癖を直してほしかった。だが、ファリアが言いたいことはそういうことではなかったらしい。


「あなたは、主の安全を何よりも考えている」


 ファリアの言葉は、灯に向かってのものだった。


木に登りきった灯は「当然」という顔をしていた。なお、灯も使い古した毛布をもっている。ボロボロの毛布だが、くるまっているとそれなりに温かい。灯は毛布を自分に肩にかけながら、ファリアに答えた。


「当然のことですよ。ボクのような下っ端の人間は何人もいますが、主はルロ様一人だけなのですから」


 灯は、そんなことを言った。


だが、俺はそう思わなかった。


灯は、替えのきかない人材である。だが、それをいざ言葉にしようとすると難しい。俺が難しい顔をしていると、いつの間にか灯が音もなく地面におりてきていた。そして俺のことが気になったのか、灯は首をかしげながらも俺の顔を覗き込む。


「どうしました?」


 本当に不思議そうな顔をしている、灯。


 俺も自分の思いが上手く言葉にならない、とは言いにくい。


 しどろもどろになっている俺を、相変わらず灯は大きな瞳でみていた。


 喉の奥で、「灯の言葉は違うのではないか」という言葉が出てきそうになる。


 俺より年上で、経験豊富な灯が、自分の言葉の意味を理解していないとは思えない。俺も、灯の言葉の意味は理解している。


灯の言葉は、戦争などの有事の際のことを思ってのことだ。戦の際に、俺は司令官となる。一方で、灯は鉄砲玉となるのだろう。


 どちらが重要かは、子供でも分かる。


 それでも――それでも、俺は。


「灯も、たった一人だ」


 気が付けば、俺はそんなことを呟いていた。


 俺の言葉に、灯とファリアは驚いていた。どうやら、二人とも俺がこのようなことを言い出すとは思わなかったのだろう。二人の視線を感じながらも、俺は拳を握る。言いたいことが、揺らがないように。


「俺にとって、灯はたった一人だ」


 俺は、自分でも何を言っているのか分からなかった。


灯が一人しかいないのは当たり前のことだし、フリジアやレンズも一人しかいない。誰もが、代用がきかない人々だ。だが、俺の口からでたのは灯の名前だけだった。


 どうして灯にだけ、そんなことを言ってしまったのだろうか。


 灯が、一番危なっかしいからだろうか。


 何にせよ、灯を失いたくない理由はまったく分からなかった。

 

「灯も自分を大切にしてくれ」


 気が付けば、俺は同じようなことを二回も言っていた。灯はまだ目を丸くしていて、猫のように見えた。


俺の言葉が、伝わりにくかっただろうか。それとも、俺が意図しない意味をはらんでしまったのだろうか。やがて、灯は優しい微笑いを浮かべた。


その微笑に、俺はほっとした。


俺の言いたいことが、灯に伝わったような気がしたのだ。だが、気が付けば灯の目は笑っていなかった。それどころか、どこか冷徹な目で俺を見ていた。


「命令を……命令をしてください」


 灯の口から出た言葉は、どこか冷たい。俺は、どうして灯がそんなに冷たい言葉を吐くのか分からなかった。


「ボクは、そうでなければ従えません」


 灯の目は、どこか寂しい。


それが、俺と灯の距離のような気がした。


だが、どんなに灯と距離があっても俺はかまわないと思った。どんなに距離があっても、灯が俺のいうことを聞いてくれるもならば。


「灯、自分を粗末にするな」


 俺は、彼に命令をした。


もしかしたら、俺にとっての初めての灯への命令だったかもしれない。初めての命令にしては、あまりに優しすぎるような気がしたが。


 灯は、少しだけ笑う。


 その笑みは、どこまでも優しいものだった。


「了解しました」


 灯の言葉が聞こえた。

 

 その言葉に、俺は少し安心していた。これで灯は、自分のことを少しは気を使ってくれるとおもったのだ。


「……前当主様もボクに同じことを命令しました」


 灯は、遠い目をする。


 そして、次に俺を優しい目で見つめていた。


「ルロ様、あなたは前当主様によく似ています」


 灯は、もしかしたら俺を通して父上を見ていたのかもしれないと思った。


俺と父は、よく似ているらしい。


火傷を負ってからは誰にも素顔を見せなかったという、父。医師であった灯ならば、焼け爛れた父の素顔を見たであろう。その焼け爛れた顔が、似ているのだろうか。


 俺は無意識に、自分の頬をさすっていた。火傷を負った顔と似ている、と言われるのは微妙である。灯は俺を見て、何かを察したらしい。灯は、吹き出す。


「火傷した顔が似ている、という意味ではありませんよ。ボクも前当主様が火傷を負う前のお顔は知りませんし」


 そうだった、と俺は思い出す。


 父と距離が近かった灯だが、彼が父を知ったのは火傷を負ったあとのことだ。元々の父の顔など知っているわけもない。


「骨格で、元の顔の形は大体わかりましたけどね」


 灯が、少し怖いことを言う。


 骨格だけで他人の見分けがつくと言うのは、なかなかに不気味だ。


 自分の親と骨格が似ていることは当たり前だが、知り合いに観察されていると思うと少し怖くなってくる。


「心根も似ているんですよ……あなた方、親子は」


 俺を見つめて灯は、微笑む。


 その微笑はとても優しく、見覚えがあった。前も灯は、こんなふうな目で俺を見たことがあった。母のような目だ、と思ったのだ。昔の母が、幼い自分を見つめていたような慈愛の目。灯の瞳は、それに似ている。


「あなたは、きっとよい当主になります」


 その評価が、俺にはなぜか不服に思われた。


 死んだ父と話してみたいとも思ったのに、良い当主になるとも言われたのに、よく似ていると言われるのは嫌だったのだ。反抗期だろうか、と俺は自分で思った。


 ぱちぱち、という拍手の音が聞こえた。


俺と灯は、同時に音がした方へと振り向いた。そこには、ファリアがいた。ファリアが、おざなりに手を叩いていたのだ。


「麗しい主従愛ですね」


 俺たちの様子を見て、ファリアをそんな感想をもらした。その言葉が、なんとなく油断ならないものに思えた。気が付けば、灯が俺の前に立っていた。守られている、と感じた。それを見たファリアは、苦笑いをした。


「灯をこちらの陣営にスカウトしようと思っていたのですが、その調子では、ちょっと無理そうですね」


 ファリアの言葉に、俺は驚いた。


 だが、少し考えれば全く驚くようなことではなかったのだ。なにせ、灯は優秀な医者でもあるのだ。欲しいと思う為政者がいてもおかしくはないのだ。それに灯は引退しているが、それでも普通の兵士よりも強いかもしれない。


「誘ってくださったのは光栄ですけど、僕は引退した身です。全盛期のような働きはできませんよ」


 灯は、そういってファリアの言葉を断った。


分かってはいたが、灯が話を断ったことを俺はほっとしながら聞いていた。灯が別の陣営に行ってしまうことなど、想像できない。


「それは知っているよ」


 灯に拒否されたのに、ファリアはにこにこしていた。これが年上の余裕なのだろうか、と俺は思った。


「人間は誰でも老いるものさ。私もそれは知っている」


 ファリアの言葉に、俺は首をかしげる。


もしかしたら、ファリアは灯が年齢によって引退したと思っているのだろうか。若く見える灯だが、実年齢は俺の父親より少し年上だ。年齢によって退役した、と思われてもしょうがないかもしれない。


「ファリア様。ボクは怪我によって、兵士を抜けました」


その言葉に、ファリアは驚いたようだった。


「だから、兵士への復帰は考えていないんです」


 灯の言葉に「信じられない」とファリアは呟いた。きっと全盛期の灯をファリアは知っているのだろう、と思った。だからこそ、失った灯の強さをおしいと考えているのかもしれない。


「そうか……あなたは、私と同じく老いで実力をなくしていくと思った」


 ファリアは、とても残念そうであった。


灯は、肩をすくめて見せた。


「お互いに怪我と年齢には勝てませんね」


 灯は自分の言葉に自嘲していたが、ファリアはまだ驚きを隠せないようだった。灯の引退がまだ信じられないようだった。だが、やがてファリアも仕方がないとばかりにため息をついた。


「私も……次の争いが最後のものになるかもしれない」


 ファリアは、ぼそりと呟く。


 俺は、改めてファリアを見た。戦に参加したことのない俺だが、背丈も高く筋肉もしっかりついているファリアが引退を控えているとは思えなかった。


「老兵はただ消え去るのみ、ですからね。若い人たちに期待していきましょうか」


 灯の言葉に、ファリアは何故か苦い顔をした。


「……老兵とて、消え去る場所と相手はえらびたいものだ」


 それ言葉は、ファリアのものだった。独り言のように聞こえた言葉に、俺は「そういうものなのだろうか」と考えた。所詮若造の俺には、老いた人間の気持ちは分からないらしい。


 こほん、とファリアはわざとらしくせき込む。


 その咳払いに俺と灯は、ファリアのほうを見た。


「灯、君が怪我が原因で兵を退いたのは分かった。それでも、私は君が欲しいと思う。考えてはもらえないだろうか」


 ファリアは、灯に向かって手を伸ばす。


 ファリアのたくましい指が、黒々とした灯の髪に触れた。だが、しなやかな灯の髪は、ファリアの指からするりと落ちた。


「私の忠義は、前当主様とルロ様に捧げました。それは、変わりありません」


 灯は、きっぱりと言った。


 俺は、どきりとした。その心臓の音があまりに大きいので、自分の心音が聞こえたのではないかと思って泡食った。当たり前だが、俺の心音が周囲に聞こえるなんてことはなかった。


 俺の心音が高鳴った、理由。


 それは、灯が父にも忠義を誓っているということだった。


 灯が俺に忠義を誓ってくれているのは、俺が父の息子だから。


 そう言われているような気がした。


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