第24話
しばらくするとフリジアが、灯の家に帰ってきた。
相変わらずフリジアは色々なところを走ってきたらしく、激しく疲弊していた。その姿があまりにも哀れだったのか、シュナはフリジアに水を持ってきた。フリジアは、それを一気に飲み干す。こんな場面を見るとシュナは根本的にフリジアことを嫌ってはいないように見えるのだが、恋愛関係になることはいやらしい。俺には人の心は分からない。
「レンズは了承してくれたか?」
俺の疑問に、フリジアは答える。
「色々と天秤にかけたら了承してくれました」
フリジア曰く、最初こそレンズは嫌がったらしい。それでも自分の代わりに王都に行くかとフリジアが問いかけると、渋々了承したようだ。レンズは王都に行く面倒よりも地元の領地の業務を回していたほうが楽だと判断したらしい。業務的に楽な方を選ぶのは、とてもレンズらしいと思ってしまった。
「ルロ様、準備はできましたか?」
灯に、そう声をかけられる。
振り返ると、旅装束を整えた灯がいた。
いつものゆったりとした服ではなくて、比較的体にフィットした服を着ている。そのせいで、灯の華奢な肉体が余計に際立った。羽織ったマントで体の線は隠しているが、いつもよりも頼りない印象になってしまう。こんな体で本当に長旅に耐えきれるのだろうかとも思うが、こう見えて灯は俺よりも強いのである。不思議だ。
「準備はできているけど、灯は馬に乗れるのか?」
聞いから、俺は「あっ」と思った。華奢に見えるが、灯は元々兵士だったのだ。馬に乗れないわけがない。気を悪くしただろうかと思ったが、灯は気にすることはなかった。
「はい、乗れますよ。最近ではシュナにも教えようと思ってました」
普通の貴族の娘は、馬には乗らない。
乗るとしたら、馬が引く馬車である。これでシュナが一人で馬に乗れるようになった日には、ますます彼女が普通の貴族の娘からさらに遠ざかる。そんな考えがよぎったが、灯には言わないことにした。たぶんだが、灯やシュナが目指しているものは普通の貴婦人ではないような気がする。
「ルロ様、灯さん、いきましょう」
フリジアに声をかけられて、俺は馬に乗った。
王都までは七日はかかる。
無論、馬を飛ばせばもっと早く着くだろう。だが、替えの馬がない状態では無理な走りはさせられない。
よろしく頼むな、と思いながら俺はフリジアが用意してくれた馬をなでた。フリジアの連れてきた馬は、性格よりも丈夫さで厳選された個体たちだった。七日の旅に耐えられるように、と。
俺たちは、馬に鞍や荷物をつけていく。さすがに、それを嫌がるような馬はいなかった。丈夫さを重視して選んだ馬だと言うが、性格も出来る限り大人しいものを選んでくれたらしい。さすがはフリジアだと思いながら、俺は準備を整えていく。
「ルロ様、ボクが先行します。フリジアさんは、一番最後を走ってください」
灯は、そういうと馬に飛び乗る。
灯の馬が、一番大荷物を積んでいる。灯の体重が一番軽く、大荷物を背負わせても馬の負担が少ないと思われたからだ。そのことを知ってか知らずか、灯は馬を勢いよく走らせる。
「おい、馬の替えはないんだぞ!もうちょっとゆっくり走ってやれ」
俺は、声を張り上げる。
だが、その声は灯には聞こえなかったようで、彼は馬の速度を上げていく。俺は「まったく」とあきれ返った。今乗っている馬が疲れてしまったら、替えが聞かないというのに。
「ルロ様。灯さんは、道中に危険がないかを見てくると言っているんです」
フリジアが、灯の思惑を答える。
「それに灯さんは、馬の扱いが上手いから無理はさせないと思いますよ」
フリジアがそう言うならば、信じるしかない。
それにしても、ただの移動だというのに灯も用心深いものである。先頭を灯、しんがりにフリジア。真ん中に、俺。これでは、まるで戦中の移動のようだ。
「灯さんは、いつでも戦をしているつもりなのでしょう」
フリジアはそういうが、俺には意味が分からなかった。
馬をなでながら、俺はフリジアに尋ねる。
「いつでも戦を?」
彼は、すでに兵士を引退しているはずである。それに現状も急いではいるが、戦は発生していない。灯のことが、良く分からない。そんなふうに考えていると俺の後を走るフリジアが、笑ったような気がした。
「灯さんは、常に暗殺を恐れているんですよ。普段からルロ様の世話を焼くのも、常にルロ様の身を守れるようにだって言っていましたし。……祖国で暗殺をしていたからか、灯さんはそこらへんは常に備えているんだと思いますよ」
そう言われて、灯が使用人のように俺に甲斐甲斐しい理由が分かった。ずっと灯の性格によるものだと思っていたが、まさか常に暗殺を恐れていたものだったとは思わなかった。
思い返せば使用人に暗殺者が紛れ込んでいた時も、彼女はわざわざ舞踏会に紛れて俺を殺そうとしていた。日常の一場面で事故に見せかけて殺そうとはせずに。
それができなかったのはきっと灯が常に俺の世話を焼いていて、使用人たちが必要以上に俺にかかわることがなかったからなのだろう。
「父のときから、そうなのか?」
灯は常に父の世話を焼き、常に暗殺を恐れていたのだろうか。
俺は、フリジアに尋ねる。
「はい、そうでしたよ。灯さんの負担が大きいのでやめるように、前当主様は言っていましたが灯さんが止めなくって」
フリジアは、呆れ気味に呟いた。
フリジアの言葉を聞いた俺は、とあることを思った。
灯の祖国の主は暗殺されたのではないだろうか、と。
そうでもなければ、灯がここまで暗殺を恐れる理由が分からなかったからだ。祖国の主にも、灯は全身全霊で尽くしていたのだろうか。灯の謎は、深まるばかりだ。
そんなことを考えながら顔を上げると、先行したはずの灯の姿があった。
灯は馬を止めて、誰かと話し込んでいる。
それは、俺たちと似たような風貌な男たちだった。この近くの貴族であろうか、と俺は思った。きっと俺たちと同じく、王都へと行こうとしているのだろう。
「灯!」
俺は、灯の名を呼んだ。
振り返った灯は、俺に向かって手を振る。灯と話している相手は、敵意のある人間ではないらしい。相手に敵意があったら、灯はあんなふうに笑わない。
「ルロ様!」
灯は、笑顔ははじけるようなものだった。相手は既知の相手なのかもしれないが、この間の舞踏会では見なかった顔だなと俺は不思議に思った。相手の服装からいって、灯個人の知り合いだとは考えにくい。もしかしたら、フリジアとも知り合いかもしれない。そう考えて、俺は振り返り後ろにいるフリジアに問いかける
「フリジア、知り合いか?」
尋ねてみると、フリジアは頷いた。やはり、知り合いだったらしい。俺とフリジアは馬の勢いを落とし、灯と合流した。
「ルロ様」
灯が、俺に嬉しそうに声をかける。その表情は、人懐っこい子犬のようだった。可愛らしいな、と思わず考えてしまう。俺より年上の灯だが、無邪気な顔をすると子供のように見えてしまう。付き合いが深くなればなるほどに、年齢不詳の度合いが上がっていく男である。
俺とフリジアが合流すると、灯は名前も知らない男たちを俺に紹介し始めた。
「ルロ様。こちらは、ファリア・サロサース様たちご一行です。前当主様が戦をされたときに、ご一緒されました」
父が共に戦ったという貴族の男は、随分と身長の高い男だった。目を怪我しているらしく、眼帯で片方の瞳を隠している。それ以外は端正に整った顔立ちと言いい、品のある風貌といい、まさしく貴族という風貌であった。歳は、俺の父親と同じぐらいだろうか。かなり老齢の紳士だった。
「あなたがルロ様ですね。先日はお披露目の舞踏会に出世できずにすみません。私の領地は常に問題をかかえているもので」
ファリアは、丁寧な礼を取った。
サロサースは国境付近に面している領土で、戦争となれば一番に被害を受ける地域である。そのため屈強な兵士たちが常駐しており、それを纏めあげるファリアは自国の兵士たちはもちろん敵国の動きも見ていなければならない。忙しい人なのである。
以前、父とも交流があった人なので舞踏会の招待状は出していたが、やはり忙しくてこれなかったらしい。そんなことを思い出しながら、俺も改めて自己紹介する。
「いいえ、丁寧なごあいさつありがとうございます。父に代わり領地の盛り立てていくつもりですので、よろしくお引き立てのことお願いいたします」
慣れたつもりの丁寧な礼だが、未だにちょっと緊張する。特にファリアぐらいの年代は、父を連想させるからかもしれない。今は亡き父に、採点されているような気分になる。
そんな俺を見越してか、ファリアは微笑んだ。
穏やかな笑い方をする男だ、と俺は思った。納めている領地が乱暴なところだから領主もレンズのような乱雑な人を想像していたが、ファリアは穏やかな人のようだ。
「灯が言っていた通り、純朴な方のようだ」
俺の目が、点になる。
どうやら、灯は合流する前に俺たちのことを紹介してくれていたらしい。無駄な時間は省けてよかったが、灯は一体なんて俺を紹介していたのだろうか。
「灯。俺たちのことをどういうふうに紹介したんだよ?」
俺は、灯に尋ねてみた。
だが、灯は笑うばかりで答えてくれない。俺は、ちょっとばかりむっとした。灯は、そんな俺の顔を見て微笑む。
「仲がよさそうですね」
俺たちの様子を見て、ファリアは笑っていた。どうやら、俺と灯のじゃれ合いが、面白かったらしい。俺は、ちょっと恥ずかしくなった。知っている人に見られたら何も思わなかったじゃれ合いだったが、知らない人に見られると恥ずかしい。
「ルロ様」
ファリアの声をかけられて、俺ははっとした。
他の領主がいるというのに、遊んでいる場合ではなかった。
ファリアは、にこやかにこんなことを言った。
「よかったら王都までご一緒しませんか。私たちのほうが人数が多いし、灯に先導してもらわなくてもいいですよ。彼の負担も減るでしょう」
ファリアは、灯の役割を知っているようだった。さっき灯と話していたときに、聞いたのかもしれない。なんにせよ灯の負担が減るのならば、ファリアの申し出は願ったりかなったりである。
「なら、ぜひお願いします」
俺は、そう伝えた。フリジアや灯から、異論はでなかった。大人数になれば、その分だけ野生動物や野盗に襲われにくくなるからだ。
俺たちは、ファリアが連れてきた人々も加え大所帯になって王都を目指した。王都に向かう道中でファリアとは、色々な話をした。最初は、普段はどうやって領地を納めているとかの真面目な話をしていた。
しかし、そのうちに会話は私的なものになっていった。
なんでもファリアには俺ぐらいの息子がいて、父不在の今は息子が領地を守っているらしい。会ったことのないファリアの息子が、俺は本気でうらやましかった。俺も、父の元で領地経営を学びたかった。そうすれば、今よりもずっと楽に領地で仕事ができたかもしれない。
母の領地にいたころは父のことを顔も見せない情の薄い奴だと思っていたが、今になって俺は父に教えてほしいことばかり出てくる。
だが、その父はもういない。
俺は、父と一言もしゃべったこともなかった。母の元に父が、一度も帰ってこなかったからだ。後年は顔を包帯で隠していたといったが、俺はそれさえも知らなかったぐらいだ。
今更になって、俺は父と喋ってみたいと思うようになっていた。
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