第23話
舞踏会の終わり、数日が経った。
舞踏会の後片付けも終わって、父の館もすっかり元通りになっていた。否、雇った使用人たちの頑張りもあって、埃だらけの二階がだいぶ改善されていた。
埃がぬぐわれた二階は、だいぶ人が住める環境になっていた。それどころか今まで埃で隠れていたところが露になって、使われなかったのがもったいないぐらいの豪奢な作りであったことも判明した。何か所も設置されたベットルームや磨き上げられたシャンデリアは、おそらく俺の先祖たちが大事に使ってきた場所なのだろう。
それでも俺は、父の館の二階に住もうとは思わなかった。いくら綺麗に掃除された場所でも、いくら豪華な家具が置かれた場所でも、この屋敷に俺を待ってくれる人はいなかったからだ。今でも屋敷は、仕事の日中のみ使われている。それもあって、使用人たちにも通いで仕事をお願いしていた。
俺はこの屋敷を仕事場だとは思っても、住む場所だとは思えなかったのだ。俺の住まう場所は、灯やシュナが夕飯を作って待ってくれる家になりつつあった。灯の家に居座っていた父のようになりつつなるなと思いながら、俺は日々を過ごしていた。
灯の家で寝て、飯を食べる。それが、俺の日常になりつつあったのだ。そんな日常のなかで、俺は灯にとあるお願いをした。
俺は真剣に灯に「剣術を教えてくれ」と頼んだ。
灯は、俺の言葉に少し驚いていた。
ちなみに、灯は薬の調合中だった。薬草をすり鉢に入れて、ごりごりとかき混ぜている。珍しくもない灯の普段の仕事風景である。シュナもそれを手伝っており、彼女は俺の申し出に首をかしげていた。シュナにしてみれば、俺も騎士の修行を積んだ男である。それを今更になって何を教わるのだろう、と思っているのかもしれない。
「いいですけど……」
俺の言葉に、灯は少し戸惑う。
どうやら、灯もシュナと同じ疑問に突き当たったらしい。彼がシュナと違ったのは、薬を煎じる手は止めずに考えていたことだ。灯の顔は少し、悩ましげにゆがめられている。そんなに難しいことだろうか、と俺は思った。
「灯様」
シュナが、灯に声をかける。
その声に、灯ははっとした。
どうやら悩みに一生懸命になりすぎて、薬草をすりつぶし過ぎてしまっていたらしい。珍しい失敗に灯自身が顔をしかめつつ、俺の顔を見て答えた。
「ボクの剣術は、この国の王道のものとは違いますよ。ルロ様が覚えるのだったら、レンズさんに頼んだほうが確かもしれません」
灯の剣術は異国のものであり、俺たちのなかでは異質だ。それらを改めて覚えなおすのも大変だろう、灯は言った。しかし、それとは違ってレンズは武器こそ斧だが、剣術もこの国のものだ。訓練には、もってこいの相手である。
「実は、レンズにはもう頼んだんだよ」
実は、レンズにはすでに頼んだ後なのである。だが、レンズには自分の修行にならないと言って断られてしまった。俺は、レンズより弱いのでいたしかたがない。だが、堂々と自分より弱いと言われるとそれはそれで悲しくなる。俺からその話を聞いた灯は、ため息をついた。
「あの人は、本当に自由ですよね。仕方がない。これが終わったら、見てあげますよ」
俺は、てっきりレンズは戦うのが好きだと思っていた。
初対面から、ずっと灯と戦いたがっていたからだ。だが、レンズは自分と実力が拮抗している相手と戦うのが好きなのであろう。だから、実力が足りないと思われている俺と戦ってもつまらないと思われているのだ。逆に異国の剣術を使う灯は、怪我をして引退してもレンズの興味の対象なのだ。
「灯様」
シュナが、灯に声をかける。彼女はすでにすり潰した薬草のなかに手を入れて、丸薬を作り始めている。緑色の小さな丸薬がどんどん積み上げっていく光景が、俺には物珍しく見える。
「あとは、私がやっておきます」
シュナは丸薬を丸めながら、そう言った。あとの作業は、シュナだけでもできることらしい。灯は立ち上がりながら、シュナに微笑みかける。
「ありがとう、シュナ」
灯は、薬を煎じていたすりこ木を洗い始めた。シュナは相変わらず、すりつぶした薬草を丸めている。小さな弾薬を丸める作業は根気が必要なようで、シュナの表情はどんどん険しくなっていった。
こほん、と灯は咳払いする。
いつになく真剣な灯の様子に、俺は背筋を正した。それと同時に、少しワクワクしていた。灯が操る異国の剣技。どうやれば、その剣技を身に着けられるかかどうか楽しみだったのだ。
「ルロ様、ボクの修行法は基本的に身体能力を高めていくことです。だから、ひたすら筋トレです」
灯は、珍しく目を輝かせて言った。純粋な子供のような瞳だった。こんなふうに瞳を輝かせる灯は初めてだったので、俺は嫌な予感がした。
「筋トレって?」
俺は、思わず聞き返した。別に筋トレの意味が分からないというわけではない。しかし、灯の口から出てくる言葉とは思えなかっただけだ。灯は、指折り数えながら筋トレの方法を羅列していく。
「走り込みとか、素振りとか、木登りとか」
地味である。
俺も騎士の修行をしていたから、地味な筋トレの大事さは分かっている。しかし、木登りは関係がないだろうと思う。あれは、子供の遊びだ。
「木登りは訓練にならないだろう……」
俺が本音をもらすと、灯は「それは違います」と否定する。
「身軽に、どこでも素早く登れることは大事なことなんですよ」
灯は鼻息を荒くして力説するが、俺にはいまいち木登りの重要性が分からなかった。だが、このまま放っておけば俺は修行の一環で木登りをやらされることになる。それだけは、御免だった。たぶん、近所の子供に笑われる。
シュナが、ため息をつく。
「灯様って……結構、筋トレが好きなのよ。基本的に脳筋だから」
シュナの呟きに、俺は声が裏返りそうになる。
それは、灯のイメージにとても似合わないものだったからだ。
「えっ……だって、灯って医者だし」
俺としては、なにか効率的な訓練方法を灯が知っていると思っていた。医者であるし、人体にも詳しいだろうと。
だが、シュナは首を振る。
その顔は、どこか暗いものだった。もしかしたらシュナは、異国風の筋トレにすでに参加したことがあったのかもしれない。シュナは女の子だから、そんなことないと思いたい。
「灯様の医療は基本的に訓練中に怪我をしたから治すために学んだり、相手を毒殺するために薬の勉強をしたりして習得したらしいですよ」
シュナの言葉は初耳である。
俺はてっきり異国にも学校があり、そこで灯は医学を学んだと思っていた。だが、俺の予想は外れていたらしい。
「ちゃんと師匠について医療も学びましたよ」
灯は、ちょっとばかり不満げに言う。どうやら灯は今のシュナのように誰かに師事をして、医療を学んだらしい。俺は、そこで首をかしげる。
「灯って、故郷でどんな学校に通っていたんだ?」
祖国でも暗殺をしていたとも聞いていたが、灯は医療も学んでいる。しかも、怪我をしていても戦えるほどに強いのである。一体、どのような学び舎で学べば灯のような人材が育つのだろうか。
「私は、寺子屋に通っていませんでしたよ」
灯は、なんてこともないように答えた。
寺子屋、という言葉は初めて聞いた。灯は「学校のようなものですよ」と答えてくれた。寺子屋は、子供を集めて読み書きを教えるところだという。高等教育は施さないらしいので、俺たちが想像する学校とはちょっと違うかもしれない。
ちなみに、俺が想像する貴族の子弟や裕福な商人の子供などが通うところである。通う子供たちは大抵の場合は家で家庭教師を雇っていて、読み書きができるようになってから学校に通うのだ。そのため、学校で教わるのは歴史や数学などの高等教育だ。
「ぼくは寺子屋に通わない代わりに、複数の師匠についていたんです。戦い方や暗殺、医療はそこで教わりました」
灯は、寺子屋に行ったことがないらしい。代わりに読み書きは、師匠たちに教わったという。思い返してみれば、灯はこちらの言語も最初はレンズに教わっていた。灯は、とことん学校に縁がない男なのかもしれない。
そんなことを考えている、灯が突然立ち上がった。
そして、嬉しそうに俺に手を差し出す。
「まずは、走り込みですね」
灯は、実に楽しそうに言う。
まるで、灯と一緒に走ることが決定したかのような雰囲気だった。俺としては灯に剣術だけを教えてもらいたかったのだが、このままでは走り込みが始まってしまう。
「さて、ルロ様、頑張って、走りましょうか」
灯はやる気十分で、準備体操までし始めている。
シュナは、灯の行動に呆れていた。もしかしたら、灯はこうやって誰かと筋トレをしたがる趣味でも持っているのかもしれない。レンズだったら喜んでついていくかもしれないが、残念ながら俺には人と一緒に筋トレする趣味がない。
「灯、ちょっとまて……!」
俺が止めるのも聞かずに、灯は外に飛び出そうとする。本当に楽しそうな灯に水を差すのは気が引けるが、俺は筋トレをする気はなかった。だが、灯を止めるのも骨が折れそうである。
シュナは、そんな俺たちを見て「診察の時間までには帰ってきてください」と冷静に言った。灯は子供のように「うん」と返事をした。釘を刺しておかなければ、灯は日が暮れるまで訓練に付き合ってくれるような気がした。まったく嬉しくないが。
そんなとき、灯の家のドアが勢いよく開いた。
てっきり患者が灯を訪ねてきたのかと思ったが、入ってきたのはフリジアだった。フリジアは自分で走って灯の家に来たらしく、息を切らしていた。どこかを怪我をしたふうには見えない。フリジアの家族に何かがあったのだろうか、と俺は思った。
「どうしたんだ、フリジア?」
俺は、息を整わないフリジアに尋ねた。
こんなふうに慌てるフリジアは珍しいので、よっぽどのことがあったのではないかと思った。特に最近のフリジアはシュナには派手に振られたこともあり、気まずさから最近は灯の家に近づこうともしていなかったのに。
「王が崩御されました」
息も整わないうちに、フリジアは衝撃の一言を言った。
その言葉を聞いた俺や灯は、驚愕のあまりに言葉を失った。あまりの衝撃に、俺と灯は無意識に顔を見合わせていたほどだ。意味が分からないシュナだけは、首をかしげていた。
「崩御って……」
灯が、分からない言葉を小さく繰り返す。
「お亡くなりになられたということですよ」
灯が、シュナにそっと説明する。言葉を理解したシュナも驚いて、目を見開いていた。王が亡くなるということは、それほどまでに衝撃的なことなのだ。
「こうしてはいられません。王都に行って、葬列に参加しなければ」
フリジアの焦りの原因は分かった。
王が崩御したとあれば、すぐに葬儀の準備が始まるものだ。俺たちは、葬式に間に合うように領地をたたなければならない。
「ああ、今すぐに馬を用意しよう」
俺は、灯の家を出ようとした。王の葬儀となれば準備しなければならないものがたくさんあるが、まずは足となる馬を確保しなければならないからだ。だが、俺が家を出る前に灯に呼び止められる。
「ルロ様!」
灯は、真剣な顔をしていた。
俺は、その表情に一瞬戸惑ってしまった。
「ボクもお供します」
灯の言葉は、予想外のものだった。
医者である灯に同行してもらえるのならば心強い。だが、灯はここらで唯一の医者でもあるのだ。連れて行けば、近隣住民に迷惑をかけるかもしれない。
「診療所は、どうするんだ?」
医者である灯が、診療所を放り出すわけにはいかないだろう。
灯は、自分の後ろを見た。そこには、丸薬を丸めていたシュナがいた。彼女は、きょとんとした顔をしていた。
「ボクの代わりにシュナを残します」
灯の言葉に、シュナは驚く。
自分の手が薬だらけなのも忘れて、シュナは灯に詰め寄った。
「灯様、本気ですか?」
灯の決定は、シュナにも予想ができなかったらしい。慌てふためいていたシュナは、服が汚れることも忘れて汚れた手で灯の胸元を掴む。
「シュナは、もう一人で診療所を守れますよ。ボクは、シュナにすべてを教えてきましたし」
灯は、シュナの背中を優しくさする。そうやって、シュナを落ち落ち着かせようとしていた。だが、シュナの不安な様子は変わらない。
灯が、俺たちに同行すること。
そのことについてシュナはまだ納得できないらしく、顔をうつむかせていた。そんな気弱なシュナを灯は慰める。
灯は、シュナに顔を上げさせた。そして、暗い顔をしているシュナの口角を指で無理に上げさせる。無理やり笑顔にさせられたシュナを見て、灯はにこりと笑う。
「ほら、笑顔で自信をもってください。シュナだったら、やれます」
灯は彼なりの方法で、シュナを慰めていた。シュナはあきらめきれないというふうに、灯の腰を抱きしめる。その光景は、動物が子に親に甘えているようだった。二人は、極々自然に甘えることができる関係なのだと俺は改めて思った。
「ボクは、十分シュナに医学を教えています。それを忘れずに仕事をしていれば、大丈夫ですよ。……いざっていうときは、皆を守ってください」
灯の言葉に、シュナはゆっくりと離れた。シュナは離れるのが名残惜しいというふうだったが、灯は嬉しそうだった。シュナの独り立ちが、嬉しいのかもしれない。
「灯様。私、頑張ります。しっかし、ここを守るわ」
瞳をうるませながら、シュナはそう宣言する。
灯は、それを嬉しそうに聞いていた。
「それでは、ルロ様。旅の準備を整えてきます」
灯はそう言って、一度家の奥へと戻った。
灯は旅の準備を進めるつもりらしいが、俺はまだ彼が旅について来ることを許可していない。随分と気が早い。
「ルロ様……灯様をよろしくお願いします」
珍しくシュナが、俺に頭を下げる。
あまりにも珍しいので、俺は驚いてしまった。
「え……いや、まだ灯を連れていくとは決めてないけど」
しどろもどろなりながら、俺はシュナにそう告げる。
だが、シュナは首を振った。
「灯様は、ルロ様に絶対についてきます。灯様にとって、ルロ様が一番大事だから」
シュナの言葉に、俺は言葉を失った。
そんな俺を無視して、シュナは言葉を続ける。
「ルロ様……灯様は守る順番を違う人じゃないわ」
シュナの言い分は、良く分からなかった。
だが、俺にしてみれば、灯の一番はシュナのような気がする。今回は置いていくと言っていたが、灯はシュナを弟子としても養い子としても大事にしている。俺はそれを伝えようとしたが、先に口を開いたのはフリジアだった。
「ルロ様、レンズはここに残ってもらいましょう。彼ならば、ここでの業務を分かっていますから」
レンズは内政が苦手だと言っているが、やってもらうしかない。今のところ内政の業務に携われて、信用が置ける人物が少なすぎるのだ。それに今はレンズの他にも、父の代から内政にかかわってくれている人材も集めている。レンズだけでも何とかなるであろう。そこまで考えて、俺はフリジアの案に頷いた。
「それでは、レンズに話を通しておきます」
フリジアはそう言って、再び走り去っていった。
あまりにフリジアが急いでいたために、締め忘れたドアが揺れていた。それを見ながら、俺はぼそりと呟いた。
「はぁ……これから忙しくなるぞ」
俺の言葉を聞いていたシュナは、首をかしげる。
崩御という言葉が分からなかったこともあり、シュナは貴族が受けるべき教育は受けていないようである。あるいは、教育を施している灯が知らないのかもしれない。
「何が忙しくなるのよ。王様が亡くなったら、速やかに王子様が継ぐだけでしょう」
やはり、思った通りだった。シュナは、中央で起きている権力争いをまったく知らない。俺は少し考えてから、口を開いた。保護者の灯以外が教えてもよいかと思ったが、全く知らないのも問題があると思ったからだ。
「今のところ王の座を争っている派閥が二つあるんだ。王が亡くなったってことは、その二つの間で争いが表面化するってことだ」
シュナは知らないであろうが、現在王位を狙っている派閥は二つある。
一つは、王の弟であるベリル派という派閥。
もう一つは、幼い王子の派閥のスーリッツ派である。
俺たち貴族はどちらの派閥に味方をすることになるか、これから頭を悩ますことになるのだ。どちらかに味方することによって、その一族の繁栄と衰退が決まるのだから。
「シュナ、もしかしたら長く王都にいるかもしれない」
俺は、シュナにそう告げた。
シュナは、何故という顔をする。
実際のところ、ベリルもスーリッツも次の王に相応しいという噂を聞いていないのだ。特にスーリッツは現在十歳。幼すぎて現在生母のリリが後ろ盾となっている。
ベリルも性格が粗暴と聞いており、王になるのは不安に思われる。だが、この二人が一番有力な候補なのである。
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