第22話
俺はレンズを引き連れて、飲み物を取りに行く。ワインと比べて、ノンアルコールは貴重だ。アルコールに弱い女性用の飲み物だが舞踏会の参加者は全員が成人済みだし、ワインを飲めないような夫人は実は少ないのだ。
それでもアルコールを飲めない夫人は一定数いるので、ノンアルコールを用意しないわけにはいない。ホールを歩き回って、ノンアルコールを配っている使用人を探す。
「おい、こっちに二杯くれ」
ノンアルコールを配っていた使用人に俺は声をかけて、俺は美しい桃色の飲み物を二杯貰った。甘いジュースを混ぜ合わせて作られた特別な飲み物は、アルコールの入ったカクテルにひけを取らない美しさだ。
こんな美しいものをどうやって作っているのだろうかと思いながらノンアルコールの液体を見つめていると、俺の耳に物音が聞こえた。それは、外の方から聞こえてきた。
賑やかなホールには似つかわしくない、甲高い金属音だ。そんな音が、誰もいないはずの庭の方が聞こえてきたのである。
「レンズ、外に誰かいるのか?」
俺の質問に、レンズは首を横に振る。
その顔は、どこか厳しいものだった。
「いや、今はいないはずだな」
レンズはそう言うが、説得力のない顔である。レンズも庭で何かが起こっていると考えているのだろう。
「見に行くぞ」
俺がレンズに声をかけると、彼は少し嫌そうな顔をした。やはり、レンズは外でなにかが起こっていると分かっているらしい。だが、それに俺を近づけたくはなさそうだった。
「俺としてはお勧めしないぜ。室内の綺麗なものだけみておけよ」
レンズは、外で何かが起こっているのか明確に知っているらしい。だが、それを俺は知らないでいる。それは、許されないことのような気がした。
「そういうわけにはいかないだろ。俺は、主催者だぞ」
もし、何かが起こっているとしたら主催者として客人を危険にさらすわけにはいかないと思った。そのためにも、外で何が起こっているのかを確かめないわけにはいかない。
俺の言葉に、レンズはあきれていた。
俺たち二人は庭に出て、あたりを見渡した。それなりに整えられた庭なのだが、今は夜のせいもあって庭の景観は良く見えない。
「暗くて、よく見えないな……」
俺は、眼を凝らした。館の庭はそれなりに広いのだが、今はその輪郭がうっすらと見えるだけである。
「ルロ!あぶねぇ!!」
レンズが、俺の服を勢いよく引っ張る。
突然のことで、俺は眼を見開いた。踏ん張ることもできずに、俺は尻もちをつく。痛めた尻を撫でながら、俺はさっきまで自分が立っていた場所を咄嗟に確認した。
俺がさっきまで立っていた場所、そこに鴉が着地したと思った。それほどまでに、その影は真っ黒で着地の音すらしらなかった。
「なんだ……」
俺は、小さく呟く。
俺が鴉だと見間違えた影は、人型であった。その人影は立ち上がり、何かと戦っているような構えを見せる。
鴉のような影は、灯だった。
灯は、見たことがない形状の刃物と星型の金属片を持っていた。おそらく、それが灯の武器なのだ。
「灯!おまえ、何をやっているんだ!!」
俺は灯に向かって、そう叫んだ。
だが、灯は答えない。
振り返ることもない。
俺は灯の側に寄ろうとしたが、レンズに止められた。屈強なレンズの背中に守られつつ、俺は宵闇に向かって飛ぶ灯を見ていた。
あっという間に夜の闇に溶けた灯は、暗がりのなかで金属音を響かせる。再び灯の姿を見つけた時、彼は星型の金属片を投げていた。
暗がりのせいで、何がおこなわれているのか分からない。
暗がりのせいで、何をしているのかも分からない。
ただ一つ分かることは、灯が戦っているということだけである。そして、どさりと音がする。たしかな質量があるものが落ちた音だ。俺は、一瞬だが灯が倒れたと思った。
だが、違う。
灯と思われる黒い影は、立ち上がった。倒れたものは、灯ではないものであった。それに気が付いた俺は、ほっとする。
「大丈夫か、灯!」
俺はレンズを押しのけて、灯に駆け寄る。灯は、見たことがないまっすぐな剣を持っていた。いや、持っていると言っていいのか分からない。灯はまっすぐな剣を利き手に縛り付けて、それで握力のなさを補っているようだった。
「失礼します、ルロ様。ルロ様の暗殺を企てていた者がいましたので、始末しておきました」
灯は剣を手に括り付けたまま、俺に膝をつく。灯の言葉が、俺には理解できない。ただ分かっている事実は、灯が一人の人間を殺めたということだけだった。どうすればいいのか分からない俺とは違って、レンズは面白いものを見つけたかのようにニヤニヤしている。
「やっぱり、腕はおちていないんじゃないかよ」
レンズは、嬉しそうに灯の背を叩いた。灯の体は派手に揺れて、彼は自分の何倍のあるレンズを睨みつけた。灯にしては、珍しいことだった。どうやら、背中を叩かれたことが痛かったらしい。レンズは灯の背中を叩きながら、同時に彼の武器を懐かしそうに見つめる。
「おー、懐かしいな。その武器。ナタナとシュリーンだっけか?」
レンズの言葉を聞きながら、灯は手に縛り付けていた剣を口と片手を使って器用にほどいていた。そして、レンズの間違いを指摘する。
「刀と手裏剣です」
灯によると見慣れない剣が、刀。星のような金属片が、手裏剣という名前らしい。灯の国の武器のようで、特に星のような金属片はどのように使うのか分からなかった。しかし、灯は慣れた様子で手裏剣を懐にしまう。
「ところで、仕留めたのか?」
真剣な口調でレンズは、灯に尋ねる。
灯も真面目な口調で、頷いた。だが、その声はどこか気だるげだった。普段の灯からは、なかなか聞かれない声だ。
「はい、問題なく」
灯が、再び闇夜に消える。まるで闇に溶けたようであり、俺はそれに驚いたが、レンズは全く驚いていない。まるで、灯ならばそれぐらいはできると知っているかのようだった。
しばらく待つと、灯が暗闇の中から何かを重そうに引っ張ってきた。ずるずると何かを引きずる灯の様子は、さすがに辛そうだった。手伝おうかと思ったが、灯が引きずるものが人型だと気が付いて躊躇する。
「灯……それ」
俺は、息を飲む。
それは、見覚えがある人型であった。俺が、雇っていた使用人である。一際若く、豊満な胸の使用人だった。彼女はくたりと力をなくして、灯に引きずられていた。俺は悲鳴を上げそうになったが、寸前のところで飲み込んだ。俺の悲鳴で舞踏会を台無しにするわけにはいかない。
「灯……おまえなにやって」
俺はできるだけ、冷静に灯に尋ねた。
灯も冷静に答える。
「この女は、ルロ様を暗殺しようとしていた敵でした。普段からチャンスをうかがっていたようですが、なかなか機会がなく……今日の襲撃にしようとしたようですね」
灯は、女の体をまさぐる。その光景に、俺は顔を赤らめた。灯の手が、使用人の豊満な胸に触れたからだった。灯な手は乱雑に使用人の服を乱し、そこから数多くの武器を取りだす。ナイフや剣、そして投擲用の武器まで出てきた。あまりに多くの武器に、俺は息を飲んだ。
人を殺めるための道具ならば見たことがある。だが、それを使われそうになったことはない。剣だって訓練以外では、ほとんど使ったこともない。
「人が多い方が混乱に乗じて暗殺できるからな」
レンズが、なんてことがないように語る。どうやらレンズは、闇夜に紛れた灯と使用人との戦いを予想していたらしい。だから、俺を庭に近づけさせないようにしていたのか。
「そんな……ちゃんと紹介状は確認したのに」
フリジアと共に、使用人は信頼できる人物を選んだつもりだった。そのため、暗殺者が混ざってしまっていたとは思わなかった。それに、彼女はまったく暗殺者らしくない面相だった。
「その紹介状から偽物だったんですよ。よくやることです」
俺の疑問に、灯はなんてことないように答える。まるで暗殺者業界にはよくあるというふうである。女の死体を引きずってきた灯に、レンズは声をかけた。彼も灯の殺人に関しては、何も感じていないようである。
「灯は暗殺に詳しいよな」
レンズの言葉に、灯は少しばかり息を吐いた。灯の顔は、あきれ顔といったふうな顔である。
「元々は暗殺する側ですから。それより、レンズ、力仕事をまかせていいですか?これを埋めてきてください」
灯は、レンズに死んだ使用人の死体を渡した。まるで「用なし」とでもいいたげな様子であった。ずしりと重いはずの死体をレンズは、いとも簡単に持ち上げる。
「おう、埋めてくればいいんだな」
どこで、どのように、と言った会話はレンズと灯の間では交わされない。おそらくはそんな会話は不必要なぐらいに、暗殺はこの二人にとっては日常的なものであったのだろう。
それが、俺には信じられなかった。
人が一人死んでいるというのに、二人はまるで天気の話でもしているかのような能天気さだ。その会話に耐え切れず、俺は思わず速足で館の中に戻ろうとした。
「ルロ様、どうしました?」
俺の異変に気が付いた灯が、速足で追ってくる。一戦を交えた後だというのに、灯の足取りには疲れがない。いつも通りだ。我に返った俺は、思わず足を止めた。
俺は、深呼吸を一つする。
そうしなければ、いつもと同じように灯と話ができないような気がした。
俺が振り返ると、そこには正装に身を包んだ灯がいた。そこにはわずかな服装の乱れこそあるが、灯が今まで戦っていたなど感じられない。
「ごめんなっ……ちょっと驚いちゃって。人が人を殺すところを初めて見たから」
情けないことに、俺の手は震えていた。
これから戦にでて武勲を立てようとしているというのに、俺は人の死が怖かったのだ。情けないことである。
俺は、深呼吸を重ねる。
弱さを隠そうとは、思わなかった。ただ一刻も早く、落ち着かなければならないと思った。灯は、俺が落ち着くまで待っていてくれた。
「うん、大丈夫。落ち着いた」
俺は、自分に言い聞かせる。
胸の鼓動はまだ早かったが、灯と目を合わせることぐらいはできた。灯は、怖いぐらいに落ち着いていた。それを見て、俺は自分はまだまだ未熟ななのだと思ってしまった。慣れなければ、と自分に言い聞かせる。
「……それにしても本当に強いんだな、灯って」
灯は実戦を退いた、とはレンズなどから聞いていた。それでも初めて見た灯の腕前は、それを感じさせないものであった。怪我をしている今でこれほどの使い手ならば、全盛期はどれだけの強さを誇ったのであろう。
そして――どれだけの人間の殺めたのだろう。
「ルロ様」
茫然としていた俺の名前を、灯が呼んだ。
俺は、はっとした。
気が付けば、灯の顔が俺の近くにあった。夜の風が、灯の縛られた髪をなでる。彼の髪は夜の闇に舞い散って、扇が開いたように思えた。その光景が、俺にはひどく神秘的なものに思えてならなかった。
灯が、俺を抱きしめる。
小柄な灯が俺を抱きしめると、まるで子供が大人に抱き着くような頼りないものだった。それでも、温かいものに抱きしめられると俺は幼子のように安心することができた。
「人が人を殺すところは、怖くていいんです」
灯は、そう言った。
なぜだか、その灯の声は泣きそうなものに聞こえていた。
それで、分かった。
灯自身もよろこんで人殺しをしているわけではないのだ。考えてみれば、灯は医者だ。人を救う仕事をしている。
そして、身寄りのない少女の弟子にするほど優しい人柄なのだ。人を殺すことに慣れていても苦しいに決まっている。
「ルロ様は、正しいです」
灯は、俺が正しいと言う。
「人が人を殺すことは、本来は正しくないことなんです」
灯の声は、まるで子供に道徳を教えるように穏やかな声であった。その灯の甘い声に、俺は思わずうなずきたくなる。灯の言っていることは正しいのだ、と肯定したくなる。
だが、それではいけないのだ。
「正しくても……弱かったらダメだ」
俺は灯の肩に触れて、彼を無理やり自分から遠ざけた。灯は、少し驚いたような顔をしていた。俺は、いつの間にか拳を握り締めていた。
「俺は、強くならないとだめだ。強くならないと父を超えられない!」
俺の目標は、父を超えることだ。それを間違ってはいけない。なぜならば、俺は領主なのだから。父を超える領主になって、皆を幸せにしなければならない。
皆を幸せにするためにも、俺は強くならなければならない。
俺が強くなければ、皆の幸せを守ることができない。
そのためには、人の死――敵の死になれなければならない。
だが、俺の言葉に灯は首を横に振る。その顔は、寂しそうであった。俺には、どうして灯がそんな顔をするのかが分からなかった。
ただ、その灯の目はどこか優しかったように思う。
どこかで見た目だな、と思った。
ああ、そうだ――母の目だと思った。
俺が幼い頃、まだ父への呪詛を吐かなかった頃の若い母は、こんなふうに慈愛を含んだ目で俺を見ていた。
その頃の俺は、まだ何物にもならなくてよかった。
何者になってよかった。
灯は、そう言う母のような目で俺を見ていた。ひたすらに優しく、どこまでも甘い視線で、俺を許していた。
「前当主様は、前当主様」
灯は、俺の頬をそっとなでた。
俺と父の顔立ちは、よく似ているらしい。目の色も、髪の色も、俺は全て父から受け継いでいる。そんな父の生き写しである俺をなでる、灯。
俺は、若かりし頃の父の頬をなでる灯を夢想した。だが、よく考えれば灯と出会ったときから父は顔に火傷を負っていた。このように、灯が父の顔に気軽に振れることなどなかったかもしれない。
それを思うと、わずかだが優越感を覚えた。
だが、俺はどうしてそんな感情を覚えたのか分からなかった。その感情を理解するには、俺は幼すぎたのだ。そして、あまりにも父と灯の関係を知らな過ぎた。
「ルロ様は、ルロ様です。比べることはありませんよ」
灯は、そう言ってくれた。
亡き父を目標にして、はっていた意地のような荷物を下ろしてくれた。灯のおかげで、俺は父のような領主にならなくてもよいのだと思えた。
俺には、未来がある。
父とは違う未来がある、と灯は言ってくれた。
「ありがとう、灯」
俺は、灯に素直にそう伝えた。
灯の頬が、あっというまに朱に染まった。
本気で恥ずかしがっていると灯を見て、俺はそんな照れさせることなど言っただろうかと考えた。
だが、頬を赤くした灯は幼子のような可愛らしさがあった。あどけない、というべきなのだろうか。頬を染める灯は、正装も、武器も、似合わない幼さであった。
俺は、思わず灯を抱きしめたくなった。それぐらい庇護したいぐらいの愛らしさであった。しかし、いくら幼く見えても灯は俺よりも年上である。いきなり抱きしめるのは、あまりにも失礼だ。
「お礼なんて、いいんですよ。ルロ様」
灯は、微笑む。
その微笑は、先ほど見せていた恥ずかしがる顔とは違っていた。全ての者を包み込む慈愛の微笑であった。その微笑を見た俺は、やはり灯は大人だと思った。
微笑を見た途端、俺は包み込まれたいと思ってしまったから。
それぐらいに、その笑みは大人の余裕があるものだった。
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