第21話
フリジアが、シュナにフラれてしまった。
俺とフリジア、そしてレンズはホールの端っこにいた。恰好が付かなかったので、それぞれの手にワインを握ってはいるがほとんど減っていない。俺は味が嫌いだし、フリジアは飲めるような心理状態ではなかった。レンズはワインが好きなようだが、もう飲み飽きたようである。
シュナとフリジアの告白騒ぎは、今ではなかったかのように華やかに舞踏会は続いている。それでも人々の噂に戸口は建てられず、客人たちの噂はシュナとフリジアの告白騒動で盛り上がっていることだろう。俺の挨拶のための舞踏会なのだが、会場の話題のメインは告白騒動にすり替わっている。しかも、シュナ本人も保護者の灯の姿も見えなかったから噂に悪い方向に尾ひれがついてしまっていた。
シュナには結婚する気がないとか、すでに思い人がいるとか、すでに保護者である灯公認の婚約者がいるとか……本当に様々な噂が飛び交っていた。そして、その噂の全てがシュナの今後の社交界で良い影響を与えるとは思えなかった。
シュナ本人は気にしないだろうが、保護者の灯は頭を抱える問題になったかもしれない。いや、あの灯が社交界のことなど深く考えているわけがないので、ある意味で問題はないのかもしれないが。
告白騒動を第三者から見ていた俺の感想なのだが、フリジアも不器用な奴だった。彼女が欲しいのならば、適当にシュナの夢を応援してしまえばよかったのだ。
シュナの夢は、灯と同じく医者になることだろう。
だったら、その夢を適当に応援して、絆したところでシュナを医者ではなくて妻として囲い込めばいい。少なくともフリジアには、それができると思った。それができるほどに出世ができると思った。
だが、フリジアはそのようなことをしなかった。
真正面からシュナに挑み、真正面から戦い、そして見事に負けた。
「お……男らしかったと思うぞ」
俺は、フリジアにそう声をかけてみた。
それ以外に、かけるべき言葉が見つからなかったのだ。フリジアはあそこまで見事に玉砕してしまったおかげで、彼に悪い噂は一つもたっていなかった。いや、もともと柳眉で美麗なフリジアに悪い噂などたっていないのだが。
「フラれることは分かっていました」
フリジアは、静に呟く。
たしかに、シュナの性格ならばフリジアの求愛は受け入れないだろう。彼女は落ちぶれた令嬢でありながら、それを笠に着ることもなく灯の元で真面目に弟子をやっている。
シュナの夢は令嬢として、返り咲くことではない。灯のように医者として独り立ちすることである。
フリジアもシュナとは付き合いが長そうなので、それは分かっていたはずだ。自分の妻になれという告白では、シュナは決して喜ばない。だが、それでもフリジアはシュナに伝統的な守られる妻になってほしい求愛した。
その真意は――
「知っていてほしかったんです」
フリジアは、ぼそりと言った。
「シュナにも普通の幸せの道があると……知っていてほしかったんです」
レンズが、フリジアの頭をなでる。
彼としては、一応それで慰めているつもりらしい。フリジアのセットされた髪型が無茶苦茶になるが、武骨なレンズらしい慰めであった。そして、レンズはワインをフリジアに差し出した。
「まぁ、今日は思う存分飲めや」
「そんなに飲めませんよ。私たちがお客様をもてなしているんですから」
真面目なフリジアは、レンズが持ってきたワインを拒否する。豪気なレンズはワインを瓶ごともってきており、その瓶は役割を失って途方に暮れていた。さすがにフリジアも、舞踏会の場で瓶ごとワインを飲む気はないらしい。適当に振ってもてあそんでいる。
「……フリジアは、すごいな」
俺は、小さな声で呟く。
その声に気が付いたフリジアは、顔を上げた。その顔は、フリジアには似合わないぐらいに情けないものになっていた。彼に憧れる令嬢には見せられないような顔に、俺は彼にハンカチを貸す。
「フラれると分かっていて、告白なんて俺には絶対にできない。うん、すごいよ」
俺の言葉に、フリジアは泣きそうになっていた。しかし、男の意地からかフリジアは涙を見せることはなかった。俺の渡したハンカチをぎゅっと握って、俺に乱暴に返してくる。
「そんなことありません。……バカなんですよ、私なんて」
フリジアは、無理やり笑おうとしていた。その顔は、普段のフリジアの表情に近いものだった。貴公子然としたフリジアに、涙は似合わない。こうやって無理にでも笑っているほうが、らしいと思ってしまう。
フリジアは、自分のことをバカだと言う。だが、俺はそうは思わない。本当のバカならば、自分の恋心にずっと蓋をして腐らせていただろう。
しかし、フリジアはそれをしなかった。
フラれると分かっていながらも、前に向うとしたのだ。だから、フリジアはすごいと思うのだ。
「俺、酒以外の飲み物をもらってくるな。こういうときは、ごくごく飲めるやつがいいよな」
俺はそう言って、フリジアの側を離れようとした。
舞踏会に供されるものは酒がほとんどだが、酒に弱いご婦人のためにアルコールが含まれない冷やした飲み物も用意されている。本当は俺もそっちがいいのだが、舞踏会の主催者が酒をたしなまないのも恰好が付かない。なにせ舞踏会で出されるノンアルコールは、婦人のものという考えが強い。
「あっ、お待ちください。せめて、レンズを連れて行ってください」
二人の元の離れようとする俺は、フリジアに呼び止められた。
さっきまで泣きそうだったのに、フリジアは真剣な顔をしていた。軽い気持ちで飲み物を持ってこようとしていた俺は、その表情に驚く。
「レンズが護衛になりますから」
フリジアはそう言うと、レンズは持っていたワイン瓶をフリジアに預けた。預けられたフリジアは、若干困った顔をしていた。舞踏会でワイン一本もらっても困るだろう。
「護衛なんていらないけどな」
俺は、そう言った。
人が集まる舞踏会で、護衛をつけて楽しんでいる人間など一人もいない。館に入る際に招待客が武器を持っていないことは確認済みであり、ここの安全は証明済みのはずだ。
「そういう問題ではありません」
フリジアは必要にそう言ったが、俺は本当に護衛は必要ないと思った。
俺自身も騎士の訓練を受けているし、武器はなくとも一人や二人の悪漢には対応できる。フリジアは、それは知っていると答える。
「こういう場所では、主催者は護衛を連れて歩くものなんですよ」
フリジアの言葉に、俺はため息をついた。
こういう場所では、格式や儀礼がものをいうのは俺も知っている。護衛代わりの人間を連れて回ることが、その格式に当たるのかどうかは分からないがフリジアは必要であると考えているらしい。
「レンズ、ついていってください」
フリジアの言葉に、レンズは頷いた。しばらくして、レンズは「にたり」と笑った。
「おい、フリジア。酒は飲まずにとっとけよ。土産にするんだからな」
レンズの言葉に、フリジアはため息をつきながらワインの中身を揺らす。どうやら、レンズはワインの瓶を土産にする気にするらしい。
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