第20話


「私と、どうか踊ってください」


 フリジアは、シュナにそう申し出た。紳士が、令嬢にダンスを申し込む正式で完璧な礼儀であった。二度目のダンスを申し込むには、丁寧すぎるぐらいに。


 シュナは、フリジアの行動に驚く。


 二人の周囲はもうすでに新たなパートナーを決めて、ゆったりと踊り始めている。若い男女が楽しげに踊るなかで、動き出さないフリジアとシュナだけが奇妙に浮いてしまっていた。まるで、二人だけ別の世界にいるかのようであった。


 俺は、二人を助けに行くべきか少し迷った。


だが、レンズが俺の行動を阻む。レンズは俺の服の袖をつかんで、無言で首を振っていた。二人に任せろ、ということらしい。


「分かっているの?パートナーを替えずに続けて踊るのは、愛の告白なのよ」


 冷静さを失ったような顔でシュナがいう。ここまで慌てふためくシュナの顔を俺は初めて見たかもしれない。


「実家はすでに没落しているし、私に愛を告白する利益はないわよ」


 それは、シュナが壁の花になっていた理由だった。彼女にダンスを申し込んでも旨味はない。だからこそ、シュナは男性陣の誰にも話しかけられずに佇んでいたのである。


「そんなことは知っています」


 真剣そのものの顔で、フリジアは頷いた。その表情は、俺には間違っていても愛をささやくための顔には見えなかった。まったく、優しさを持ち合わせているようには見えなかったのだ。まるで、自分の責任を全うするかのような表情であった。


 フリジアは、目をつぶる。


 そして、フリジアは穏やかな笑顔を作った。いつものフリジアの雰囲気に戻り、俺は少しばかりほっとする。今までのフリジアからは、何となくだがいつもの彼らしくない緊張感を感じていたのだ。


「私は、そこまで愚かではありません」


 周りのペアの踊りが佳境に入るなかで、二人は未だに動かない。


二人は、互いにただ見つめあっている。それは恋する男女のように見えなくもないが、シュナの視線は刺々しい。まるで、フリジアが敵であるかのような視線である。フリジアは、その視線を受け止める。それが年上であり、男であるフリジアの義務かのように。


 シュナは、大きく息を吸った。


 まるで、自分のことを鼓舞するかのように。


「フリジア様は、私のことを憐れんでいるだけでしょ。親を亡くして、身寄りのない娘だから」


 シュナは、はっきりと言った。

 

 話が聞こえてしまっていた俺は、息を飲んだ。憐れむ、という言葉がやけに痛々しく聞こえた。


 普段のシュナを見ていると、時より忘れてしまうことだ。シュナがあまりにも楽しそうに灯とじゃれ合うから、俺は彼女が家族を失った貴族の子弟だということを忘れてしまう。だが、フリジアはそれを忘れたことなどなかったらしい。


「そうです。あなたのご両親とは、懇意にさせていただいていました。その娘であるあなたが自ら働かなくてならないところまで落ちぶれているところは、もう見たくはないのです」


 フリジアの言葉に、シュナは眼を丸くする。


 だが、すぐに彼女の眼光が鋭くなった。


 背筋をぴんと伸ばし、借りたドレスを着こなすシュナ。身に着けるものは、どれ一つとっても自分のものではない。灯からの借りものだ。それでも彼女は精一杯背伸びをして、ドレスもアクセサリーも自分のものにしていた。それは落ちぶれているとは思わせない、立派な淑女のプライドだった。


「落ちぶれているだなんて……医療を学ぶ私が、あなたにはそう見えていたのね」


 シュナは、フリジアを突き飛ばした。


 二人の様子を覗き見ていた面々は、その様子に驚く。舞踏会で淑女が紳士を突き飛ばすなど、あってはないことだ。そのマナー違反に顔をしかめる人々もいれば、何か面白そうなことが起こるのではないかとワクワクしている人もいる。


俺とレンズは、茫然としていた。


 フリジアがフラれることは何となく予想がついていたが、もう少し穏やかな方法を予想していたのだ。なにせ、二人とも社交界デビューした大人である。もう少しやり方を考えると思っていたのだ。


「フリジア、大丈夫かな……」


 俺は、思わず呟いた。


 突き飛ばされたフリジアは、別に転んだわけではない。しかし、大人数の前で恥をかかされたフリジアが心配だったのだ。


「俺でも、あんなフラれ方したことないぞ……」


 レンズもぼそりと呟く。


 俺とレンズは顔を見合わせ、次いでフリジアを見た。

渾身の告白をこっぴどく断られて、フリジアはへこんでいると思ったのだ。だが、フリジアはさほど驚くことなく、シュナの強行を受け入れていた。


フリジアには、自分の考えがシュナには受け入れられないことは分かっていたのだ。だが、それでも伝えたのだ。


 それ行動は、愛ゆえだったのか。


 それとも、もっと別の感情だったのか。


 恋愛経験のない俺には、分からなかった。


 シュナは、フリジアに背を向ける。背筋がぴんと張ったまっすぐな背中は、俺たち男たちとは違うプライドが見て取れた。


「私は、もう帰るわ。自分の目標に向かって頑張っているのに、憐れに思われるなんて……」


 幼くとも美しい少女は、凛とした足取りでホールを去っていった。


普通ならば女性のシュナをエスコートする男がいるはずだが、彼女の手を取るような人間はいなかった。たった一人でホールを後にする姿を見て、人々は噂をする。その噂は決して良いものではない。


見目もよく、家柄もよく、性格もいいフリジアがフラれるなど誰もが考えなかったことだった。だから、人々はシュナの方を悪しく言う。


両親がいないから、後ろ盾すら頼りない者だから、働いているから、彼女は非常識だからと人々はシュナに後ろ指を指す。だが、そんなことなどシュナは気にしないだろう。彼女のプライドは、そんなことでは揺るがないことが今ここではっきりしたのだから。


強い女の子だ、と俺は改めてシュナのことを思った。


「待ってください」


 フリジアは、そんなシュナの背中を追いすがった。


 シュナの歩みが、止まることはなかった。


「あなたは、これからずっと一人で生きていく気ですか?私は次男故に実家の家督は継げませんが、戦争で武勲を立てて自分の地位を固めていきます。あなたは、そこの横……妻の座に収まっていればいいんです」


 そんなことを言いながら、フリジアはシュナの手を握った。シュナの歩みが、それによって止まる。だが、シュナはフリジアの手を今度こそ振りほどいた。


「私は、自分の道は自分で切り開く。灯様に師事するときに、そう決めたの。それに、あなたは私を愛してない!憐みでお飾りの妻にすえようとしているだけでしょう」


 シュナの怒気に、フリジアは何も言えなくなっていた。


 だが、かろうじて言葉を絞り出す。


「お飾りでは……ないです」


 フリジアは、泣きそうな顔でシュナを見た。


 俺は、これこそがフリジアの本心であると感じた。


「……私は、あなたのことが好きなのです」


 フリジアは、絞り出すようにそう語った。


 消え入りそうな声であった。


 黙っていれば貴公子のようなフリジアが、年下の娘に、泣きそうな顔で、情けない声で、愛を伝える。


 これこそが、フリジアの弱い部分なのだと俺は思ったのだ。きっとフリジアのこんな部分は、今まで誰も知らなかっただろう。付き合いの長そうなレンズでさえも、フリジアの告白に茫然としていた。


 シュナもフリジアの告白に、呆気にとられる。この場にいるほとんどの女性であれば、今のフリジアを見て頬を染めていただろう。自分のためだけに愛をささやく美形の姿は、それほどまでに魅力的だ。しかし、次の瞬間にはシュナはフリジアから顔をそむけた。


「……私は、私の自由と夢を守るために生きるの。あなたの妻にはなれないわ」


 シュナは憐れな美形に向かって、はっきりとそう言った。


 そして、フリジアをもう顧みなかった。


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