第17話
「よっ。おまえら、朝は随分と遅いんだな」
翌朝になると俺の屋敷の前で、レンズが待っていた。相変わらず貴族らしい立派な服を着ているが、背負っている斧が野趣的でアンバランスだ。斧など、普通は木こりぐらいしか背負わない。
屋敷には鍵がかかっているために、レンズは屋敷に入ることができずに門の前で俺たちを待っていたらしい。ちなみに、使用人たちもまだ来ていない時間帯だった。
そんなに早い時間にレンズがいたことに、俺は驚いた。レンズの性格を考えるなら屋敷には来ないか、昼頃に尋ねてくると思っていたのだ。または、灯の家に来るとか。だが、フリジアは驚く様子はなかった。
まるで、レンズが館にやってくることをフリジアは知っていたかのようだった。どうやら、思った以上にフリジアはレンズのことを信用しているらしい。灯もレンズのことは怒っていたが、褒めている部分もあった。俺が考えていた以上に、レンズは信頼の厚い男のようだ。
俺は門の鍵を開けて、レンズを館のなかに招いた。
レンズはどこか懐かしそうな顔をして、館のなかを歩き回っていた。彼も父と一緒にこの館で働いたことのある一人らしい。ただ二階にはいこうとはしておらず、レンズも館の二階が酷いことになっていることを知っていたようだった。
「懐かしいもんだな。俺がここに通っていたころとほとんど変わってない。特に、この飾り気がまったくない感じが」
レンズは、笑う。
レンズに言われて気が付いたが、この屋敷には絵画などの装飾品が少なかった。普通だったら歴代の主を描いた絵画などがあるはずだが、この屋敷にはそのような物がない。おかげで俺はご先祖様の顔はおろか、怪我をする前の父の顔も分からない。
「代々のご当主様は、芸術品の収集にはあまり関心がなかったようですから……」
フリジアは、苦笑いしていた。フリジアの家は先祖代々続く貴族なので、もしかしたらご先祖様を描いた絵画などがあるのかもしれない。
「フリジア、今までお前らがどういうふうに仕事を進めていたかを教えてくれ」
レンズが、フリジアに声をかけた。
さすが年長者だけあって、その発言は頼もしい。フリジアは、今まで俺と一緒に進めてきた書類を渡した。レンズは、その書類にぱらぱらと目をとおした。
「おう。お前らが進めていたお披露目舞踏会の内容を確認させてもらったぜ。使用人の数が絶望的に足りないみたいだな。俺の屋敷のヤツラで補填させよう」
レンズは俺たちが立てた計画書を読んで、足りない使用人の補填を申し出てくれた。俺は、それは嬉しいことだと思った。なにせ舞踏会を主催するのは初めてのことだったので、舞踏会の経験がある使用人が増えることは心強い。なにせ、レンズの大人の意見はとてもありがたかった。
「でも、今後も雇い続けることを考えるならば新しい人材を探した方が……」
フリジアは、そう言った。フリジアの言葉も納得できるし、俺は今までそうするつもりで行動していた。だが、レンズはその意見を拒否する。
「どうせ、この屋敷は普段は一階しか使ってないんだろ。ここには誰も住んでないし。だったら、俺のところの使用人を出張させた方が効率いいだろう」
レンズの言葉に、フリジアは何も言えなくなっていた。
たしかに、そちらの方が圧倒的に安上がりである。それに、使用人にいちいち面接する手間も省ける。紹介状を確認して、本人の得手不得手を確認してという作業は色々と面倒だったので助かった。
「これで舞踏会の準備はよし、だな」
レンズの言葉に、俺は少なからずほっとしていた。
フリジアとずっと頭を悩ませていた大きな仕事が終わったからだ。安心したら少し力が抜けてしまったが、二人には黙っておこう。少し恥ずかしいし。
「大きな仕事はこれぐらいだよな」
レンズが、フリジアに確認を取る。
レンズに渡していたのは、舞踏会関係の資料だけだった。他の資料――領地運営に関する書類は見せてはいない。
「はい、後のこまごまとした仕事は私とルロ様でやっていました」
その言葉に、レンズは「げっ」と呟いた。本気で嫌そうな顔をしていた。そして、俺と灯の顔を相互に見る。
「おまえら、たった二人で通常教務やっていたのかよ。変態かよ」
人員がいないのだから仕方がなかったんです、とフリジアはいう。レンズは信じられないという顔をして「げー」と呟いていた。本気で嫌そうな顔である。
「俺だったら、こっちの仕事をできる人材を先に探すな……」
レンジは、ぶつぶつと文句を言っていた。
俺も、そう言う人材が必要だとは思っていた。だが、俺とフリジアが地味に優秀なので仕事が回ってしまっていたのだ。本当ならば、もっと手が欲しい。しかし、そのような人材を面接する時間もなかったのである。
「こっちの仕事ができる人員増やそうぜ。あと、歳とって辞めた使用人に戻ってきてもらって、募集かけて集めた人材を教育してもらおう」
レンズが、てきぱきと指示を飛ばす。
俺は、それを意外に思っていた。レンズは内政を苦手だと言っていたが、今のレンズは生き生きとしていた。とてもではないが、内政が苦手な人間だとは思えない。
「内政は苦手っていっていたのに……」
俺が呟くとレンズは、にたりと笑った。
その笑顔は、どこかいたずらっ子っぽい。
「ここら辺は、歳の甲。言っておくけど、最初は見れたものじゃなかったからな」
レンズは、ばしばしと書類で自分の手を叩いた。そして、懐かしそうな顔で当時のことを語りだした。
「前当主たちがやっているのを横で、何度も仕事を見ていたからな。嫌でも、仕事の流れは覚えるって。それに、俺は自分がやる実務が苦手なの。俺だったら、一日だってお前らと同じ仕事量はできないぞ」
逃げるからな、とレンズはどこか自慢げにいう。フリジアはレンズを肘でつついて「自慢できるようなことじゃないです」と指摘する。
レンズは豪快に笑うが、俺は少しばかりへこんだ。
内政が苦手だというレンズさえも、どのように部下を設置すればいいのか分かっていた。俺には、できなかったのに。落ち込む俺の背中を、レンズは力強くばしばしと叩く。痛いので、やめてほしい。
「俺の仕事ぶりがうらやましいなら、学べばいいんだろ。俺もそうやって、貴族の仕事ってやつを学んださ。ルロは若いんだから、今からいくらでも学べるさ」
人好きがする笑顔で、レンズが笑う。その笑顔は、どこか俺を安心させた。レンズの笑顔には、人を安心させる不思議な魅力があった。レンズは、フリジアにも笑いかける。
「なぁ、フリジア。あんたも俺から学んでいいんだからな」
レンズの言葉に、フリジアはそっぽを向く。だが、その顔はとても悔しそうだ。たぶん、フリジアもレンズのような働きができなくて悔しかったのだろう。
レンズはうきうきしながら、上着を脱いだ。そして軽く準備運動をしながら、俺たちに話しかける。
「内政が整ったら、次は剣の修行だな。貴族たるもの、いつでも戦争に備えて修行していないとな」
レンズの言うことも、一理ある。貴族は自分の土地を守るだけではなく、戦争があった際にはいち早く王都に駆け付ける役目も持つ。だから、貴族となると得意な武器を持つのは当然なのだ。レンズは、その訓練をやろうと言っているのだ。フリジアは、うきうきしているレンズを冷たく見つめた。
「そんなのレンズ一人でやってください」
フリジアは冷たく言うが、レンズは全く気にしているふうではない。レンズは神経が図太い。
「レンズ、ちょっと手合わせしてくれ」
俺は、少し楽しみにしていた。
レンズは戦争で武勲を上げた人間だ。どれだけ強いのか、自分の腕前がソレに届くかどうなのか興味があったのだ。
「いいぜ。ところで、灯とは腕合わせしてないのか?」
レンズの言葉に、俺は首を振った。
灯が、昔は兵士をやっていたことは知っている。だが、今の灯は医者としてしか働いていない。
「灯は怪我をして引退したんだろ。手合わせもできないよ」
俺の言葉に、レンズは頬を膨らませた。
良い年のおっさんがやっても、可愛くない。
「もったいないなー。あいつのことだから、まだ鍛えていると思うんだけどなー。手合わせしたいなー。なぁ、ちょっとあいつの診療所に行ってきてもいいか?」
今にも走り出しそうなレンズを止めたのは、フリジアであった。
彼の視線は鋭い。
「迷惑だからやめてください」
フリジアの言うとおりだ。
医者は珍しいので、日中の灯はそれなりに仕事がある。シュナが弟子兼助手としてついていて、それでようやく回っている状態だ。しかも、灯は自分の庭で薬草を栽培して、それで実験も行っているようなのだ。つまりは業務以外にも色々やっていて、忙しい。そんな忙しい人間に、手合わせを頼むのは気が引ける。
レンズは駄々をこねる子供のように、フリジアに甘える。レンズのほうがフリジアよりも高身長なので、なんだから可笑しな光景だなと俺は思った。
「フリジアだって、灯と手合わせしたいだろ。全盛期のあいつの姿を知っていたんだから」
レンズの言葉に、フリジアはちょっと黙る。フリジアも灯と手合わせしたそうだった。だが、フリジアは理性を総動員させて首を振る。
「……あの人は、もう引退しているんです」
フリジアは引退した人間に無理はさせられない、という。そう言えば、灯は戦で怪我をして引退したと言っていた。それで年金をもらっていると。
「なぁ、灯ってどうして引退したんだ?」
俺は、尋ねた。
灯本人は怪我をしたとしか言っていなかったから、俺はそこらへんの話を詳しくはしらなかった。ただ父に忠義を誓っていたことは分かる。
レンズの話を聞いている限り、灯はかなり強かったようである。レンズは俺と出会ってから、ずっと灯と戦いたがっていた。
だが、俺は灯がどこ怪我をして引退したのかを知らなかった。日常生活が問題なく送れているから、目立つような怪我をしたわけではないと思うのだが。フリジアが、戸惑いながら教えてくれた。
「戦で手を怪我しまして、利き手の握力なくなってしまったんです」
フリジアは、そう語った。
俺は、驚いた。
灯の日常生活では、そうは見えなかったからだ。むしろ、何でもできているぐらいだ。しかし、よく思い出してみれば灯は重いものを持とうとはしていなかった。そのような力仕事は、シュナが率先してやっていた。
「日常生活には支障がないんですよ。できないことは、シュナさんが代わってくださいますし。ただ、再び戦で剣を握るのは難しいと聞いています」
普通、剣は利き手で扱う。その利き手の握力を失ったというのならば、もう兵士として役に立つことは難しいであろう。だが、フリジアの言葉に拳を握ったのはレンズだった。その目は、何故か燃えている。
「いいや、あいつのことだから絶対に何か新技を用意しているはずだ。絶対にだ」
その自信は、どこからやってくるのだろうか。
レンズは、自分の武器をぎゅっと握り締める。待ちきれないというレンズは、壮年の男の顔をしてない。少年の顔をしていた。
「今すぐ、手合わせしてくるぜ」
レンズは、今すぐにでも駆け出していきそうだった。
そのレンズをフリジアは止める。
「だから、迷惑になるからやめなさいと」
正論だった。
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