第15話
レンズというのは、かなり風変りな貴族のようだ。
一代限りの貴族は、普通ならば俺やフリジアのような代々続く貴族と縁故となって土地を手に入れようとするのが普通だ。俺の元にも、何度もそう言う貴族の娘たちとの縁談が舞い込んできたことがあった。俺の母が、その全てを断ってきたが。
貴族は、長男がすべてを相続する。
だから、俺のような存在は一代限りの貴族には垂涎の品のはずである。俺が持つ土地と歴史が欲しいゆえに、下でに出てくる貴族たちを俺は何度も見てきた。だが、レンズは違う。
そういうものに、一切の興味がないのだ。
可笑しな男だと思う。
普通ならば独身貴族に自分の妹や娘を売り込み、俺が没落していくのをまっているだろう。だが、彼はそれを良しとはしなかった。俺が不利な立ち位置にいることを知らしめ、俺の覚悟を問うた。
俺は、レンズに答えた。
「父が俺を愛してなかろうか、認めていなかろうが関係がない!俺は、もうこの土地を守る領主だ!!その覚悟は、すでにある」
俺は、この土地に住まう人々のことを思い出していた。土地を耕す人々。商売をする人々。そして、それらの人を癒す人間。彼らを守るための決意ならば、俺はもうできている。そのためには、俺はどんな人間とも手を組む。
「レンズ、この土地を守るためにお前の力を借りたい!!」
俺は、自分よりも大きな男を睨みつけた。
そして、俺はレンズに向かって手を伸ばす。
鍛えあげられたレンズの体は大きい。きっとレンズは、何度も戦場をかけたであろう。俺が知らない場所で、大きな武勲を上げた、恐ろしき男。そんな男に、俺は「欲しい」という気持ちを込めて手を伸ばす。
レンズは――破顔した。
「よくいったぞ、若造!その意気やよし、だ」
レンズは、俺の背中をばしばしと叩く。力加減がされていないレンズの掌には、十分な痛みを感じる。俺はその痛みの意味が一瞬分からずに、目を白黒させていた。しかし、すぐにレンズに認められたのだと理解する。じわじわと嬉しさがこみあげてくる。
だが、フリジアはレンズに憤慨する。頭から湯気がでるほど怒ったフリジアは、レンズに俺の背中を叩くのを止めさせた。かなり痛かったので、それは嬉しかった。
「レンズさん!あなたはルロ様を試したあげくに、そんな態度を……」
文句が続きそうなフリジアをレンズが止める。その表情は、どこか余裕があるものだった。にっこりと笑うレンズは、男臭くて独特の魅力があった。
「自分が使える主人は、自分で選びたいもんだろ。ちょっとは多めに見ろよ」
レンズは、フリジアにウィンクをして見せた。可愛い女の子をするのならともかく、屈強な男がしても可愛くはない。案の定レンズのウィンクは、フリジアの怒りを買った。
「そういう問題ではありません!」
怒髪天を突くようなフリジアの怒鳴り声に、俺は思わず耳をふさいだ。レンズはなれているのか、相変わらず笑っている。肝の据わった男である。
「分かれって、フリジア。無能な主に仕えるのは、誰だって嫌だろう」
レンズの顔から、笑みが消える。
俺の身に、緊張が走った。普段陽気な男が真面目な雰囲気を出すだけで、なんだか恐ろしい。フリジアも同じものを感じたのか、腰を低くして帯剣していた剣に手を伸ばしていた。俺に何かがあれば、フリジアはそれを抜く気でいる。レンズは、それに気が付いていた。気が付いていたが、気には留めない。ひどく真面目な目のままで、レンズは俺を見ていた。
「ルロ、あんたを俺の主と認めよう。あんたとだったら地獄の底まで落ちてやるぜ。……育ちが卑しいもんで、敬語が使えないのは多めに見ろよ」
最後の最後で、人懐っこい笑顔でレンズは破顔する。
途端に、先ほどまで感じてきた緊張感が消えた。フリジアは「こんな時まで偉そうなんて」とあきれ返っていたが、剣から手を引いた。俺も、体から力が抜けた。
だが、笑っているレンズを見ると、全てを許せるような気がしてきた。独特の魅力がある男なのだ。きっと友人も多いのだろう、と俺は考えた。
俺はレンズを見つめて、改めて頷く。
「ああ、よろしく頼むな。レンズ」
俺は、レンズの手を握った。レンズの手は大きくて、武骨なものだった。一体どういう鍛え方をしたら、こんな手になるのだろうか。
「ルロ様。この男のことは、あまり信用しない方がいいですよ」
フリジアは、レンズを睨みつける。その唇は尖っていて、どこか子供っぽかった。そんな表情のフリジアを見るのは、すごく久しぶりである。
「レンズさんは、灯さんにこの国の言葉を教えていた時期があったのですが……。レンズさんが適当に灯さんに言葉を教えたせいで、灯さんが聞くに堪えないような暴言ばかりを使うようになってしまったことがあったんです」
フリジアの言葉に、俺は驚いた。
灯が、たどたどしく「バカやろう」とか「このグズが」とか言っていた時代があったのだろうか。見たいような、見たくないような。どちらにせよ、今の折り目正しい灯からは想像ができない。
乱暴な言葉遣いになってしまっていた灯のことを思い出したのか、レンズは大笑いしている。フリジアは、むっとしている。どうやら、フリジアにとっては思い出したくないほどのことらしい。
灯は異邦人だから、誰かから言葉を教わらなければ喋れなかっただろう。そんな彼は、きっと素直にレンズの言葉を吸収したはずだ。そして、出来上がったのは乱暴な言葉使いの灯である。
父は、そんな灯をどう思ったのだろうか。ちょっと想像できなかった。
だが、真面目なフリジアは、そんな状態を許せなかったようだ。フリジアは、改めて灯に正しい言葉を教えた。フリジアが教師になって灯に教える光景は想像しにくかったが、真面目な二人のことだったからきっと楽しげに勉強会をしていたに違いない。
「今からは想像できないな」
俺は、ぼそりと呟く。
今の灯は、とても流暢に、穏やかに話す。そんな灯がたどたどしくも乱暴な言葉使いをしていたなど信じられない。
「私が、苦労して訂正したんです!」
フリジアの鼻息は荒い。
一度覚えた単語は、なかなか忘れられないものだ。きっと灯の言葉使いを矯正するには、フリジアでも骨が折れたのだろう。俺は、フリジアに深く同情した。フリジアがレンズを嫌う要因が、少しばかり分かったような気がする。
「当時は面白かったぞ。灯が澄ました顔で「この野郎、どこにいった?」とか言い出すのは」
レンズはそう言うが、フリジアは恥じも外見も捨てて怒りだす。今にもレンズに殴りかかりそうだったので、俺はフリジアを「どう、どう」と馬のようになだめた。
「やっぱり、わざとでしたね!当時の私も灯さんも、苦労して直したんですからね!!」
フリジアをなだめながら、俺はレンズに言われたことを考えていた。
――父に愛されていない。
その言葉は棘にになって、俺の心を突き刺していたのだ。
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