第14話

「おーい、フリジア!」


 館の門の方から、男の大声が聞こえた。この館には男は、俺とフリジアしかいない。後の使用人は全員が女性で、現在は二階の掃除に奮闘しているはずである。


 聞こえてきた大声に、フリジアの笑顔が固まる。女性たちが黄色い悲鳴を上げる笑顔が硬直している姿は、それなりに面白かった。


「誰か来たみたいだな。父上の知り合いか?」


 俺の言葉に、フリジアは首を振る。


 油の切れた玩具のようなぎこちない動きだった。こんなフリジアは見たことがなかった。段々と面白いというより、彼の体調が心配になった。フリジアは、普段はこんなふうになるような人間ではないからだ


「いいえ、誰もきていませんよ」


 フリジアは、ひくつく笑顔で答えた。


 嘘である


 あの大声が聞こえなかったとは考えにくい。だから、フリジアはあえて聞こえないふりをしているのだ。おかしいなと思いながらも、俺は門へと向かった。


「ルロ様!」


 俺は、フリジアに呼び止められた。


 フリジアは、今まで見たことないような必死な表情をしていた。


「今ならば間に合います。聞かなかったことにしましょう」


 フリジアは、真剣だ。その言葉で、俺は声の主とフリジアが知り合いなのだと察した。どうやら、フリジアとは相性が悪いらしい。だが、味方は多い方がいいので、俺はフリジアを振り切って門に向かった。


門の前には、大男が立っていた。


かなり筋肉質な屈強な男である。年齢には見合わず頭皮は綺麗に禿げ上がっており、もしかしたら剃っているのかもしれない。鍛え上げられた肉体や妙に愛嬌のある顔だけみると兵士や傭兵のように思える。だが、身に着けている衣服が立派なので、彼もフリジアや俺と同じく貴族なのだろう。


 しかし、気安そうな雰囲気が貴族らしくない男だった。年齢は三十代後半ぐらいだろうか。俺やフリジアよりも年上で、ちょうど男盛りの年齢だ。男は俺を見て、手を挙げた。それが、挨拶のつもりらしい。年齢に見合ない、若者じみた仕草だった。


「よっ。俺は、レンズ」


 男は、レンズと名乗った。姓を名乗らないので、俺は違和感を覚えた。代々続く貴族ならば、姓を持っているはずである。名乗りたくないのか。名乗ると身分が分かるほどの有名人なのか。


 そんなことを考えている俺を、レンズ上から下まで値踏みするかのように見つめる。女にもそんなふうに見つめられたことはないので、ぞわっと寒気がした。レンズはそのことに気が付いたらしく、益々大笑いしている。


「レンズさん、お久しぶりです」


 俺の後にいたフリジアは、どこか冷たい態度でレンズに話しかけた。その視線は、どこか冷たい。相手は年長者なのに、失礼な態度である。


いつも礼儀正しいフリジアとは思えない態度だった。相手が大雑把なので俺も忘れていたが、貴族同士の正式な礼もとっていないし。だが、レンズと名乗った男は、そんなことを全く気にしていなかった。


「相変わらず、俺に対しての態度が厳しいな。ところで、灯の奴はいないのか?」


 レンズは、あたりをきょろきょろと見渡す。当然ながら、そこには灯の姿はない。灯がいないと分かると、レンズはあきらかにがっかりしたような顔をした。フリジアは、間髪入れずに答えた。


「灯さんは、診療所にいらっしゃいます。医者なんだから、あたりまえでしょう」


 フリジアの言葉に、レンズは再びけたたましく笑った。感情の起伏が激しい人だな、と俺は思った。どうやらレンズは礼儀作法に厳しくなく、裏表のない人間らしい。フリジアが苦手としそうなタイプだな、と思った。


「そういえば、そうだな。いやぁ、あいつって面倒見がいいから新しい領主の世話を焼いているじゃないかなと思ってな」


 俺は、どきりとした。


 レンズの予想は、当たっている。灯は、俺の世話を積極的に焼いている状態だ。父の愛人だった灯に、俺がどう思われているのはよく分からなかったが。


 灯とも知り合いらしいレンズは、再び俺たちに手をふる。どういう意味なのだろうと思っていると、レンズは俺に背を向けようとした。


「じゃあ、俺は灯のところに行ってくるな」


 俺は、その発言にぽかんとする。


 レンズとは出会って数秒だが、彼は驚くべきほどの自由人だった。普通だったら、灯より俺やフリジアを優先する。なぜならば、俺たちのほうが身分が上だからだ。俺たちに正式に挨拶をして、灯のところにいくのが普通というものだろう。


「まちなさい!」


 踵を返そうとするレンズに、フリジアがぴしゃりという。


フリジアは、礼儀を重んじるタイプの人間だ。レンズのような人間には、苛立ちを感じるのだろう。そう思っていると、フリジアは俺の背中を押した。何を思ってのことかと俺が疑問符を浮かべていると、フリジアは堂々と発言する。


「この方が、現当主のルロ様です。あなたが気づかないはずがないでしょう」


 正式な礼をとりなさない、とフリジアは言う。フリジアの気迫が怖くて、俺は思わず硬直していた。それを見て、レンズはにやりと笑った。まるで、俺の全てを見透かしたかのよう笑顔だった。


「あいにくと、俺はフリジアのような先祖代々続く貴族の家系じゃないからな。戦で認められた一代限りの貴族だ。お前が、俺たちの統領に相応しいかどうかをこれから見極めてやる。俺が、お前に当主としての礼を取るのはお前が相応しいと分かってからだ」


 偉そうなレンズの言い分にフリジアは憤慨するが、俺は「なるほど」と思った。


 この国には、主に二種類の貴族がいる。


 フリジアや俺のように、先祖代々の土地や地位を持つ貴族。あとは戦などで功績を上げた一代限りの自分の土地を持たない姓を持たない貴族である。後者はなんとか代々の貴族と姻戚関係を結んで、そこの仲間入りを果たそうとするのが普通だ。


だが、レンズからはそういう普通の目標を感じられなかった。領主が俺だと分かっていながら、礼を取らないなんて考えられない蛮行だ。普通であったならば、できるかぎり俺と親しくしたいと考えるであろう。俺との付き合いよりも灯との付き合いを優先するのを見ても、レンズは変わり者の貴族なのだろう。


「だから、あなたが嫌いなんです」


 フリジアは、レンズを唾棄する。


フリジアも次男がゆえに、親から地位を引き継げない貴族である。しかし、自分の力で新たな地位を掴み取りたいと夢見ている。そのためには人望も広げなければならないが、そこら辺の努力をあざ笑うようなレンズは苦手なのだろう。レンズもフリジアに嫌われている自覚はあるようだが、大人の余裕なのかまったく気にしていない。


「嫌われるのは、なれてるぜ。さて、俺は灯のところに行ってくる」


ひらひらと手をふる、レンズ。


その背中は、武器を背負っているというのに身軽だ。レンズには、俺たちのように背負うべき領地や領民がいないかもしれない。けれども、その広い背中は様々な経験をした大人のものに見えた。俺は、そんな背中に声をかけた。


「待ってくれ。今はとにかく人手が足りないんだ。手伝ってくれ」


 俺の言葉に、レンズは振り返る。


そして、にやりと笑った。


レンズは再び俺に近づき、その大きな背丈でもって俺を見下ろしてくる。それだけで、かなりの迫力があった。まるで、大柄な肉食獣にでも睨まれている気分だ。


「こんな男を信用して、いいのかよ。俺は、まだお前の味方になると決めたわけじゃないんだぜ」


 レンズは、悪人のような顔で笑う。気さくな顔しか今まで見なかったが、そのような顔をすると悪党のようにしか見えなかった。背負った武器も荒々しい斧なので、その印象に拍車をかける。だが、気迫で俺は負けるわけにはいかなかった。


「言っただろ。人手が足りないって。今は、父上がどのように仕事をしていたかを知っている人間が一人でも必要なんだ」


 俺は必死に、レンズに訴えかける。


フリジアも唇を噛む。二人だけで仕事を回すのは、とてもではないが無理があるのはフリジアも分かっていた。俺の言葉に、レンズが首をかしげる。


「どういうことだ?前当主の周囲には、何人も優秀な奴らがいたはずだろ」


 レンズの言葉に、フリジアは顔をそむけた。俺は父の代の使用人たちは、老齢のために引退したとしか聞いていない。だが、フリジアの様子を見るに他にも理由がありそうだ。俺は、フリジアに尋ねた。


「そうなのか?フリジア」


 俺の疑問に、レンズが心底呆れたように「おいおい」と呟く。


「考えてみろよ。前当主とフリジアだけで、仕事が回るもんか。政治っていうのは事務仕事の得意な奴らがそろって、初めて回るんだよ」


 ちなみに俺は事務仕事は苦手だ、と何故かレンズは自慢した。そんな気はしていたが、自慢できるようなことでもない。


フリジアは、いやいや答えた。


「……その仕事をしていた二人の使用人は、老齢のために引退しました。事務の仕事を手伝っていた他の貴族の子弟たちは……彼らはルロ様が若いという理由で協力を拒否しています」


 フリジアの言葉に、俺は眼を見開いた。


「それって、どういうことだよ」


 俺は、フリジアに詰め寄る。


フリジアはどこか言いにくそうに、俺から目を背ける。どうやら、彼の口からは言いにくいことらしい。それでも、聞かなくてはならない。しかし、俺はどうすればフリジアから真実を聞けるのかが分からなかった。


 そんな俺たちの光景を見ていたレンズが、ため息をついた。子供の喧嘩にはついていけない、とでも言いたげだ。俺たちは真剣なので、そのようにレンズに思われるのは不服だ。だが、答えに察しがついていそうなレンズには答えてもらえなければならない。


「レンズ、教えてくれ」


 俺は、まるで命令しているかのようにレンズに言った。


 レンズは特に不機嫌になるようすもなく、肩をすくめながら答えた。


「お前に自滅してもらって、あわよくば自分が領主の座に座ろうって考えているやつらばっかりなのさ。お前は、親父から財産以外は何も受け継がなかった。後ろ盾も、知識もない、仲間もいない、手下もいない若造なんて早々に沈んで当然だろ」


 レンズの言葉が、俺を矢のように貫く。


 それは、俺も薄々気が付いていたことだった。俺は、父親から何も教わっていない。なにも、受け継いでいない。


「レンズ!不敬ですよ」


 フリジアの怒鳴り声が響く。彼が本気で起こっていることが、長い付き合いからも分かった。だが、俺はフリジアを止めることも、なだめることもできない。俺は魂が抜けたかのように、茫然としていた。そんな俺たちをさらに追い詰めるかのように、レンズは口を開く。


「いいや、フリジア。お前も分かっているはずだ」


 フリジアは、言葉に詰まる。


 反論できないフリジアは、無言で拳を握る。悔しいが、何も言い返せないというふうだった。それは、俺も同じだ。


 レンズは、言葉を続ける。


「親父から知恵も後ろ盾も授けられなかった――ルロ、お前は父親に愛されてなかった。お前は、当主になることを望まれてさえいなかった」


 レンズの言葉は、俺にとっては鋭い刃のようだった。


 そして、俺が薄々思っていたことだった。もしかしたら、フリジアでさえそう思っていたかもしれない。


だって、領主を継いだというのに俺の味方はあまりに少なかった。


友人兼部下のフリジアと医者で父の愛人だった灯しかいない。あまりにも心細い味方たちは、父がいつか俺に領地を継がそうとしていて準備していたものとは思えない。偶発的に残った、俺の味方でしかないような気がするのだ。亡くなった父が、俺に「失墜しろ」と言っているように感じてしまう。


 それでも――


 そうだとしても――


「それでも、今は俺が領主だ!!」


 俺は、腹の底から叫んでいた。

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