第11話


 灯の家に帰ってくると、すでに食卓には食事の準備がされていた。その和気あいあいとした雰囲気は庶民的で、貴族の子弟の教育をしている家とは思えない。それ以前に、前当主の愛人の家だとも思えない。棚に薬品などがどっさりと詰め込まれていることによって、かろうじて医者の家だと分かる程度だ。


「おかえりなさいませ、ルロ様」


 俺の帰宅に気が付いた灯が、頭を下げる。シュナも、それに倣った。最初は灯に促されるままだったシュナも、俺に対して礼を取ることになれつつある。俺としては気楽に付き合いたいので堅苦しいのは遠慮願いたいのだが、灯の教育方針ならば口をはさむことはできない。


「楽にしていいぞ。灯、少し話がある」


 頭を上げた灯は、首をかしげる。


 そうやると元々の顔が幼いので、まるで灯は子供のような印象になった。この人は、本当に俺よりも年上なのだろうか。


「なんでしょうか?」


「今度、俺のお披露目の舞踏会をする。それに、お前とシュナを呼ぶ」


 灯は、その言葉に目をぱちくりさせた。


 驚いているようで、彼には珍しく反応が遅かった。迷惑だっただろうか、と俺は後悔し始めていた。


「本当ですか?」


 灯は、俺に確認を取る。


「ああ……いやならば、断っても」


「いいえ!」


 灯は、キラキラと目を輝かせる。その表情はあまりにも嬉しそうであり、俺は一歩引いてしまった。そこまで付き合いが長いわけではないが、灯が舞踏会でここまで喜ぶタイプの人間だったとは思わなかった。灯は、俺の手を取った。


「ありがとうございます。シュナに舞踏会を経験させてあげられなくて、どうしようと思っていたところなんです」


 灯は、本当に嬉しそうだった。


 その様子に、俺はちょっとばかりびっくりしていた。こんなにも喜ばれるとは予想外だったのだ。むしろ、迷惑がられたらどうしようとも思っていた。


「シュナ!」


 名前を呼ばれたシュナは、体をこわばらせた。ちょっとの緊張と何か悪い予感がする、というふうであった。今の灯は、それぐらいに興奮している。


「前当主様にいただいたドレスを着ましょう」


 灯は、部屋の奥へと飛んでいく。いつもと違って足音をばたばたと立てて、らしくないなと俺は思った。そして、灯の言葉に疑問も感じた。俺は、シュナにそっと尋ねる。


「父上は、シュナにドレスを送ったのか?」


 同居人の弟子に送るにしては、贅沢すぎる贈り物である。


衣類は、基本的に全て手作業で作られている。そのなかでもドレスはたっぷりと絹地が使われ、輝くビーズまで縫い付けられたりするために非常に高価だ。さらにドレスに付き物のアクセサリーにも宝石や貴金属が使われているために、そこでも値と価値がさらに上がる。シュナは、首を振った。


「いいえ、私じゃないわ。おじさんが、灯様に送ったものよ」


 俺は、言葉を失った。


 父の趣味に、唖然とするしかなかったのだ。


「なんで、男にドレスを贈るんだ?」


 男にドレスを贈るなど、普通のことではない。部下の男に褒美として渡すとしたら、武器や文房具と言った使用に耐えるものであろう。


 俺の疑問に、シュナが答える。


「おじさん……前当主様が、似合うからって何着かを給料代わりに渡したらしいです。灯様は兵士をやっていたころは、お金は受け取らなかったから」


 俺は、思わず言葉を失った。


いくら灯が女性的な顔立ちをしているからって、そんな給料代わりはないだろうと思ったからだ。いや、父の苦悩も分かるのだ。


戦で灯が活躍したとして、褒美を拒否していたら他に示しが付かなくなる。だから、愛人として拒否できないものを贈ったのだろう。趣味が良いかどうかは別として。一体、どんな趣味のもの贈ったのだろうか。いろんな意味でドキドキしながら、俺は灯が戻ってくるのを待った。


「ほら、シュナ。これなんてどうですか?」


 灯が持ってきたのは、夜空のようなドレスだった。濃い紫色のドレスは重そうな色どりだが、銀の糸で施された刺繍はどこか神秘的な天の川を思わせる。父が選んだドレスは、若い娘向きのものではなかった。むしろ、肌の露出を押さえた年長者向きのドレスだ。


「灯……それ父上からもらったものなんだろう?」


 俺の質問に「そうですけど」と灯は答える。


 俺は怖いもの見たさで「ちょっと当ててみてくれ」とお願いした。灯は特に嫌がる様子もなく、体にドレスを当てる。彼にとっては異国の服装だから、女装をしている感覚が薄いのかもしれない。


 ドレスを体に当てた灯は、くるりとその場で回る。


 ――……結構、似合うのではないだろうかと俺は思ってしまった。


 灯の黒髪とも違う、暗い色合いのドレス。灯が身にまとうことで、きっと銀色の刺繍がより魅力的にうつることであろう。ドレスの露出のなさが、灯の上品な雰囲気をより一層引き立てている。アクセサリーはすべてが真珠で、黒を引き立てるためのデザインだった。間違いなく、灯のために仕立てられたドレスだ。


だが、今回それを着るのはシュナだ。


「私が着るには、大人っぽすぎます」


 シュナは、そう言って断ろうとしていた。


 シュナにもドレスは十分に似合うような気がしたが、彼女の歳を考えれば確かにドレスは大人っぽすぎる。十四歳の彼女が着るドレスは、普通ならばもっと華やかで可愛らしいものだろう。肌の露出も、もう少し多くても許される。


「そうですか?シュナは身長もありますし、似合うと思いますよ」


 だが、灯はシュナの話を聞かない。もしかしたら、ドレスの流行りを知らないのかもしれない。あるいはコレ一着しかないのか。俺の精神の安定のために、一着しかないことを願いたい。


「当日までに、少し丈をつめたりしましょうね」


 灯は、ひどく楽しそうだった。


 俺は、とりあえずこの話を持ってきてよかったと思うことにした。


 そうしなければ、やっていられなかったからだ。

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