第9話

 俺が目覚めると、窓の外は晴れていた。


 晴れ晴れとした天気に、俺は思わず微笑む。天気が良くなれば、気分は上昇する。たとえ、父親の愛人問題が発覚した朝であっても。


それを思い出し、俺はどんよりとした気分になった。


愛人の灯が良い人だったのが、せめてもの救いだったのかもしれない。俺は、しばらくこの問題は考えないことにしようと思い食堂に向かった。


 食堂のドアを開けると、灯の声が聞こえてきた。


「おはようございます」


 食堂では、すでにシュナと灯が朝食の準備をしていた。狭い食堂でぶつかることもなくてきぱきと動く、彼女たち。きっとこれが、彼らの日常なのだろう。親子のような様子に、俺は少し微笑ましくなった。


「よく眠れましたか?」


 シュナの言葉に、俺は頷く。部屋の準備をしてくれたのはシュナなので、責任感からなのかもしれない。だとしたら、いい子だ。


「ああ、おかげさまでな」


 俺が席に着くと、食事が運ばれてきた。昨日の夜とほとんど変わらないメニューで、薄いスープとパンだった。チーズはない。栄養価の高いチーズは、高価なのだ。代わりにスープの味付けは昨日と代わっており、朝からわざわざ作ったことがうかがえる。パンも、昨日と違ってふかふかだった。


「シュナが、朝から近くの店からパンを買いにいってくれているんです」


 灯が笑顔で、説明する。


 どうやら、シュナは一日分のパンを朝に買い求めているらしい。道理で夜になったら、パンが堅くなっていたはずである。俺がパンとスープを食べていると灯が口を開いた。


「きっと、もうすぐフリジアがいらっしゃいますよ」


 俺は、首をかしげながらパンを口に放り込む。


「どうして、分かるんだよ」


 フリジアにはいつごろ迎えに来てほしいとは伝えてなかったが、朝食の時間にくるほど無粋な男ではないだろう。俺が首をかしげていると


「彼は、とてもまじめですから」


 そう言って灯は微笑む。


 家の外から、走る馬の足音が聞こえた。そして、一拍遅れてフリジアの声が聞こえてきた。灯の言うとおりになったことに、俺は少し驚いた。伊達に付き合いは長くないということなのかもしれない。


「ルロ様!」


 俺は慌てて、パンをスープで流し込んだ。せき込みそうになった胸を叩いて、椅子の背もたれにかけていた上着を身に着ける。


「お待ちください」


 灯は、そう言って俺に別の上着を差し出した。俺が着ようとしたものよりも薄手のものだった。


「前当主様のものを仕立て直しました。こちらのほうが、涼しくてこの土地では過ごしやすいですよ」


 厚手の上着しか持っていなかった俺には、嬉しい知らせであった。それにしても一晩で上着の仕立て直しまで出来るとは、とことん多才な人間である。


俺は、上着を灯に着せてもらう。一人でも着れたのだが、あまりに自然に灯が手伝ってくれたので従うしかなかったのだ。上着のサイズはぴったりであり、青色の薄い生地が涼しげであった。


「ありがとう、灯」


俺は、灯に「ごちそうさま」とも告げる。


「今日も、こちらに帰ってきてください。ご飯も用意しておきます」


 父の館の二階が今日中に仕えるようになるとは思えないので、それは嬉しい言葉であった。俺が家を出ようとすると、灯はシュナを席から立たせる。


そして、俺は二人に見送られて家を出た。俺の方が身分が高いので当然の見送りであったのだが、一瞬だが小さな家の主人になった気持ちになった。


 家の前には、フリジアがいた。


「ルロ様、昨日はどうでした?」


 フリジアが、俺に尋ねる。


父親の愛人の家を進めたフリジアは、実にあっけらかんとしていた。灯の人柄を知っているから何事もないだろうと踏んでいたのだろうが、もうちょっと気遣ってほしかったと思う。


 だが、俺は「よく休めたよ」と伝えた。


 事実だったからだ。


「では、館へと向かいましょう。準備が、山ほどありますから」


 フリジアに準備と言われて、俺は首を傾げた。


「準備って、なんの準備だよ」


 思い当たる節がなかったが、フリジアは何てことないように答える。


「ルロ様のお披露目舞踏会の準備です」


 その言葉に、俺は驚いた。


 俺の脳内には、おとぎ話に登場するような豪奢の舞踏会が思い浮かんでいた。だが、田舎でそんな大規模なものを開催できるはずもない。きっと小規模な質素な物のはずだ。


「なんだよ、その舞踏会って」


「ルロ様が新領主になりましたという報告のために開催する舞踏会です。近隣の貴族も呼んで、盛大に行う予定ですから」


 そんなことをするのか、と俺は茫然とした。


 だが、フリジアは相変わらず平然としている。


「名家の出身者ならば、皆通る道ですよ」


「フリジアもやったのかよ」


 俺が恨みがましく尋ねると「兄がやりました」という答えが返ってきた。忘れていたが、フリジアは次男で家を継ぐ権利がない。そのため、フリジアの子供は貴族ですらなくなってしまうのだ。


そうならないためにもフリジアのような男は、どこかの名家に婿入りしたがる傾向がある。だが、フリジア自身は自分で武功をあげて、自らの地位を安定させたいと考えているようだった。俺のようにぼんやり地位を継いでしまった男なんぞよりも、ずっとしっかりした男なのである。フリジアという男は。


「父上も、やったんだよな……」


 俺の呟きに、フリジアは笑い出す。


 なにを当たり前なことを、とでも言いたげな笑い方であった。


「おそらくは、やったんだと思いますよ。伝統ですから」


 残念ながら、当時を知るような知り合いは俺にはいない。しかし、父上はきっと舞踏会を成功させたことだとう。俺は、それを引き継がなければならない。それは意地やプライドの問題ではなく、伝統の問題であった。


 俺は、ため息をついた。


 領主就任早々に、なかなかに面倒くさい問題である。


「本当は、ルロ様のお母様にも参加してほしかったんですが……」


 フリジアの言葉に、俺は首を振る。


 あの人が、ここに来ることはないだろう。静養地をほとんど出ないような人だし、来たしてもなにかできるとも思えない。母上がいる静養地は静かなところと言えば聞こえはいいが、尋ねてくる人もいない土地である。その土地で、母上はずっと寝ている。そのため、母上が貴婦人らしくお茶会を開催したり、客人を歓迎しているところを見たことがない。


「別に、母上がいなくてもいいだろう」


 俺がそう思ったが、フリジアは納得しかねる顔をしていた。


「舞踏会には、ご令嬢たちもいらっしゃるんですよ。そこに、未来の奥様との出会いがあるかもしれませんよ」


 そんなときにお母様がいたほうがいいでしょう、とフリジアは語る。フリジアの言うことにも一理ある。舞踏会は若い男女の集団見合いのような場も兼ねているのだ。


「前当主様も舞踏会で、奥さまとのご縁がまとまったと聞いていますよ」


 父上たちの場合は家同士の利害が一致した結婚だったから、舞踏会で出会ったのも顔合わせに近いものであっただろう。後々の二人の仲を考えれば、舞踏会での出会いは俺にとっては縁起が悪いものにしか思えない。


「俺に結婚はまだ早いだろ」


 そう言って、俺は結婚話から逃げようとした。


 事実、俺は将来の結婚相手を考える余裕がない。


「いいえ。領主様になったんですから、後継ぎは必要ですよ」


 フリジアは熱心に、俺に結婚を解く。


 フリジア自身は独身だというのに、と俺は不満になった。彼は次男なので、家の家督を相続もできないが結婚については自由が利く。もっとも、それも自身の身分保身を全く考えない場合だが。


「ルロ様と釣り合う身分の令嬢もたくさん来ますよ」


 フリジアの言葉にも、俺の心は踊らない。


 父と母の不仲を知っている俺は、結婚に夢を見ていない。さらに言えば、身分が釣り合うような相手を好きになれるとも思っていない。父上と母上のような結婚を見てしまっているからだ。政略結婚は不幸しか呼ばないような気がしてならない。


「ご令嬢たちの美しい姿を見ると気が変わるかもしれません」


 俺の考えを読んだのか、フリジアはそんなことを言う。俺はどこか呆れながら、フリジアに言い返した。


「だったら、フリジアも嫁を見つければいいだろう」


 俺の言葉に、フリジアは笑っていた。


 その笑みには、どこか余裕がある。


「俺は、気楽な次男ですから」


 俺は、思わず不満げな表情をしてしまう。


 俺は長男な上に一人っ子であるので、家督相続からは逃げられない。それはすなわち、政略結婚とも逃げられないということである。俺の将来に、俺は目の前が真っ暗になった。願わくば、将来のお嫁さんは体が丈夫で俺の側に常にいてくれる人が良い。

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