第8話

命を好きに使ってくれ、と言われても俺は何も言えなかった。


 灯だけが、優しげに微笑んでいる。


「父上は、お前の命を好きに使ったのか?」


 気になった俺は、灯に尋ねた。


 灯は、首を振る。


「いいえ。前領主様は、僕を最後までは使ってはくれませんでした」


 灯は、残念そうな表情を見せる。


 兵士としても父に忠義を誓っていた灯にとって、生き残ってしまったということは耐え切れないものなのかもしれない。俺には分からない感覚であったが、人に仕えるというのはこういうことなのだろうか。


「……いくら父上でも、息子と同い年ぐらいの人間の命を使い捨てることはできなかったんだろう」


 自分の息子と同い年ぐらいの男を愛人にしていた父にも、それぐらいの良心はあったんだろうと信じたい。


 俺の言葉に、灯は少し驚いた顔をしていた。


「勘違いされているようですが……私は、ルロ様よりもだいぶ年上ですよ」


 その言葉に、俺は驚いた。


 幼い容姿の灯は、とてもではないが俺より年上には見えない。さすがに年下には思えなかったが、ずっと同い年ぐらいだと思っていた。


「灯って、何歳なんだ?」


 俺は、恐る恐る尋ねる。


 改めて見る灯の肌は、荒れた指以外は瑞々しい。髭も生えているような気配がなく、瞳も大きくて子供っぽかった。これで年上だといったら、詐欺だと思う。


「前領主様よりも年下で、ルロ様よりは年上ですよ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべる、灯。


 おそらく灯は、自分の年齢不詳っぷりを理解している。そして、それを使って俺で遊んでいるのだ。あとでフリジアあたりに聞こうか、と思った。フリジアは灯と付き合いが長いようだから、さすがに灯の実年齢も知っているだろう。


 俺がそんなことを考えていると、灯がずいと近づいてきた。


 男と知っても、年上だと知っていても、灯の美しさは心臓を高鳴らせる。


「ですから、ルロ様は私を使い捨てることになんら罪悪感を感じることはないのですよ。老兵は、ただ消え去るのみなのですから」


 灯はそう言って、立ち上がる。


 そのまま灯は、部屋を出ようとした。


 俺は、慌てて灯を呼び止めた。


「お前は、もう兵士は止めたんだろ。なら、一体どうやってその命を使うっていうんだ」


 俺の疑問に、灯は答える。


「命の使いかたは、一つではありません。ルロ様は、その時がきても嘆いてはいけませんよ」


 灯の言葉で、俺が気になったのは一つだけだった。


「父上も、そうだったのか?」


 愛人の命を平気で使いきれるような人間だったのだろうか。


 灯は、振り返る。


 そして、再び俺に近寄る。


「前領主様は、できませんでした」


 灯は真剣な表情で、俺にささやきかける。


「ルロ様、悲しんではいけません。ルロ様は、上に立つものなんですから」


 それは、フリジアが死んでもそうなのだろうか。


 友人が死んでも悲しまない、心を持つ者。

 

 それは、人間ではないような気がした。


「人の心を殺さないと領主には、なれないのか?」


 俺は、灯に尋ねた。


「いいえ……。人の心を殺した方が、ルロ様が苦しまないのです」


 俺には、灯の言葉の意味が分からなかった。


 だが、俺は灯の言葉は違うと思った。


 俺は、人の心を失いたくはなかった。


「灯、俺は父を超えたいとは思う。けど、人でなしにはなりたくはないよ」


 俺の言葉に、灯は眼を丸くする。


 あきれられたのだろうか、と俺は思った。


 だが、次の瞬間には灯は優しい顔になっていた。灯は、俺に向かって手を伸ばす。近くで見ると、灯の指先はやはり荒れていた。きっと手荒れは、きっと薬品によるものなのだろう。医者である灯は、そうやってたくさんの命を救ってきたに違いない。


 そんな、人間を見捨てるような未来があるのだろうか。


 俺は、そう思った。


「灯様、ちょっとお聞きしたいことが……」


 シュナの声が聞こえた。


 俺が顔を上げると、シュナはドアの隙間から顔を出していた。シュナは灯が俺の部屋にいることが気に入らないらしく、むすっとしていた。


 灯は、俺から手を引っ込める。そして、何食わぬ顔をしてシュナの方を向いていた。その一連の仕草が、なんだか大人の余裕を感じた。


「どうしたんですか?」


 灯は、シュナの方に近づく。


 シュナの手には、裁縫道具が握られていた。どうやら、刺繍をしていたらしい。刺繍は平民でも貴族でも女性ならば、だれでも嗜むことである。二匹の小鳥をハンカチに縫うことで、男性に愛を告げるという奥ゆかしい文化もあるほどだ。


「ここをどう縫うのかが、分からなくて」


 刺繍を施された布を見つめて、灯は微笑む。


「あちらで教えますよ」


 そう言って、灯は俺に背を向ける。


 灯は、そうやって俺の部屋から出ていこうとしていた。


「何を話していたんですか?」


 閉められそうになったドアの向こう側から、シュナの声が聞こえる。


 灯は「なんでもないですよ」と答えた。


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