第7話
夕食を終えると、さっきシュナが案内してくれた部屋に俺は戻った。ベッドに寝転び、俺はため息をついた。シュナの準備をしてくれたベッドは、ふかふかで気持ちがよかった。
だが、色々疲れた食事だった。父の人間関係を知れた食事会であったので、収穫がなかったとは言えなかったが。
「やっぱり、灯は愛人だったのか……」
ぼそり、と俺は呟いた。
父が俺たちのもとに寄り付かなかったのは、本当に火傷のことがあったからなのだろうか。
いや、火傷を負う前から父は母の元にも、俺の元にも寄り付かなかった。だから、父が火傷を負っていなくても、父は俺たちの元には帰ってこなかっただろう。この家で、灯とシュナとずっと家族ごっこをしていたはずだ。
父は、俺と母のことを疎ましく思っていたのだろうから。
父にとって愛人の家であるここが、本当の「家族」だったのだろうか。
俺は、ベッドから起き上がった。
「俺は、父を超えてやる……」
父は戦で名を上げ、周囲からの信用も得ていた。
俺も同じように戦で名を挙げて、父を超えてやると思った。父を超えることができなければ、この地に来た意味がない。
「ルロ様……起きていらっしゃいますか?」
灯の控えめな声が、ドアの外から聞こえてきた。
起きているぞ、と答えると灯はドアを開けた。灯は足音も立てずに俺が寝ている部屋に入り込み、温めたミルクを差し出してきた。漂う香りから、酒の類は入れていないようである。代わりに入れているのは、きっと蜂蜜だろう。甘い良い匂いがした。
だが、蜂蜜入りのミルクなど眠れない子供に飲ませるものだ。子ども扱いされているような気がして、俺はいい気がしなかった。俺が不貞腐れているようにでも見えたのだろうか、灯は微笑む。
「甘いものは、苦手ですか?」
灯は、俺に尋ねた。
その顔は、穏やかだ。
よく見れば、灯は夜着に着替えていた。日中の服ともまた違う服装は、昼間のもの以上にゆったりとしていて飾り気もない。愛人を名乗るには色気も可愛げもない夜着で、布の材質も質素なものだった。俺が着ている客人用の夜着のほうが、上質なぐらいだった。
「甘いものは嫌いじゃない。でも、ミルクに蜂蜜を入れたヤツは子供が飲むものだろう。子供っぽいものは嫌いだ」
俺がそう言うと、灯は小さく笑った。
子供っぽいところを厭うところが、一層子供のようなのだろうかと俺は思った。
「失礼しました。前当主様は、コレが好きだったんです。お酒はよっぽどのことではないと召し上がりませんでしたが」
灯は、懐かしそうに言う。
父は、ワインをあまり飲まなかったようだ。その点は、俺と似ている。俺もワインはあまり飲まない。渋みを感じる味が、どうも苦手なのだ。あまりバレたくないが、俺は子供舌だ。父も同じだったらしい。なんだか、妙な親近感がわいてしまった。
「ミルクにたっぷり……スプーン十杯の蜂蜜を入れるのが好きだったんですよ」
にっこりと微笑む、灯。
それは、さすがに入れすぎではないだろうかと思う。俺だって、そこまでの蜂蜜を入れたりはしない。父は、どうやら度を越した甘党だったようだ。案外、ワインにも蜂蜜を山のように入れたら飲んだのではないだろうか。
「それに、コレはこのあたりで取れる蜂蜜を使っています。花の香りがして、さらりとした甘さで飲みやすいですよ」
灯は、飽きもせずに俺にミルクを差し出す。
領地で取れているものが使われているとあっては、味見しないわけにもいけない。俺は、灯からミルクを受け取った。カップに息を吹きかけて、一口味見する。
「……美味しい」
確かに飲みやすい甘さである。そして、おそらくは蜂蜜は十杯も入っていない。どうやら、灯は加減してくれたらしい。ありがたいことである。
ただ香りに関しては花の匂いなんてしばらく嗅いでなかったので、本当に花の香なのかどうかは分からなかった。
「よかった。前当主様と同じものが好きだなんて、やっぱり親子ですね」
そう言われて、俺の胸に複雑なものが渦巻いた。
だが、美味しいものに罪はない。
灯は、俺が座っていたベッドの隣に座った。俺は、できるだけ早くミルクを飲み干そうとした。同じ部屋に灯がいることが、気まずかったのだ。
灯はそんな俺の気持ちなんて知らないのか、楽しそうに様子を見ている。灯との歳の差はあまりないと思うのだが、こんなふうに見守られていると彼がはるかに年上のように思えてしまう。
「父上は、良い領主だったのか?」
カップを灯に返しつつ、俺は父のことを彼に聞いた。
灯は、頷く。
「ええ、良い領主様でした。戦に強く、戦を嫌い、民に公平で、優しく、気さくで……」
灯は、父の良いところを語る。
とても幸せそうな口調だったが、その時間は俺にとってはとても長いように思われた。自分に不足しているものを突き付けられているようで、居心地が悪かったのか。
俺の視線に気が付いたのか、灯は微笑む。
「良い人でしたよ」
灯は、そう締めくくった。
彼の話のなかで、気になることがあった。
「戦が嫌い?」
父の評価で、それが気にかかった。
父は、戦上手だった。それなのに、戦が嫌いとはどういうことなのだろうか。戦好きと表現されたほうが、しっくりくるのにと思った。
「はい。前領主様は、戦がお嫌いでした。失うものが、多すぎるからと」
灯は、少し寂しそうだった。
父と多くの戦を潜り抜けてきた灯も、多くのものを失ったのだろうか。
「……戦で失うなんて、嘘だ」
俺は、ぼそりと呟いた。
それに対して、灯はきょとんとした顔をする。
まるで、俺の言葉が理解できないような表情だった。
「戦で、失うなんて考えられるか。俺は、戦で父上を超えてやる!」
俺は、灯の前でそう宣言した。
灯は、そんな俺を茫然と見つめていた。
だが、やがて俺を慈愛の瞳で見つめる。そして、俺の前で膝間ついた。蝋燭の光に照らされた灯の姿は、酷く神秘的なものに思えた。
俺は、息を飲む。
灯が触れてはいけないものに感じられた。
「ルロ様……あなたに付き従います。この命、どうぞお好きにお使いください」
俺は、何も言えずに灯を見つめていた。
灯は、そんな俺を見て優しげに微笑んでいた。
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