第6話
フリジアは自分の屋敷に帰り、俺は灯の家に一人残された。
シュナが整えてくれた部屋は、狭いが綺麗に整頓されていた。安宿よりは上等であるが、母の屋敷には到底及ばない部屋であった。質素な家であるし、それは仕方がないことなのかもしれない。それより、ここに生前の父が寝ていたと思うとなんだか妙な気分だった。何か父の私物はないかと探してしまうが、それらしきものは何もなかった。
「夕食は、もう食べましたか?」
部屋まで案内したシュナは、俺にそう尋ねた。
この地に着いてから、俺は食事をしていない。腹が減っていることを伝えると、シュナは少し待つようにと言った。灯が作る料理が完成するまで、少し時間があるらしい。
灯が料理をするということは、この家には使用人もいないらしい。年金までもらっている愛人なのに、どうしてそこまで質素なのだろうか。
「この時間までここにいるということは、シュナはここに住んでいるのか?」
シュナと灯に、血縁関係がないのは明らかである。そもそも彼らは、人種が違う。それでも、年若い彼らが二人で身を寄せ合っているのは珍しいことだと思った。
もしかしたら、父は年若い二人を心配して一緒に住んでいたのかもしれない。そう考えたが、純粋に心配しているだけだったら灯を愛人にしなくてもいいのである。男の欲望に、俺はがっかりした。俺がそんなことを考えていると、シュナは口を開いた。
「……私には、家族がいないんです。母は病で、父は戦争で亡くなりました。身寄りがなくなったので、灯様が弟子にしてくださったんです」
シュナが医学を学べば将来は食うに困らないであろう、というのが灯の考えらしい。
たしかに女の身で医学を学ぶものは少なく、身に着ければ将来のためになるはずだ。もしかしたら、灯も同じ理由で医学を学んだのかもしれない。
「そうなのか……辛いことを聞いたな」
シュナの歳で、家族全員を失うのは辛かったであろう。
だが、シュナは首を振った。
「いいえ。灯様も前当主様も優しくしてくださいました。前当主は、暇なおじさんというふうだったけど」
シュナが下す父への評価は、かなり厳しい。
それだけ、父がこの場所では気を抜いていたということなのだろうか。そして、それをシュナにしっかり見られて彼女の評価を下げていたらしい。もしかしたら、シュナは父上にとって娘のようなものだったのだろうか。この評価の低さは、どうにもそんな気がする。
「灯と父は、仲が良かったのか?」
バカなことを聞いた、と俺は思った。
同じことを灯にも、聞いたというのに。
それに愛人である灯と父が、不仲であったはずがない。
そんな俺の心情を理解しないシュナは、素直に俺の質問に答えてくれる。
「仲は良かったと思いますよ。医者として灯様は、おじさんのことを叱ることも多かったですけど。あの人、患者としてはダメダメでしたし。何度注意しても、患部を清潔に保つことをしてくれないんですよ」
シュナの言葉は、俺が望んだものではなかった。
俺は、愛人としての灯と父の中を知りたかったのだ。
「医者として、ではなくて……」
言いよどむ俺に、シュナは首をかしげる。
「何が言いたいのかは分かりませんけど、私は医師である灯様しか知りません」
はっきりとシュナは、言った。
俺は、苦笑いする。
年若いシュナの前では、愛人らしい雰囲気にはならなかったのだろうか。だとしたら、父も灯も良識人である。
俺は、少し安心した。
幼いシュナが、爛れた環境にいたわけではないことが分かったからだ。幼いシュナが見ているのに、ムチなど使っていたら俺は一生父を許さない。
「シュナ、ルロ様。食事ができましたよ」
灯の声が、聞こえた。
その言葉は、普通の家庭の母親を連想させるものだった。そんな家庭的な言葉を聞いたシュナは、俺を見つめる。こうしていると、シュナはごく普通の家庭で育つ少女のようだった。
「行きましょうか」
シュナに促されて、俺は食堂に向かう。
木製のテーブルが、蝋燭に照らされている。スープとパン。それに、硬いチーズが準備されていた。ワインすら用意されていない質素な食卓である。
「簡単なものですみません」
灯はそう言って、俺に詫びた。
庶民の暮らしでは、これぐらいが普通であると知っていた。俺は文句も言わずに、食卓に座る。食事前の祈りをすませ、俺はスープをすすった。
薄味だ。
だが、うま味があり、美味しかった。なにより、熱い鍋から直接注がれたスープはありがたい。母と暮らしているころは、食卓のスープはいつも冷めていた。神経質な母親が毒殺を恐れて、食事を全部毒見させていたからだ。冷えた食事は、父の不在も相まっていつもどこか寂しかった。
静かな食事のなかで、最初に口火を切ったのはシュナだった。
「前当主様は、お家ではどのような人だったんですか?」
シュナの質問に、俺は戸惑った。
「家って……あの人は母上のところにも俺のところに帰ってこなかったよ。俺は、あの人の顔も知らない」
言いながら、俺は愛人の灯とその養い子のシュナには恨みがましく聞こえてしまっただろうかと思った。だが、シュナは気にしているふうではなかった。
「そうですか。なら、私たちと一緒ですね」
シュナの言葉に、俺は耳を疑う。
愛人の灯とその養い子のシュナが、父の顔を知らないはずがない。
「どういうことだ?」
俺が、混乱した。
一緒に生活をしていたシュナたちが、父の顔を知らないというのはあり得るのだろうか。俺が頭を悩ましていると、灯は驚いたように目を見開いていた。
「前当主様の顔は、火傷で半分以上が爛れていました。そのため、いつも包帯で顔を隠していたんですよ。知らなかったのですか?」
初耳である。
灯によると父は戦場で大火傷を負い、それによって顔半分を失ったらしい。それ以来は常に包帯をつけて生活するようになってしまったために、シュナは父の顔を見たことがなかったらしい。
「そうなんだ……。俺のところにはそういう話は全く届かなかった」
もしかしたら、母が俺に話をしなかったのかもしれない。
俺は、本当に父のことを何も知らなかったのだ。
「前領主様は、火傷を見られることを嫌っていましたからね。息子や奥様には、見られたくなかったのかもしれません」
灯はスープをすすりながら、そう言った。
「前領主様の火傷は、医学の心得がない人が見れば顔を背けたくなるような酷いものでしたから」
灯は、そう語った。
その落ち着いている風情に、俺は疑問を感じた。
「灯は、父上の火傷を見たのか?」
誰にも火傷を見せなかったという、父。
それを見ていたというのならば、灯はまさに父の特別の人であったという証拠であるように感じられた。懊悩する俺に反して、灯はあっさりと答えた。
「見ていましたよ。だって、主治医でしたから」
灯の言葉に、俺はあっけにとられた。
そういえば、灯は医者である。しかも、父が入り浸っていたのだから、治療をしないはずがないのだ。
「灯は医者として、父と知り合ったのか?」
そうして、父の恋人になったのだろうか。
そう考えると、灯の愛人らしくない淡々とした雰囲気も納得できるような気がした。
だが、灯は首を振った。
「いいえ。僕は、元々は兵士の一人でした。そこで、前領主様に仕えていました」
灯は、懐かしそうな顔をする。
シュナもそれを知っているらしく、ほぼ無表情でパンを食べている。
だが、俺は灯の返答に茫然としていた。
「兵士って、女性でもなれるものなのか?」
俺は、そんなバカなことを尋ねる。女性が兵士になることなど、まずない。武器は全て男性用に重く作られているし、防具も全て男用だ。案の定、俺の言葉に灯は眼を丸くしていた。
一方で、シュナは俺を鋭い視線で睨んでいた。その鋭すぎる視線に、俺は言葉を失っていた。
「灯様は、女性ではありません!」
ばん、とシュナは机をたたく。
シュナは、頭から湯気が噴き出るのではないかというほどに怒っていた。だが、灯は腹を抱えて笑いをこらえている。俺はどこか冷静になって、二人の対比が妙に面白くなっていた。
やがて笑いを収まると、灯は俺を見た。
その顔は相変わらず美しく、上品だ。
「ルロ様、僕は男ですよ。だから、昔は兵士だったんです」
灯の言葉に、俺はまじまじと彼を見つめた。
男性らしくない華奢な体格は、どうやら東洋人の特徴らしい。背も高くなくて、それが一層たおやかな女性らしい印象を作っていた。
「ちょっと待て、灯は父上の愛人じゃないのか?いかがわしいことして、金を貰ってたんじゃないのか」
俺の言葉に、再びシュナが怒りだす。
「なんですか、そんな失礼な考えは!!」
シュナは怒り狂うが、我慢の限界を超えたらしく灯は笑い転げていた。本気で苦しいらしく、過呼吸になって水を求めている。水を一杯のむと、灯はようやく一息つく。
「まぁまぁ、いいじゃないですか」
灯の言葉に、シュナは唖然とする。
「ルロ様、僕にはいくつもの肩書があります。前当主さまの主治医であり、愛人であり、刃でありました。でも、肝心のところが間違っています。僕は男です」
「男……男が愛人?」
衝撃的な事実に、俺は言葉を失った。
そんな俺にも関わらず、灯はころころと笑うばかりだ。
「僕の国では、珍しいことではありませんでしたよ」
灯は、さらりと告げる。
俺は信じられなかったが、美しい灯の様子を見ていると「娘でも手元に置いていたつもりで可愛がっていたのだろうか」と考えだしてもしまう。だが、隣にはシュナがいる。娘のポジションは、ちゃんと埋まっている。では、やっぱりちゃんと愛人をしていたのだろうか。それも嫌だ。
「じゃあ、年金は……」
俺は、はっとした。
灯は、ニコニコしながら答える。
「戦場で怪我もしましたし、兵士として戦っているころは褒美とか給料とかをもらいませんでしたから。だから、前領主様が年金という形でもらえるようにしてくださったんです。その頃から、シュナを養育することにもなりましたから……正直年金には助けられました」
俺は、頭を抱えた。
灯は、戦争の功労者でもあったのだ。そこで怪我をしたとなれば、年金をもらうということは珍しいことではない。だが、そんな人間を愛人にする文化は俺の国にはない。そんな異文化交流をするな、と俺は死んだ父に文句を言いたくなった。
俺はショックを受けながらも、食事は続けた。
父の愛人が作った料理は、薄味のせいもあってほとんど味がしなかった。
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