第5話

父の愛人のものと思しき家は、かなり質素なものだった。


 家の周辺には家庭菜園のような畑が作られていたが、俺が見たことがない野菜ばかりだった。もしかしたら、野菜ではないのかもしれない。なにせ畑の看板には、薬草と書かれていたからだ。


薬草を育てているなんて、なんて珍しい女性だろうと俺は思った。普通だったら、花などを育てるものだろう。果樹やハーブを育てる人だっているだろうが、さすがに薬草を育てるような女性を俺は知らなかった。


 俺は、そんな家のドアを叩くことを渋った。この家に父の愛人がいるのだ。そう考えると、どうしても一歩が踏み出せなかったのだ。俺の代わりに、家のドアを叩いたのはフリジアだった。フリジアは淡々としていて、愛人の家に踏み込むにしては緊張がなかった。


 そして、愛人の家のドアを開いたのはシュナだった。


 俺はそれに酷く驚いて、腰を抜かしてしまった。それを見たシュナとフリジアは、怪訝な顔をして俺を見ていた。


 俺は呼吸を整えて、冷静に考えてみる。


年齢から考えて、シュナが父の愛人だということはないだろう。


シュナは、まだ十四歳ぐらいだ。愛人になるには、いくらなんでも幼すぎる。ということは、彼女の母か姉が愛人なのだろうか。彼女の近親者ならば、さぞかし美人なのだろうだろうと思った。なぜならば、シュナも銀髪が印象的な美人だったからだ。


「シュナ。誰か、いらしたのですか?」


 家の奥から、低い声がした。


 どこかで聞いたことがあるような声だ。


 ドアの向こう側から現れたのは、灯だった。


 相変わらず美しい容姿に、俺はびっくりしていた。


灯こそが、父の愛人だったのだろうか。灯は俺たちと同い年ぐらいなので、かなり年若い愛人ということになる。だが、歳若い女を好む男なんていくらでもいる。


ましてや、灯は珍しい東洋人である。


父も手に入れたと思ったのかもしれない。それにしても自分の息子と同世代の女を愛人にするなど、父は何を考えていたのだろうか。


「ルロ様。一体、どのようなご用件ですか?」


 灯は、俺に尋ねる。


 俺は驚きで上手く言葉がでなかったので、代わりにフリジアが答える。


「ここにルロ様を泊めていただけますか?城の二階が使えなくなっていまして……」


 フリジアの言葉に、灯はため息をつく。


「掃除していなかったんですね。前当主様には、二階も掃除するようにと言っていたんですが……」


 どうやら、灯は城の二階の様子を知っていたらしい。父にも掃除をする助言をしていたようだが、残念ながら父は灯の言葉を聞かなかったらしい。聞かなくてもいいぐらいに、父は灯の家に入り浸っていたということなのだろうか。だとしたら父上は本物の家族よりも、愛人のほうを大切にしていたことになる。


 館の二階が使えないのはしかたがない、と灯は言いたげだった。


 その様子に生前の父との親密な関係がうかがえて、俺は少し嫌になる。父上は、愛人の灯にどんな顔を見せていたのだろうか。


「シュナ、客室を整えてきてください。今日は、ルロ様を泊めますので」


 灯がそう言うが、シュナはまじまじと俺を見つめていた。


 俺は、それにちょっとびっくりする。こんなふうに見られるのは初めてのことで、なんだか珍しい動物にでもなったかのよう気分だった。


「この人……家に泊まりこんでいたおじさんの息子なんですよね」


 シュナは、そんなことを言った。


 おじさん、という単語に俺は眼をぱちくりする。しばらく考えて、おじさんが父上のことなのだと理解した。領主の人間が、おじさんと呼ばれることなど普通ならばない。


 彼女の言葉に、灯は慌てる。


「こらっ!前当主様をおじさんって、言うんじゃありません」


 灯がシュナを叱る様子は、失礼ながら笑いがこみあげてしまった。自分の父親が「おじさん」扱いされることなどなかったので、なんだか面白くなってしまったのだ。


「でも、あのおじさんは何もしていなかったんですよ」


 灯に叱られたシュナは、頬を膨らませる。


 俺は、唖然としていた。


 俺も父が働いている所など見たことなかったが、常時なにもしていなかったとは考えたこともなかった。話だけ聞くと、父上は休日を寝て過ごすダメな親父のようである。


「……僕たちが見ていないところで、お仕事をしていたんですよ」


 灯が、ばつが悪そうに答える。


 話を聞いていた俺は、本当にそうだったのだろうかと疑ってしまった。愛人の家には、仕事を持ち込まない主義だったのかもしれない。


「私は、てっきりもう引退したかと思っていましたよ。あの人、毎日ここに泊まっていましたし」


 毎日入り浸るのならばもう少し灯をまともなところに住まわせてやればいいのに、と俺は思った。灯の家は、びっくりするぐらい質素だ。


灯自身も装身具を身に着けておらず、地味な恰好をしている。愛人ならば、普通ならば着飾っている。なぜならば、愛人はその美しさで主人を引き留めているからだ。


「灯と父上は……その仲がよかったんだな」


 俺の言葉に、灯は少し照れたような顔をした。


 その顔は幼げだが、透明感があって美しい。


 父と一緒の時も、灯はこんな表情をしていたのだろうか。愛人ならば、そういうものなのだろうか。俺は、そんなことを考えた。灯はどこか照れながら、俺に向かって口を開く。


「前当主様には、重宝していただきました。怪我をしてからは、年金までいただけるようにしていただけましたし」


 愛人に年金がわたるようにするのは、珍しい話である。普通なら主人が死んだ愛人は、主人が生前プレゼントしたものを換金して食つなぐのである。 

 

 年金をもらうような愛人は、王の愛人ぐらいだ。


税金の話も気になったが、俺は怪我という話も気になった。父は灯に、どんなことをしたのだろうか。ムチでも振り回していたのだろうか。だとしたら、紳士として最低な話である。


「父上は……その厳しい人だったのか?」


 愛人に、怪我をさせるほどのことをする人だ。厳しいというか加虐趣味だったのかもしれない。だとしたら、父が家にいなくてよかった。


「戦については厳しい人でしたけど、それ以外は優しい人でしたよ」


 灯の言葉に、シュナはうんうんと頷く。


「そうですね。手が足りないときには、患者を治療するのを手伝ってくれましたし。好き嫌いなく、何でも食べていましたし」


 最後のは、優しさは関係ない。


 というか、父は灯たちと食事も共にしていたのか。まさしく、生活を共にしていたのではないか。自分の息子や妻の顔は、見にも来なかったくせに。俺は、少しばかり悔しくなった。そんな俺の内心を読んだかのように、灯は俺に近づく。


「ルロ様、前当主様のお話を聞きたいのですか?」


 灯の言葉に、俺は戸惑いながらも頷いていた。


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