第4話

 灯たちが立ち去ると、俺はゆっくりと立ち上がった。


 倒れるときに感じた眩暈は、もう感じなかった。


「ルロ様、どうやら回復したようですね」


 フリジアの言葉に、俺は頷く。ほっとしているフリジアを見ていると、心配をかけてしまったことが申し訳ないように感じられた。


「ああ、手当してもらって助かったよ。さっきの灯って人は、医者なのか?」


 俺の質問に、フリジアは頷いた。


 フリジアの知り合いであるせいなのか、フリジアはどこか得意げであった。


「そうです。このあたりでは唯一のお医者様で、前当主様も大変頼りにしていました」


 どうやら、本当に腕のよい医者らしい。


 今度何かあったときに世話になりたい、と思った。熱中症でお世話になるのは、なるべく避けたいことだったが。なにせ、恰好が悪い。


「十分に休めたし、行こうか」


 俺は、できるだけ元気よくフリジアに声をかけた。


「はい。次は倒れないようにしてくださいね」


 フリジアは笑いながら、道の端に繋がれた馬を迎えにいった。


 俺たちは、その馬に乗って城下町に向かう。


 俺の領地はそのほとんどが農地であるが、さすがに城下町には店が出て賑わいが見て取れた。しかし、そこから少し離れれば農地が広がる牧歌的な光景が広がっている。


 俺は静かなところで育ったからそう思うだけなのかもしれないが、慎ましい城下町は十分に賑やかに思えた。


様々な商品が並ぶ露店。そこの店主たちの客引きためのかましい声。その全てが、俺にとっては珍しいものだった。


「少し、見ていきますか?」


 俺が興味深く城下町を見ていたせいか、フリジアは俺にそう声をかけた。だが、俺は首を振った。今日は、もう夕暮れだ。


 城下町を見て回るのは、明日でもいいだろう。


 フリジアと共に、俺は初めて訪れることになる自分の館にたどりついた。近くで見ると余計に古い雰囲気が漂う館であった。まるで、物語に出てくる幽霊屋敷のようだと俺は思った。周囲が耳鳴りがするのほどに静かなのも、それに拍車をかけている。


「父上は、ここに住んでいたのか?」


 俺が尋ねると、フリジアは苦笑いを浮かべながら館の扉を開いた。


 フリジアの表情を不思議に思いながら、俺は館に入り込む。


 明かりのともっていない暗い室内だったが、カーテンを開けると少しはマシな視界になった。もっと便利な明かりを確保するべく、館に置いてあった蝋燭に火をともす。そうすると、綺麗に整頓された部屋の全貌が明らかになった。


「一階は、仕事に関する会議や資料保管に使っていたスペースです。二階は、住居スペースです」

 

 フリジアの案内通り、一階には会議で使っただろう広い部屋やたくさんの書物が収められている部屋があった。それらの部屋は、埃一つなく綺麗に掃除されていた。この場所で父が過ごしていたのかと思うと、俺は感慨深い思いにかられた。


「フリジアも、ここで、父上と仕事をしていたのか?」


 俺が質問すると、フリジアは「ええ」と頷いた。思い出を懐かしんでいるような表情であった。


「ここで、領地のことをよく話し合っていました」


 俺と同い年のフリジアだが、父は彼のことを重宝していたらしい。俺もこの領地で育てば、父と肩を並べて会議に出席することもあったのだろうかと思った。


だが、考えるだけ無駄だと思った。自分はこの土地では育たなかったし、父も息子に何かを教える前に亡くなってしまった。今更、何かを悔やんだりしてもしかたがない。ただ、それでも――母の制止を振り切って父の元で育つことができれば、何かが変わっていたかもしれないと考えてしまう。


「二階が、住居だったな。ちょっと見てみるか」


 俺は、階段を上って二階へと登った。


 二階には、寝室や食堂があるはずだった。だが、二階に足を踏み入れた瞬間に、俺はそれ以上進むことをためらった。


一階は綺麗に掃除されていたのに、二階は埃だらけだったからだ。


一週間や二週間放置されていたとは思えないほど分厚い埃が、家具の上にも床にも降り積もっている。ところどころにはクモの巣も張られていて、この城の二階が長いあいだ放っておかれていることが分かった。廃墟だって、もう少しまともな環境であるだろう。


「なんだ……これ」


 俺は、唖然とした。


 フリジアも、唖然としていた。どうやら、フリジアもこの状況は予想外のことだったらしい。


「まさか……こんなことになっているなんて」


 フリジアも驚いていた。


 仕事場である一階はともかく、父のプライベートの空間がこんなことになっているとはフリジアも思わなかったらしい。


「父上が亡くなってから、まだそんなに経っていないよな。こんなに荒れるなんてことは、あるのか?」


 俺は、混乱していた。


 これが泥棒によって荒らされているのならば、まだ理解できる。だが、部屋の中にはそういう雰囲気はない。長年放っておかれた気配がするだけだ。人が住んでいたというのに、これだけ埃がたまっているという状況が理解できない。


「先代の領主様は、あまりここを使わなかったようですね」


 フリジアの言葉に、俺はふと母の呪いを思い出した。


 父には愛人がいて、そのせいで自分たちの元には帰ってこないという呪い。


 その呪いが真実ではないか、と俺は部屋を見ながら考えてしまった。愛人のもとに入り浸っていたからこそ、プライベート空間である二階を使わなかったのではないかと。


「父上は、どこで寝起きをしていたんだろうか……」


 俺は、ぼそりと呟いた。


 とてもではないが、この部屋で父が寝起きしていたとは考えられない。


 愛人の家で生活をしていた、と考えたほうが自然なような気がした。


「おそらくは、あそこでしょう……」


 フリジアは、ため息をついた。彼は、父上の愛人の居場所を知っているらしい。一緒に働いていたのだから、知るチャンスもあったのかもしれない。だが、愛人の存在を息子と同世代の男に知られるということに父はなにか抵抗などはなかったのだろうかと考えてしまった。


 フリジアは、屋敷を出た。そして、馬に飛び乗って俺に声をかける。


「行きましょう。頼めば、今日も泊まらせてもらえると思います」


 そう言ったフリジアに、俺は驚きを隠せなかった。


 フリジアは、これから父の愛人の家に行って泊まらせてもらおうと言った。俺にとっては、それは信じられないことだった。普通に考えれば、父の愛人の家に泊まるのは嫌だ。相手だって、愛人の息子を家に泊まらせるのは気まずいだろう。だが、フリジアはそんなことは考えつかないとでもいうふうだった。気が回るはずのフリジアにしては、珍しい失態と言える。


「お前の家に泊まれないのか?」


 俺は最後の望みをかけて、フリジアに尋ねた。


 フリジアは、難しい顔をして首を振る。


「私の家は家族が多いですから、空いている部屋がありません。とてもでもないですが、ルロ様を歓迎できる状態ではないです」


 フリジアの言葉に、俺は黙り込んだ。


 彼が、大家族なことは知っていたからだ。フリジアの家はすでに長兄が家を継いでいるが、家にはまだ幼い弟や妹がいる。そんなところに泊まりに行ったら、俺は間違いなく子供の玩具にされることだろう。


 フリジアと俺は馬に乗って、城下町を抜けた。そうすると、風景は牧歌的な畑が広がる光景となった。そのまましばらく走ると、一軒の民家にたどり着いた。領主の愛人の家にしては、かなり質素なものであった。さすがにボロボロの家というわけではないが、立派というほどのものではない。

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