第六章

湯川邸では、一成が簡単な飯を作ってくれた。食事中は変わった会話はなかった。その後も何も起きず、一晩を過ごした。

 それにしてもこの家の豪華さは相変わらずだ。一成の弟二人と会わなかったのは、本館と別館にこの家が別れているからだ。彼らが居るのは本館、俺が割り当てられたのは別館。湯川家の財力を思い知らされる。ふかふかしたベッドは、普段固い布団で寝ている俺には合わない。何となく目が冴えてしまったので、目を瞑り回想に耽ることにした。


俺が出雲派になったのは、弟が壊れてからだった。俺を慕ってきてくれた弟、真琴は人が変わってしまった。悪い仲間とつるんだわけじゃない。ただ、運が悪かった。真琴は少し念を操れるから、一人で鬼退治に行ってしまったのだ。馬鹿だ。アホだ。鬼の念を一人で祓うなんて、よっぽどの力がない限り不可能なのに。

案の定真琴は失敗した。そして、そこから急に人柄ごと変わってしまった。バイトを辞め、何かと俺から遠ざかるようになった。原因がわからない俺は、念を操れる人を探して訊きに行くしかなかった。どうして真琴がこうなってしまったのかを。これが今から五年前、俺が二十歳の時のことだ。

俺は念を操ることには長けていた。ただそれは、真琴のサポートがあってこそだ。真琴が居ない状況は一刻も早く脱したかったのだ。そこで見つけた念を操れる者が、出雲派である石神夏梅いしがみなつめという男だった。長身長髪、真っ青な瞳は何処か悲しそうだった。まだ三十路にもならない容姿なのに着ている着物は、この男にとてもよく似合っていた。時代に取り残されたような、そんな風だった。

夏梅を探し当てたのは、インターネットで念の強そうな神社を探し回っていた時のことだった。都内にある某神社は、時折不思議な人が見えると。特徴は先程俺が説明した通り。じっと見ていると、「俺のことが見えるのか?」と訊いてくる__一種のオカルト話のようになっていた。必死だった俺は、すぐさま神社へ行くことにした。そして、夏梅と出会ったのだ。というか、

「念使いとは俺も運が良いかもなぁ、何年ぶりだ?」

 向こうから一方的に近づかれたのだが。

「俺もアンタのこと探してたんすよ」

俺は今までのことをすべて説明した。夏梅は、何も言うことなく話を聞いてくれた。話を終えた後に、彼はやっと口を開いた。

「鬼か。俺の専門じゃないけど、良かったら一度弟君を診せてくれないか。俺でも対処が出来なければ、別の念を呼んでやろう」

「ありがとうございます」

一礼するも、構わず夏梅は続けた。

「それと、忘れるな。俺の名前は石神夏梅。この神社を訪れた時に呼んでくれ。俺は普段は家で子守をしてるんだ。だが、。呼んでくれれば飛んでいくさ」

 この日は、これだけで終わった。


 翌日。嫌がる真琴を強引にバイクに乗せ神社まで走った。どんどん田舎になっていく風景。そして、山の上にある神社。俺は真琴をおろし、「石神さん」と名前を呼んだ。傍から見たら、オカルティックな光景である。

「そいつがお前さんの弟君か。悪いが、俺の家に運ばせてくれないか。ここは人目が多くて集中できないんだ」

それには俺も同意だった。頷くと、夏梅は「着物の裾を掴んでてくれ。すぐ終わる」と指示した。俺は言われるがままに着物を掴む。


次の瞬間目に入ったのは、和室だった。急な出来事すぎて自分の目を疑ったが、畳のにおいもするしここは和室なのだ。

「ここは俺の家だ。弟君を寝かせてくれないか、布団はそこにあるだろ」

俺は真琴を布団に寝かせた。彼は昼夜逆転しているので、今この時間は眠りこけている。起きる心配も少なく、作業は完了した。

「うん、良いな。そしたら診ていくぞ。とはいえ俺も専門家じゃないから、祓うだの何だのにはあまり期待しないでくれ」

 夏梅はそう言うなり、真琴の身体に触れ始めた。時折「可哀想に……」と言いながら顔をゆがめるので、気が気じゃなかった。

しばらくすると、終わったらしく

「何を聞いても驚かないな?」

と言われた。恐らく状態が芳しくないのだろう。

「ああ、大丈夫なつもりです」

 そう答えるしかなかった。

「弟君は厄介なことに、鬼に魅入られてしまっている。俺の手にも余る、凶悪な鬼にな。勿論祓える人間は居るんだが、それは俺と敵対してて紹介出来ない。俺も最善を尽くすが、恐らく完璧には戻らないだろう。それでもいいなら弟君を、俺に預けてくれないか。一週間で良い。それで少しでも祓えれば、万々歳だ」

手のひらを太陽の方に向け、夏梅は言った。

「あの、訊いちゃいけなかったら悪いんすけど何で敵対してるんすか?その……治せる人々と。喧嘩?」

夏梅は、困った表情を浮かべた。

「これ長くなるけど、大丈夫か?」

「出来れば手短にお願いします」


ここからは要約だ。

この日本には二つの大派閥がある。念を操れる者のみが存在を知っているものだ。

片方は、大和閥。大和という男と、彼が作り出した術式である千秋が中心である。昔から派閥と言えばこちらの方が有名らしい。所属する人数の多さ、権力。全てにおいて夏梅が所属する出雲閥より上なんだそうだ。ちなみに大和という男は、今でものほほんとこの日本に生きているそうだ。老いることもなく。一体どんな術がそこに施されているのかは、定かではない。

一方の出雲閥は、二千年前から生き続ける巫女を守り続け、いつかは大和閥をこの日本から除こうとしている。過激派の一派だが、人数は少数精鋭だ。

創始者の巫女、出雲は今も生きている。ただ、近年は物忘れが酷いらしく彼女の式神が仕切っている。夏梅はこちらに所属しているという訳だ。


出雲と大和の勝負は、千五百年前にはもうついている。大和の勝利であったそうだ。それでプライドを傷つけられた出雲は、大和を呪った。この世界を呪った。その呪いは強大なもので、今でも大和を苦しめている__らしい。勿論代償も大きく、出雲は見た目こそ生娘なれど、中身は相応に老いていくことになってしまった。それを支えるために、彼女の式神は奮闘した。例えば、富士山に住まう不死の一族との間に子を成す、など。その甲斐あって、出雲一派は今も活動が出来ている。細々とではあるが。


「……という訳だ」

「へぇ、じゃあ夏梅さんは出雲の為に色々やってるんすか?」

「そうでもない、だが必要とあらば戦う。それだけだ」

 夏梅は渋い表情を浮かべそう言い切った。

「で、厄介なことに君の弟君は大和の誰かが放った鬼に魅入られてしまっている。これを除去するための時間が一週間という訳だ。勿論この話は突飛だから、信じるも信じないもお前さん次第だ。どうする?」

 俺のことを試すかのような青い瞳。もう、迷いはなかった。

「弟を……真琴のことをよろしくお願いします」

 頭を下げた。いつぶりだかは、もうわからない。

「任された。じゃあ、一週間経ったらこちらから迎えに行こう。幸いお前さんは出雲と似た波長の持ち主だ。すぐに辿れる」

 夏梅はそう言い、俺の腕を掴んだ。

「……ここは、現世とあの世のの境界線。お前さんを神社まで送らなきゃな。心配するな、目を瞑っていれば一瞬だ」


 言葉の通り目を瞑ると、俺は神社の参道に立っていた。周りの人々は、何事もなかったかのように行動している。俺は、恐怖を覚えながらも参拝だけして帰った。バイクには、一人で乗った。

 

 一週間後。俺は眠っていた。朝方であったと思う。何者かが耳元で声を立てている。

「真琴さんのお兄さん、一週間が経ちましたよ」

 眠いという感覚に支配されていたので、しばらくの間は起きられなかった。

「真琴さんのお兄さん、夏梅さんが待ってますよ」

 身体を揺さぶられ目覚めると、そこには銀髪の少年が立っていた。しかも、俺にははっきりとわかる。

「……お前、念だな」

「今はそんなことどうだっていいじゃないですか!夏梅さんが迎えに行けって言うから僕はここまで来たんですよ。真琴さんのことが気にならないんですか?」

 少年はそう言い、「ほら、案内しますから掴まってください」と俺の手を取った。寝ぼけた頭だが、これから行く場所がうっすらとわかった。あの和室だ。少年の手を握ると、ひんやりとした感覚が伝わってきた。やはり、念なのだ。あの(石神夏)男(梅)も、この少年も。


再び目を瞑ると、すぐに和室の匂いと「兄貴!」という声が聞こえた。

「夏梅さん、連れてきましたよ」

「おー偉い偉い八雲、よくやったな。さて、実はお前さんの名前を聞き忘れていてな。名前は何というんだ?」

「……橘弥琴」

 言われてみれば、名乗った記憶が無い。真琴はそれを不思議そうに眺めていたが、その瞳に禍々しさはない。

「様子を見ればわかると思うが、何とか封じ込められたよ。骨は折れたけどな。だが、忘れるな。あくまで封じ込めただけだ。何がきっかけでまた暴走するかわからない。……それに、これだけ働いたんだ。何か見返りを要求しても、良いか?」

夏梅は真剣な瞳で、俺のことを見つめた。そして、ちらりと真琴の方も見た。俺達は頷く。夏梅が居なければ、真琴は治らなかっただろうから。

「この間も言ったが、俺が所属する出雲派というのは人数が少なくてね。俺達に手を貸してくれないか__いや、貸せ」

 俺達の返答に迷いはなかった。

「喜んで」「俺で良いなら」

 夏梅はフッと笑みを浮かべた。俺達の返答に満足したようだ。

「じゃあ、決まりだな。掟はただ一つ。出雲を守れ、以上だ」

 その声を聴いたときには、俺たち二人は部屋に戻っていた。夏梅は服を掴ませずとも、術を使えるようだ。


 これが、ここ五年間での流れだ。思い出すことで逆に冴えた頭をどうしようか。

 俺は頑張って眠ることにした。朝が来る前には、眠りに落ちたい。

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