第三七話 訪れる不幸
夜通し降り続いた雨は雪になり、朝方のさくら町に降り積もった。
布笠も弛み、町民は雪かきに励む。
そして……この朝、巨大な獣が門をくぐる。
運搬用の車輪がゴロゴロと回りながら、車2台に引かれ、炭化イノシシの亡骸が姿を現した───。サガミ率いる運搬部隊の帰還である。
“黒イノシシ”と呼ばれたその怪物は、広場にどかっと寝かせられ、町民たちは一目見ようと人だかりを作っていた。黒イノシシを討ち倒した英雄サガミ、その華々しい凱旋……となるハズだったのだが───。
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コンコンコン、お馴染みの統括署内の一室……アカゲとツキがくつろぐその部屋に、ノックの音が響いた。
「失礼いたします、客室係です」
若い男の、くぐもった声が聞こえる。
「どうも!今開けますんでね……」
アカゲはパスパスと歩いて行き、ガチャリとドアを開けた。
「おはようございます、冬崎様」
「今朝方、防衛部長が戻られました」
「お、ご老体が。じゃあご挨拶といきましょうかね」
アカゲは後ろでくつろぐツキに目をやる。
ツキはめんどくせ〜という感じの表情で返す。
「ええと、それで……もう一つお伝えしたいことがございまして」
「というのは一体?」
「大変申し上げにくいのですが……。ユクエ様の件で、今すごい大変なことに……」
ピリ、とアカゲの表情が曇った。
「分かりました、すぐ行きます」
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「鶏の頭だってさ」「怖いわねえ……」「誰が連れてきたんだ」「余所者は信用ならねえって言ってんだ」「アイツの仕業だったのか」「鶏殺し」「鶏殺しだってよ」
広場は人でごった返していた。辺りを包む異様な空気。
降る雪の中、皆が笠を被り、中央にいる4人を見ていた。
サガミ、ハナビ、ユノカワ、ユクエ。
「ちょっと失礼しますね!通りますよ!」
人を掻き分け、アカゲとツキは何とか4人が一番よく見える場所まで辿り着いた。
俯くユクエと、隣に立つユノカワ。向かいにサガミとハナビ。
各々の表情は笠の影に隠れているが、その場の空気感から何となく読み取れた。
状況を見るに、ユクエとユノカワが説教を受けているみたいな感じだ。
いや、そんな生やさしい程度のものではないだろう……。
口々に飛ぶ“鶏殺し”というワード、一体何があったのだろうか。
「あ……ツキちゃん、とアカゲさんも」
現状を理解できない2人に、偶然隣にいたミズホが声をかけた。
「ユクエのやつ、一体どうしたんだ?」
ツキが問いかける。
「それがね……一昨日の晩、ユクエさんが寄宿舎からいなくなっちゃったみたいで、不思議がった看護婦さんがユノカワさんに尋ねたら、“自分が返した”って言うんだって」
「それで昨日の夜遅く、養鶏場の久田さんが、暗い中1人で鶏の頭を切り落としてるユノカワさんを見つけたの……」
「鶏……」
「不審に思った久田さんがユノカワさんのお家に上がり込むと、中にユクエさんがいたんだって……。ユノカワさんはね、ユクエさんのこと庇ったみたいなんだけど、あのね、ユクエさんが自分から白状しちゃって……えっと……“鶏の頭を食べてた”って」
「なんでそんなことしたんだ?」
「それを今話してるみたい。一晩で町中に噂が広がったから、こんな感じになっちゃってて……」
薙刀を持ったサガミが口を開き、ユノカワに問いかける。
「今回被害に遭った2羽、そして行方知れずとなっていた3羽。合わせて5羽の鶏を、この者に食わせておったというワケじゃな」
ユノカワは目を伏して、ただ答える。
「全て真実だよ、あたしの責任さ」
「───アンタ程の人が余所者相手にそこまでするとは思えねえ。何が目的だ、なぜ頭を食わせる」
ハナビの質問に、澱みなく返す。
「この子が、それを望んだからさ。……あたしは、この子が苦しむ姿に耐えられなかった」
ユノカワの言葉を受け、サガミはユクエを見据えた。
「なぜ望む。お主、何者じゃ」
「う、うう……ぁ」
「ぼ、僕は……」
狼狽えるユクエ、言葉が詰まる。
───そんな時、向かいの人混みからみなとが現れた!
「ソイツは炭化人間だ、サガミ」
「何じゃと!説明せい」
ユクエに向け、薙刀を構えるサガミ。
群衆はどよめきを隠せなかった。
「冬ちゃんから聞いた。動物の脳に食欲が湧くのは炭化人間の本能。その本能に抗い切れず、ソイツの理性は不均衡な状態にある」
「んだと……。見た目は普通の人間じゃねえか、そう診断だって降りたはずだ」
「見てもらった方が早いか。仕方ない……」
「灰の娘」
みなとは心底嫌そうに、ツキの名を呼ぶ。
「斬れ」
言葉が発せられると同時にツキは駆け出し、一直線にユクエの頸を刎ねた!!
宙を舞い、ゴロゴロと転がるユクエの頭。
「あんまやりたくないんだよなこういうの……。これでよかったか?」
そう言うと、ユクエの身体はみるみるうちに再生していく。
ツキは消えた肉体の方の服を、頭から再生される方に投げて渡す。
……服を着て立ち上がるユクエは目がうつろで、元の位置に歩いて戻った。
「これがソイツの正体。見て分かる通り、炭化人間以上の再生能力……ハッキリ言って、不死身だよ」
「その武器だって何の役にも立たない、下げていいぞ」
みなとはそう言ったが、サガミは刃を向け続ける。
横目でこちらを見ながら言った。
「冬崎アカゲ、その事実を知っていながら門を潜らせたな」
「アハハ……すんません……」
「……テメエ、笑い事じゃ済まねえだろうが」
怒りの滲む声でハナビが睨みつける。
その時、アカゲの後ろからアサノが現れ声を掛けた。
「あ、ミズホちゃんとアカゲさん……。あの、これは一体……」
「ああ、えっと……そうですね。アンタは見ない方がいいかもしれません……」
「確かに……見てていい気分には、ならないね……」
「……?」
よく分からない様子のアサノ。
「そこの白黒クソ野郎の処分は後で決める。先にお前だ」
「───申し開きはあるか、ユクエ」
ハナビは統括署長としてユクエに尋ねる。
ユクエは膝から崩れ落ち、泣きながら、必死に声を出した。
「ぼ、僕は……もう、生きていたくない……!これ以上生きていたら本当に死ねない存在になる、人でない何かに変わっていってしまう……頭の中にいろんな人がいて、僕に、人を食べろと呼びかけてくる……!人なんて食べたくない、人を、殺したくない……。もう、あの子たち、みたいに……」
「───ミキちゃん、そしてヒカリちゃん……」
「……!」
アサノが驚く!ミキ、ヒカリ、彼女の娘たちの名だ。
「ミキとヒカリを知っているの……!?あの子たちを……」
「───!」
アサノは気付いたようだった。
アカゲが頭を抱える。
「……あなたが、殺したの……?」
「!」
「あ、あ、あぁああぁぁ……」
取り乱すユクエ、彼女が母親だと気付く。
「なんで……」
「───どうして、2人の名前を知っているの」
前に出るアサノ。
「それ、は……。う、うう……」
「答えて」
「……それ……は……」
「───答えなさいッ!!」
───────────────────
炭化人間には……僅かながら、意識があります……。
ただ、身体の制御は全く効かない……。
僕が身体を動かせるようになったのは、何十年もかけ山ほどの人を食べて、肉体もこのように、普通の人間と変わらなくなってからでした……。
僕はその頃、人を食べてしまったという紛れも無い現実に押し潰されて、廃人状態だった……。それでも、食欲はとどまることがない。
僕に道を教えてくれた親切な旅人を、僕は食べました。
───そして目指したんです、ハイブエンの真下、夜の地を。そこからは罪人が降りてくると旅人から聞きました。もし食欲の制御が効かなくなっても、罪のない人が犠牲になるよりはいい。そう……思いました。
でも、長い時をどう過ごしていいか分からなくなって、死ねない身体に絶望しました。無数の罪と、無数の魂、身体の内にそれを宿しながら、永遠に生きなければならないのかと。今も大勢の人の声が頭の中に聞こえます、“魂の器を喰え”と……そう呼び掛けている。
砂に埋もれた道の真ん中で座り尽くしていた時……。
幼い女の子2人と出会いました。……ミキちゃんと、ヒカリちゃん。
『だいじょうぶ……?具合悪い……?』
2人は、廃人状態の僕を気にかけてくれた。僕のことを、1人の人間として接してくれました。……僕は、2人を家まで送り届けた。そして約束したんです。
外は危ないから、もうお家から出ちゃダメだよって。
『じゃあ、ゆーちゃんがいっしょに遊んでくれる?そしたら、やくそく守る!』
そんなことを言われました。
幸い、僕の身体は炭化人間避けになる。炭化人間は僕の気配を恐れて近寄っては来ません。僕がこの子達を守れるのなら、寂しさを癒せるのなら……。いや、それは言い訳ですね……。本当に寂しかったのは僕自身、何より人との関わりに飢えていた……。
だから、母親のいない時間に度々顔を出しては、2人と一緒に遊んでいたんです。
僕との交流が一番危険なのだと分かっているのに、発作が出にくくなったという理由だけで、僕は通い詰めていた。その時間だけが、幸せだった……。
そしてその日、ヒカリちゃんの咳はひどく……。ミキちゃんからは、お母さんと3人で安全な場所に行くのだと言われました。
『だからゆーちゃんもいっしょに行こうよ!そしたらお母さんも怖がらないよ』
そんな誘いを受け、僕は断りました。
『……ごめんね、僕はそこへは行けないんだ。でもね、代わりにいっぱいお友達ができると思うから、仲良くするんだよ』
2人とはもう会えないことを伝えると、ミキちゃんは途端に泣き始めました。
もう会えないのは嫌だと、僕の胸に縋り付いて泣いていました。
その時、途轍もなく嫌な寒気が走って、ここを離れなきゃと僕は思った。
……けれど、もう遅かった。
───目と鼻の先にあるこの子の頭は、なんて美味しそうなんだろう。
そんな声が頭の中で聞こえた瞬間……意識を失いました。
……次に目が覚めた時、口の中はグチャグチャして……気持ち悪くて、血の味がして……。全てに気付いた時、僕は……死にたくなりました。
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