第三六話 雨に浸かる町
カンカンカンカン。町に鐘が響く。
鐘の音は雨の報せ。雨雲が空を覆い尽くす。
ツキとミズホは音を聞き、どんよりと滲む天気を窓から見つめていた。
家々の笠が開き始め、人々は携帯用の雨笠を被る。
浦山要塞は沈黙と緊張感に包まれ、ぽつりと落ちる雨を皆が見る。
カン、カカン。カン、カカン。再び響く鐘は、“雨は黒きにあらず”のメッセージ。
ほっと一息。……次第に雨足は強さを帯びて、パタパタと屋根を打ち鳴らす。
ダム湖の南東付近に水のカーテンが生まれる。ハイブエンの笠の淵に沿って滝が薄く落ちるのだ。
───窓の内に、アカゲが見える。みなとのレクチャーは続いている。
「不謹慎だけどさ、普通の雨だとテンション下がるよなぁ。冬ちゃんにも実物見せたかったし……」
みなとがダラけながらそう言った。
この部屋に、既にシンバシの姿はない。
「周期の予測は?」
「確立はされてる。けど精度が微妙、誤差9日で2ヶ月に一度」
「気象に左右されがちだからさ、こればっかりはどうにもね」
「……確か、雨粒の状態で直接肌に触れさえしなければ大丈夫なんでしたっけ」
「肌面の露出を避け、携帯用雨具を持ち歩くのが確実ってことですね」
「そうなるな。道歩いてても上に布笠が掛かってるし、雨雲は鐘で分かるし、みんな必要以上には怯えてない感じ」
「万一感染しても、薬で治るワケだから」
アカゲ驚く!
「え!治せるんすか、ミナグロ病」
みなとがにっこり笑って、棚のガラス戸からアンプルを取り出す。
「“ユノカワ式治療薬”、ウチのほら、生活部長が15年前に考案した特効薬な」
「炭化が始まる前なら、それで治る。末期や炭化人間になったやつは手遅れだけど」
「てっきり不治の病だとばっかり思ってました」
アンプルを受け取ったアカゲはしばらく眺めて、机の上に置いた。
「ウチは薬が生まれてからの世代だから“ミナグロ病は治るもの”って刷り込まれてるけど、冬ちゃんから見ればそう思うのも無理はないな」
「とにかく、上界も、そして恐らく海外でも、ミナグロ病治療に対する有効打はまだ無い。ユノカワ式治療薬は世紀の大発明なんだ」
「そりゃすごいな……。この状況下でよく完成まで漕ぎ着けましたね」
みなとは不貞腐れながら、窓の外を見る。
「どうしてミナグロ病に作用するのか、原理は全くの不明なんだけどなぁ。当のユノカワ本人にも分かってないらしい。……一体どうやって発見したんだか」
「医薬品なんてね、案外そんなモンだと思いますよオレは」
冬ちゃんに向き直って、じっと顔を見つめた後、椅子をくるりと回転させた。
「今、治療薬は下界全体147の集落に行き届いてる。ミナグロ病に怯える暮らしはここ数年で終わりを迎えた」
「治療薬は、下界人受け入れ交渉の起爆剤として投下の機会を……いや、上界に持ってくんだから打ち上げか?打ち上げの機会を待ってる」
「確かに、交渉材料としては特級のネタですもんね」
「それで、その交渉は順調なんですか」
雨は少し勢いを増す。
「3年前にな、特殊諜報員に選出された五ノ神って奴がここから上界に向かったんだけど。これから交渉に移ろうって時に、パタリと通信が止んできり……。計画は頓挫、下界連合はウチの次に優秀な頭脳を失った」
「不測の事態は起こり得る、人間なら尚更な。五ノ神を信用してたヤツほど手の平返しは早かった。今は次の計画に向け準備中だよ」
「なるほどな」
みなとが椅子から立ち上がり、ペタペタと歩き回り始めた。
「……なんの話だっけ?ああ、電球ね、思い出した」
「さっきも言ったように、ソレについてはウチの専売特許だからさ。自己紹介も兼ねて教えてやるよ」
「頼みます」
立ち止まって、仁王立ち。
「ウチはみなと。技術部長シンバシの妹にして、技術部工学研究所所長……兼、窃電管理所所長」
「技術工研はこことして、窃電管理所ってのはこの裏にある建物だな。……電気を窃盗すると書いて窃電な、覚えとけよ」
「え、犯罪ですか」
「上界の法じゃ犯罪だろうなぁ、でもここ下界だし。最低限の文明こそある下界連合において、生きてくのに電力は必要不可欠だからさ。ちょっとだけ吸わせてもらってんだよね、上界の電気」
「一体どこから」
上を指差し、身振り手振りで説明する。
「空からだよ。ああ、空といってもあの忌々しい天井じゃなくて、もっと上、“宇宙”のことだ。発電衛星が3つ、地球の周回軌道上をぐるぐる回ってる」
「───発電衛星
「ああ、それで……」
アカゲはポケットから電球を取り出して、ソケットを捻る。明かりがパッと点いた。
「そういうこと。冬ちゃんが見つけたマイクロチップは、ウチが開発した特別製。必要分だけ衛星から電力を要求できる、ワイヤレスでな」
「秘匿性を保つために、窃電の容量は制限してある。測定前の莫大な発電量から、誤差にも満たない端数を頂いてるんだ。だから窃電“管理所”、日夜交代制で数字を見つめてるよ」
アカゲ感嘆。
「アンタ結構凄い人なんだな」
「冬ちゃんには及ばないよ」
……みなとの言葉が持つ妙な説得力に、変人キモ男は翻弄される。
「それがイマイチピンとこないんですよね、オレにそんな実力があるんでしょうか」
「ある。断言できる。ウチの人を見る目はいつも正しい。……冬ちゃんは多分、世界級の頭脳の持ち主だよ。好きを超えて、ちょっと悔しいくらいに」
みなとの内に何か確信があるのだろうか?
アカゲは背もたれに寄りかかった。
「そんなこと言ってくれるのはアンタだけですけどね」
「それ以上の褒め言葉はないなぁ、冬ちゃんの実力を知ってるのは、ウチだけでいい」
まるで吸い込まれるような、全能的な彼女の眼。一体何が見えているのか。
「あーそうだ、人を見る目で思い出したけど。……あー、えっと、気分を害するようならごめんな」
「大丈夫ですよ、何でも言ってください」
「じゃあ言うぞ。冬ちゃんと一緒についてきた、あの……」
「ユクエさんですかね」
「そうそれ、ユクエな。アイツってさ……」
「───“炭化人間”だよな」
鋭く見える彼女の瞳、アカゲを探っている……?いや、見据えているのはもっと先、真実だ。“ユクエは炭化人間である”という真実。
驚異的な推理力に目を見張るアカゲ。
「どうやら……」
「アンタの人を見る目、本物みたいですね」
「あ、やっぱり?どうにも怪しいと思ってたんだ。……あの肌も、あの顔つきも、異質すぎる。灰の娘とは違った意味で奇妙だ」
「それで、サガミの報告にあった“擬態型”を思い出した。アイツが擬態型だとすれば、やけにしっくりくる」
みなと自身、自分の実力に驚いているようだった。
名探偵と呼ぶべきなのかもしれない。
「確かに、放浪者にしては肌も綺麗すぎますし、栄養状態もなぜだか良さそうでしたが、その情報だけでよく推測できますね……」
「だから勘なんだよ。まあとにかくな、ウチに通報する気はないから。……アイツは悪人じゃない。それに、冬ちゃんの仲間だろ?冬ちゃんに迷惑かけるようなことはしたくない」
「ただな。アイツは“不幸”を持ってくるよ。事の大小こそあれど、必ず誰かが不幸になる。そんな、歪な存在……な気がする。気をつけて」
みなとがいつに無く真剣な顔でアカゲに訴えかける。
「不幸……。それはいつ来そうですか」
「冬ちゃんも分かってるだろ?……“すぐにでも”だよ」
「見舞いに行かなかったのは、冬ちゃん自身、無意識にそれを恐れているからじゃないかな。……大丈夫だよ、正しい判断だ」
何かを言い当てられている気がする。彼女の凄みに圧倒される感覚。
「どうすればいいんでしょうね……オレは」
「“不幸中の幸い”に転ずれば、救われる。救われるけど、それは……より大きな不幸の渦中にあるかもしれないな」
名探偵どころか、これじゃ凄腕占い師だ。いや、だから“勘”なのだろう。
「それは……別件ですか」
「そこまでは分かんないよ……。うーん、とりあえずそのユクエのこと、もっと詳しく教えてくれ。どこで出会ったかとか、何を言っていたかとか」
「うす。全部話します」
雨は降りしきる。窓の隙間から流れ込む風は、一層冷たくなっていた。
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