第三四話 二日目、それぞれの朝

 窓から差し込む薄い光で、アカゲは目を覚ます。

 太陽はハイブエンに隠れて昼まで姿を現さないが、天井に覆われた向こうに比べればいくらか明るい。

 隣のベッドで眠るツキを見た。レトロモダンな柄の掛け布団をぐちゃぐちゃにして、ダイナミックな寝相で転がっている。

 いつもは交代で起きていたから、二人一緒に眠るのは初めてだ。

 とてもリラックス出来た気がする……。


「お?……おお」


 自分の身体の変化に気づいた。

 なんと筋肉痛が完治!

 というのも、この変化にはちょっとした理由がある。

 昨晩食堂で、ハナビに出くわしたのだ……。


───────────────────


 ダムカレーと、アカゲの分のダムラーメンを根こそぎ頬張るツキの横で、アカゲとハナビは目が合った。


「探したぜ、冬崎アカゲ」


 そう言って彼は、自分のポケットから何かを取り出した。

 それは、黒く滲んだ卵のような肉塊。あまりに恐ろしい見た目のソイツを、アカゲの手のひらに乗せる。


「これは?」


「喰え」


 アカゲは言われるがまま、一口で食べてみる。

 その躊躇の無さに、ハナビも少し驚く。


「……モグモグ、死ぬほどマズいですね。鉄っぽくて」


 グチグチとした食感のソレを、ある程度咀嚼して、飲み込む。


「なんですかこれ」


「炭化人間の心臓だ」


「なるほど、どうりでね」


「チッ、嫌がらせにもならねえ」


 どうやらハナビなりの嫌がらせだったみたいだ。小さい男である。


「───まあいい、聞けよ。炭化人間の心臓には、“傷を癒す力”がある」

「……筋肉痛には勿体ないぐらいにな。明日の朝には治るだろ、今日は早めに寝とけ」


 大きい男である。

 それだけ言い残すと、飯も食べずにハナビは去っていった。


 ……口の中の嫌な後味が消えない。

 口直しを求めたアカゲは、自分のダムラーメンを───。


「!」

「あれ、お前もしかして、全部食べちゃった?」


 テーブルの上にはスープだけ残ったダムラーメンの器が!

 頬張ったまま、頷くツキ。何かを目で訴えてきている。

 ……何を言いたいかは分かった。“だって美味かったんだもん”


「あのねえ、食べるんだったらちゃんとスープまで飲み干しなさいよ」


 アカゲは残ったスープを頂く。

 食堂は人で溢れ、賑やかだった。


───────────────────


 そして快調な身体!これならいくらでも動ける。

 部屋の中を歩き回るアカゲは、ノックの音がしてドアを見た。

 コンコンコン、来客のようだ。


「ん……」


 ゴソリとツキが起き上がる。

 眠そうな目をして、アカゲと扉とを交互に見る。

 アカゲはスリッパをパスパスと鳴らしながらドアに向かい……。

 ガチャリとドアノブを回して、扉を開けた。


「よぉ」


 廊下に立っていたのは、白衣を着た背の低い女の子。一体誰だ……?

 餅みたいな顔をして、アカゲを見上げていた。


「どうも、冬崎アカゲです」


「知ってる。ウチは“みなと”」

「ひらがなの“みなと”で頼むな。かわいいから」


「覚えておきます」


「見込み通りだ。オマエ頭良さそうだなぁ、ついてきてくれよ」


「オレですか、分かりました」


 みなとは部屋の中を覗き込んで、ツキを見た。


「冬崎アカゲ、借りてく。異論は?」


「……あー?ああ、なんか知らんけど好きにしていいよ」

「うーん、私は寝る……」


 眠ってしまった。

 スリッパを脱いで、いつものブーツを履くアカゲ。


「行くぞ“冬ちゃん”、技術部まで案内してやる」


 距離の詰め方が異常な少女に手を引かれ、冬崎アカゲは部屋を出た。


───────────────────


 ダム施設を中心に構える分、技術部と統括署は距離が近い。

 統括署長ハナビと技術部長シンバシがよく話しているところを見かけるのは、そのためだ。二人はよき親友同士であり、高め合うライバルでもある。


 ここは技術部工学研究所。ダム施設の横に建つ、木造の校舎みたいな建物だ。

 両開きの扉から中に入ると、白衣姿の研究員たちがチラホラ歩いている。


「お疲れ様です所長」


 一人がみなとに向かって挨拶した。


「おう」


 そう一言返して、彼女は自分の研究室の戸をガラガラと開ける。

 中は小学校の理科室くらい広い。窓から柔らかい光が差し込む。

 みなとはパチリと電気をつけて、座面にクッションのついた椅子に座った。


「まぁ座れよ」


 向かいにある同じような椅子を指し示して、自分は机に寝そべった。

 アカゲは黙ったまま指定された椅子に座る。


「ウチは、この町で一番頭がいい。つまり、賢い」


「長ける分野はありますか?」


「処理能力、適応力」


「なるほど、オレと似てますね」


「だからお前と話してみたかった。護国楼営第二工学研究所の元研究主任」

「お前は優秀だよなぁ、見てわかる」


 寝そべったまま話すたびに、みなとの頭が動く。


「上界のな、知識をさ。恵んで貰おうっていうのも理由の一つ」

「でも今は、純粋にお前のことが知りたい」


「いいですよ、何でも聞いてください」


「好きな子いる?」


「いませんね」


「灰の娘とはどういう関係?」


「固い絆で結ばれたバディです」


「ふーん」

「好きな女の子のタイプは?」


「考えたこともないですね」


「ウチのことどう思う?」


「餅みたい」


「髪触っていい?」


「いいですよ」


 みなとは椅子を降りて、アカゲの元へやって来た。

 アカゲの前髪をおもむろに持ち上げて、生え際を確認する。


「……?」

「冬ちゃんの髪、“元々の色”は?」


「元から白ですよ」

「いくら記憶が無いとはいえ、自分の年齢を覚えてるのと同じで、髪の色もちゃんと覚えてますからね」


「けど、根元が黒い。これは?」


 よく見れば、アカゲの白い髪の根元は、5ミリほど黒に染まっている。

 グラデーションがかって、徐々に白くなっていってるのが分かる。


「ああ、ずっとそんな感じなんですよね。伸びたそばから白くなっていっちゃって」


「まさかとは思ってた。灰の娘は、髪も眉もまつ毛も全部同じ色」

「でも冬ちゃんは頭髪だけが白い。色をイジったんだと思ったけど、“体質”か〜」

「ヤバいなぁ、不思議だ。不思議すぎて面白い。もっとお前が知りたい」


 みなとはアカゲの顔をベタベタと触りまくる。

 アカゲは困惑しながら黙って座っている。


 と、その時。研究室の戸が開いた。

 ガラガラガラ、顔を覗かせたのは……。

 技術部長シンバシ。


「───みなと、お前、何やってんだ……?」


 ……異常な距離感で見つめ合う二人に、シンバシは息を呑んだ。


「兄貴か、おはよ」


「ああ、おはよう。いやだから何やってんだよ」


「うーん、合格だなぁ」


 アカゲのグレーに濁った綺麗な瞳を覗き込んで、また顔をベタベタ触る。

 シンバシに振り返り、みなとは告げた。


「なぁ兄貴」

「───ウチ、冬ちゃんと結婚するから」


「は?」


───────────────────


 コンコンコン、またノックの音がした。


「ん……」


 ツキが再び目覚める。


「今度はなんだ……?」


 ゴソリと起き上がって、ドアの方を見る。

 くぐもった声が向こう側から聞こえてきた。


「おはようございます!あ、えっと、ミズホです!」

「ツキちゃん、いますか?」


 ミズホ、ミズホ……。

 ……あ!あ〜〜〜!アイツか!

 ツキの脳裏に浮かぶ、半年前の記憶。


「私だ!ちょっと待ってて!」


 包帯を慌てて巻いて、いつものポニーテールを作った。

 パスパスと歩いて行って、ガチャリとドアを開ける。


「ツキちゃんだ〜!!久しぶり!!」


「お、おお……」


 満面の笑みで再会を喜ぶミズホに、気圧されるツキ。


「入っていい!?」


「う、うん」


 ───2台のベッド、向かい合わせに座るツキとミズホ。


「いや〜、来る時養鶏場でちょっとした事件があってね」

「ニワトリが夜のうちに何羽か逃げ出しちゃったって!」


「ようけいじょう?」


「ニワトリを育てるところだよ。それにしても困るよねえ、私の大好きな卵かけご飯が減っちゃったらどうしよ〜……」


「卵かけご飯って、美味しいの?」


「うん!とっても美味しいよ!後で一緒に食堂行こ!」

「ふっふっふ、美味しい卵かけご飯の食べ方を伝授してあげるからねぇ」


「おう……」


 にこやかなミズホ。元気な彼女がいると場が和む。

 そんなミズホが、徐々に真面目な顔になっていった。

 何か真剣な話をするような雰囲気……。


「それでさ……。サガミの爺ちゃんにうっすら聞いたんだけどね」

「───ツキちゃん、ハイブエンの上に行こうとしてるって……本当?」


 唐突な質問に、ツキは少し戸惑った。

 しかし、目的はずっと変わらない。


「うん」


「……上に行って、何するの?」


「復讐する」


「そっか……。やっぱり、そうだよね」


 ツキの言葉を聞いて、ミズホの顔は翳る。


「いやあのね、復讐がダメって言いたいワケじゃないの。ただね、その……」

「───3年前。“ツキちゃんと同じこと”を考えて、この町を出た人がいるんだ」


「……!」


「私の、お兄ちゃんなんだけどね」


「ミズホの……」


 彼女の兄と、自分が同じ……。

 続けてミズホは語る。


「下界連合の目的はね、私たち難民の受け入れを、上界政府に認めてもらうこと」

「受け入れ要請自体は何十年も前から続けてきたの。……でも結局、返事は無し。下界人の声なんて一切届かなかった」


 ツキが寝ていたベッドに座るミズホは、その場にあった枕を抱き寄せた。


「挙げ句の果てには、全国の村を次々に焼きながら人を殺す部隊まで送り込んできた」

「けど……上じゃそんな事実は公表されずに、“下界人の生き残りはいない”ことになってるの。そして炭化人間殲滅作戦と称しながら、実際は非人道的な下界人虐殺を政府は繰り返してる」


 枕を膝に乗せて、両肘を付けた。


「───だから私たち情報部は、スパイを送り込むことにした」


 スパイ。知らない単語が出てきて、頭の容量を空けるツキ。


「上界に潜入して国の中枢に紛れ込み、“内部工作”を行う諜報員」

「それが成功すれば、私たちの悲願は果たされる」


「そんなこと、できるのか……?」


「……できる見込みがあった。期待される人材が、一人だけいた」

「それが私のお兄ちゃん。すっごく賢くてね、おまけに強いの!……サガミの爺ちゃんを継いで次期防衛部長になる予定だったんだけど、実力と本人の強い希望もあって、諜報員に選ばれたんだよ」


 喜ばしく兄の功績を語るミズホ。しかし、その笑顔の裏に見えるのは、仄暗い感情であった。


「でもね、私は知ってたんだ。お兄ちゃんが単独で上界行きに志願したのは、下界人受け入れが目的じゃない」

「……お母さんとお父さんを殺された───復讐」


「復讐……」


 枕をくるんとひっくり返して、また抱き寄せる。


「私、ツキちゃんの“灰の娘”って呼ばれ方、あんまり好きじゃないんだ」

「誰が呼び始めたか知らないけど、それって、“灰の男”が由来でしょ?」


「……“灰の男”?」


 灰の娘に似た、灰の男という名前。ツキは初めて聞くが、一体何者だ……?


「灰の男はね、“突然現れて村を焼き、人間の首をもぎ取って行ってしまう”と言われている、怖い噂なんだけどね」

「……灰を被ったみたいな髪色で、村を次々に焼いていくから、“灰の男”って名前が付いてるの」


「!」

「それって……!」


 ツキが狼狽える。まさか灰の男、灰の男というのは……。


「流石に、“ただの噂じゃない”って分かるよね」

「そう、ツキちゃんが追ってるのは、たぶん灰の男。私のお兄ちゃんが復讐を誓ったのも、同じ灰の男だよ」


「灰の……男───」


「だからモヤモヤするの、“灰の娘”ってツキちゃんが呼ばれてるの見るとね」


 そうか、そうだったのか……。

 ミズホは少し俯いて、当時のことを思い出し始めた。


「……お兄ちゃんは、私にだけ言ったんだ。“俺が必ず灰の男を殺す”って」

「その為だけに力を磨いてきた。その為だけに教養を身に付けた。お兄ちゃんには、それしかなかったの。それしか生きる意味にならなかったの……」


 ツキは黙って聞いている。自らもまた、復讐を誓った者だからだ。


「3年前、お兄ちゃんは上界へ向かった。……それから一切連絡はない」

「やっぱり復讐に走って、それで、殺されちゃったのかもしれない……」


 ミズホの眼に涙がじんわりと浮かぶ。


「ツキちゃんはね、格好良くて、可愛くて、私の大好きな友達だから……だから、消えちゃ嫌だって……そう……思って……っ」


 ツキは、枕を抱きしめるミズホの両手を、しっかり握った。


「大丈夫、私は消えないよ、強いから」

「だから安心して、必ず戻ってくる」


 枕に顔を押し付けるようにして、雑に涙を拭う。


「わかった……。ツキちゃん強いもんね……」

「だったら、一つ……お願い聞いてくれないかな」


「お願い?」


「もし上界に行ったらね、お兄ちゃんのこと……探して欲しいの」

「お兄ちゃんだって強いんだよ、だからね私、まだ生きてるって信じてる」


 頼まれた、ミズホの兄の捜索。

 ツキは、机の横にあったメモ帳と鉛筆を手に取って、文字を書き始めた。


「わかった。アカゲにも頼んでみるから、どんな人か教えてくれ」


「私と同じで、眼鏡を掛けてると思う。……背は170センチぐらいで、細身」

「27歳の、誕生日は8月29日。あと左利き」


 情報を書き込んでいくツキ。


「上では偽名を使ってるかもしれないけど……。名前は、トオル」

「───“五ノ神トオル”」


 ……“ごのかみとおる”。そう、書き残した。

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