第三三話 交わらない正義

「今夜は一段と冷えますね……」


 ダム施設内、下界連合統括署にある一室。

 二つあるベッドの片方に座りながら、アカゲはそう呟いた。


「画鋲の下から抜けたからな。あそこは上からあったかい空気が降りて来るから、意外と寒くないんだ」


 もう片方のベッドに寝そべりながら、ツキは答えた。

 見渡せば、小綺麗な部屋である。外の木造家屋群と比べ、ここは失われた建築技術に頼って造られた空間であるのが分かった。

 床はすべすべ、壁は無機質な白タイル、天井には蛍光灯。


「食事、6時半からですって。もうちょっとしたら食堂行く準備しましょうか」


「ロクジハンカラ?知らん料理だ」


「あれ、アンタもしかして時計読めないの。ホラ、あの壁の」


 6時2分を示した壁掛け時計を指差すアカゲ。

 起き上がったツキはまじまじと観察する。


「あー、あれが時計か。聞いたことはある」


「長い方の針が下の6のとこまでやって来れば、食堂が開きます」


「6のとこまで……。あ、ロクジハンカラのロクってもしかしてそれか?」


「ああ……いや、うん、そうだな。そういうことにしといてくれ」


 時計をじっと見るツキ。見ながら、アカゲに尋ねた。


「……あの時、何であんなこと言ったんだ?」


「あんなこと?」


 アカゲがツキの方を向いた。


「えっと、その……」

「つ、ツキは、オレを守るのがどうの、みたいな……」


 恥ずかしそうにツキは顔を背けている。


「ああ、アレはですね……」


───────────────────


「───オレには全部分かりますよ、全部ね」


「……テメエは何が言いてぇ、冬崎アカゲ」


 ハナビがアカゲを睨み付ける。

 部外者が自信満々な様子で首を突っ込んでくるのがたまらなく気持ち悪かった。


「ツキが守りたかったのは、家族だ。村じゃない」


「ほう?そりゃまた傲慢だな、よりドス黒い悪じゃねえか」


「ツキは家族を救えなかった。その時点で、アイツに守るべきものは何もない」


「ふざけんなよ、コイツの家に駆け込んだムラタの兄貴が何を思ってたか知ってんのか。……ツキなら自分を守ってくれる、ツキなら奴らと戦ってくれる、そう願って、頼って、村の皆を守るために走って向かったんだ……!!」

「そいつを自分勝手の傲慢な理由でテメエは……ッ!!」


 逆上し、手が出そうな勢いのハナビを止めたのは、アカゲだった。

 中腰でゆっくりと立ち上がり、ハナビの肩を掴んでいた。


「アンタも随分自分勝手だってことに、そろそろ気付くべきですよ」


「……!」

「お、俺は……」


「改めろって言ってるんじゃないんです。ただ、アンタにはツキを責める資格がない」

「自分勝手同士、余計な衝突を起こさず、互いを尊重すべきだと思いますよ」


「そんなの……分かってんだよ」


「アンタの正義は正しい。英雄思考って感じだ」

「けど、ツキの正義も正しい。……あ、正しいっていうのは“理にかなってる”の言い換えなんで、そこらへん間違えないでくださいよ」


 ハナビは俯きながら、不服そうに表情を曇らせる。


「ツキは、オレを守ってます。守ってくれて、これからも守ってくれる」

「守りたいヤツを守るためだけに力を使う。それがツキの信条です」


「そんなモンは正義じゃ───」


「一つ聞きますが!」

「全てを救おうとした結果、自分の一番大切な人を失ってしまったらどうしますか。最初からその一人だけを守っていれば、救えたかもしれない。そんな時、アンタはどう思いますか」


「……」


 黙り込んでしまうハナビ。


「それでも大勢の命を尊ぶというなら、それでいいんですが。少しでもそこに迷いが生じるなら、そっちの選択もまた正しいって話です。分かりやすいでしょ」


「それでも……オレは、納得できねえ。テメエの本音を、聞くまではな」


 ツキを再び睨んだ。


「どうしてだ、どうして戦わなかった!!」

「あの音を聞けば、嫌でも敵が憎くなる筈だ!目の前の命を守りたくなる筈だ!」

「俺はアカリを庇って、瀕死の重傷を負った。けど、救えなかった。薄れる意識の中、残った右眼でアカリの死を見た、声を聞いた。忘れられねえんだ、忘れられねえんだよ!!」

「教えろ!長火鉢ツキ!お前は、お前は何考えてたんだ……ッ!!」


 立ち尽くすツキ。声が出ない……。

 声が出せない。出せないが、話す、喋る、言う。アカゲがそばにいてくれる。だから頑張る。

 自分の気持ち。

 ……あの時。


「───わ、私は……“怖かった”。怖かった……の」

「怖くて……動け、なかった」


「!」


 怖かった。そう、悲痛な本音を打ち明けたツキ。

 ハナビは言葉を失う。……怖かったなんて───考えもしなかった。

 あの日の……アカリの顔。逃げ場のない恐怖に怯え切って、諦める表情。

 足がすくんで、立てないと、そう自分に訴えかけてきた。


「……そうか」


 アカゲがハナビの肩を離す。

 本当のことを言うと、アカゲはずっとハナビの肩を借りて楽をしていた。

 しかしもう、そんなことはどうだっていい。


「俺は先に行く、荷物は部屋まで運んどくから、あとはテメエらで来い」


 ぶっきらぼうにそう言い放つと、ハナビは眼帯を結び直した。

 荷物を持ち上げて、背負う。そして、歩き始めた……。

 と思えば振り返って───。


「済まなかった」


 そう、言い放った。


───────────────────


「てな感じで、アンタのこと信頼してるってことですよ。悪い気しないでしょ」


「まあ、悪い気はしないけど……。あんまり頼んなよな、私を」


 調子を取り戻したツキを見て、アカゲは安心した。

 何というか、図太いやつだ。それでいて、脆い。自分が守ってやれるわけではないが、それでも、迷った時の道標にはなれるかもしれない。

 ……そう思った。


「さて、そろそろ準備しますか。服とか着替えなくて平気ですか」


「替えはないぞ、知ってんだろ」


「ええ……それ何日洗ってないのよ……。食事の席でその服は流石にな……」


「お前も同じだろ!私のこと責める資格は無いんだからな!」


「そりゃごもっとも……あぎゃ!!」


 アカゲは笑って立ち上がり、そして盛大に倒れた───!!


「いたたたた……」


「お前まだ痛がってんのかよ……」


「あ、あの……か、肩……貸してくれませんかね……」


 悲痛な目で訴えかけるアカゲ!蔑む目で見つめるツキ!


「お前アレだろ、寄宿舎とやらに行った方がいいよ。バイバイ」


 冬崎アカゲ、筋肉痛に敗北───!!


───────────────────


 寄宿舎。

 コンコン、とドアをノックする音がした。


「食事だよ」


 ユノカワのしわがれた声がする。

 扉がギイと開いて、食事のプレートを持ったユノカワが現れた。


「だいぶ落ち着いたみたいだねえ。湯たんぽも暖かいだろう」


「ええ……おかげさまで……」


 身体をむくりと起き上がらせて、ユクエは言う。


「遅くなってごめんよ。ここに置いておくからね。苦しければ、食べなくても大丈夫さ」


「ありがとう……ございます……」


 丸パンと卵焼き、大根とレタスの胡麻和え、味噌汁。

 寝台の横、机の上にコトリと置いた。


「あたしゃもう寝るけど……もし何かあればすぐに呼びな」


 そう言って、ユノカワは枕元のナースコールをちょんちょんと指差した。


「わ、分かり……ました……」


 弱々しく返事するユクエ。顔には翳りが見える。


「じゃあね、おやすみ」


 バタンと扉は閉じて、またユクエは一人になった。


 こんな食事はいつ以来だろう。

 ずっと昔、もう薄れた過去の記憶だ。

 冷めないうちに……。

 ……味噌汁のお椀を冷たい手で優しく持ち上げる。

 それをゆっくり口へと運び……。

 ───少しだけ、飲んだ。


「うッ……!!」


 突如激しい頭痛に襲われたユクエはお椀を落とし味噌汁を盛大に溢した。

 手が震え、足が震え、視界が歪む。

 ……頭の中に“無数の声”が響く!何を言っているのか分からない大勢の人間たちの声が!口々に何かを言っている!


「あ、あぁぁぁああああ……!!」


 正気が保てない、頭を押さえつけ、枕に激しく打ち付ける!

 食事は駄目だ、食事は駄目だ。

 口が開く、口が開いてしまう!


「ああなたはそういい言ったのこここれが絶対」

「き消える!助けけけゾウさんか可愛かったね!消滅は免れません」

「溶ける、消えていく、ブレイジアからの信号は!!」

「うわあぁぁあああああぁぁぁああああああッ!!」


 視界の端、枕元のナースコールを見た。

 ───呼べば、来る。


「呼べ、呼べ、呼べ、呼べ、呼べ」

「器を、あと一つ、あと一つの、器を、呼べ」


 ダメだ、呼べない、今呼ぶわけにはいかない……!!

 自分はここにいちゃいけない。

 逃げなきゃ、誰もいないところへ。

 逃げなきゃ。


 ユクエは勢いよくガバリと起き上がり、ドアを開けて外へ出た!

 転がったお椀と、手のつけていない食事が残された。

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