第三二話 燃え残り二人
ユクエが案内されたのは、しっかりとした造りの病室。
古い小学校の教室を、5畳程度に縮小したような部屋だ。
適度な寝台と、適度な椅子、机、本棚、枕元のナースコール。
「その子だね、さっさと寝かせておやり」
頑固そうな老婆が、しわがれた声で防衛隊員に呼ぶ。
ユクエを白のベッドにゆっくり座らせ、横になれるよう手を貸した。
汗だくのユクエが動悸に合わせて身を強ばらせるのを見て、老婆は歩み寄る。
「どれ、婆さんに顔を見せておくれ」
そう言って、手元のタオルで顔の汗を拭ってみる。
眉間のシワが少し緩んだユクエが老婆の方に瞳を向けると……。
老婆もユクエの眼を見た。顔を見た。老婆は、ユクエの顔を見た。
ユクエの顔を見て、眼が開く。
老婆は、時間が止まったように、動かなくなってしまった。
「ユノカワさん……?どうかされましたか」
付き添いの防衛隊員が心配そうに声を掛ける。
ユノカワと呼ばれた老婆は、その声でふと我に返った。
「───ババアの心配は無用だよ」
「それよりも、この子。名前はなんて言うんだい」
しわがれた声を取り戻し尋ねる。
尋ねる間に、ユノカワは触診に移っていた。手首や腹部に触れ、異常がないかを見極めている。
「ユクエさん、と伺っています」
黙って聞きながら、触診を続ける。
「坊や、痛みはないかい」
ユノカワの呼び掛けに反応し、ガクガクと震わせる顎で声を絞り出すユクエ。
「ぃいい痛みみは……な、無い。無ないい、です……」
「くる、苦しい、頭のな中に、みみみみんなが……い、い、い」
ガタガタと身体が震えて、寝台の金具が軋む。
「落ち着いとくれ、落ち着いとくれ、もう喋らなくていい……」
「あたしが何とかしてあげるからね」
溢れ出すユクエの声は次第に栓が締まり、落ち着きを取り戻していった……。
動悸も和らぎ、インフルエンザの時のような鋭い悪寒だけが……ユクエの身には残っている。
「こりゃ……尋常じゃないねえ」
「ミナグロ病の初期症状にも似ている」
ユノカワは震えるユクエをなだめ、下瞼の奥を覗いた。
同時に髪の生え際を指で押さえ、これもよく観察した。
「……しかし、見たところはミナグロ病じゃないね」
「眼球にも生え際にも変化は無し。不思議だねえ」
防衛隊員が再び声を掛けた。
「彼、大丈夫でしょうか」
「大丈夫さ。ミナグロ病じゃない。最近の雨の周期と症状の進行具合が合致しないからね」
「初期炭化も見られないから、極度の緊張と環境の変化によるものだろうねえ」
肩で息をするようなユクエに、ユノカワは呼び掛ける。
「今、湯たんぽ持ってくるからね。その間何かあれば、そこのナースコールを押してちょうだい」
「押せばあたしじゃなくとも、足の速い看護婦がすっ飛んでくるからね。分かったかい」
ユクエは枕元のナースコールを見てから、ゆっくり頷いた。
部屋を出ようとしたユノカワは振り向いて、防衛隊員に言う。
「それとアンタ、駒沢さんトコの坊やだろう。ここはもう大丈夫だから、さっさと職場に戻りなさいな」
「は、はい、分かりました!」
……二人が出ていって、ユクエは一人になった。
───────────────────
「……つーのが、この町の大体のアレだ、概要だ」
「理解したか?冬崎アカゲ」
ハナビの後ろに歩くツキ、その背中にはアカゲが乗っている。
二人の荷物は全て、ハナビが担いでいた。
賑やかな町並み、時折子どもが食いついたようにまとわり追いて来るが、ハナビは追い払うような仕草でそれらを退散させる。
「ご老体って、防衛部長だったんですね。どうりで強かったワケだ」
「……ああ、サガミのジジイか。アイツは“軍師”みたいな人だ」
「先頭で戦うよりも、後ろで指示出す方が実は向いてる。あのジジイは、そんぐらい頭がキレる」
「なるほど、知略で戦うタイプね……。それで、今どちらに?」
「ジジイは今朝町を出たぜ、明後日には帰って来るだろうな」
「あー、入れ違い……。それなら、当分の間ゆっくりさせてもらっちゃいましょうか」
アカゲはそう言ってツキの頭をポンポンと撫でる。
ツキはアカゲの顔を見て、すごい嫌そうな顔をする。
そういえばツキは、ユクエが運ばれていってから一言も喋っていない。いつもなら出しゃばりそうなハズなのに。
「統括署の部屋を用意してる。気が済むまで居ればいい」
「ユクエさんがいるのは、確か生活部の寄宿舎でしたっけ。そことは違うんですか」
「ああ、寄宿舎とは名ばかりで、あそこの半分は病院だ。医者は寄宿舎に常駐してる。介護の必要な奴らの寝泊まりも兼ねてるから、出来るなら寄宿舎には迷惑掛けねえようにしたい」
「なるほど!そこに医療が集中してんのか……」
「ともあれ、統括署直々に部屋を貸してくれるなんて、いやあ、ありがとうございます」
ツキは相変わらず黙ったままだ。
「ホラ、アンタもちゃんとお礼言いなさいよ。そこのお兄さんにありがとうは?」
「……んな」
「?」
「……子供扱い……すんな」
か細い声で、ヒソヒソとアカゲに喋った。
「どうしてそんな小声なのよ……」
「いやあスミマセンね、うちの子が。無愛想なんですがね、優しい子なんですよ!ぜひ仲良くして頂ければ……」
ハナビが急に歩みを止める。気付けば町の裏路地へ3人はやって来ていた。
重たい声で口を開く。
「気が済むまで居ればいいって、さっき言ったな」
「言いましたね」
「嘘だ」
「嘘なんですか」
背負っていた荷物をドサリと落として、言う。
「───速やかに出ていって欲しいと思っている。特に、“その女”にはな」
ハナビは振り返って、ツキを指差した。
「俺はジジイの言葉に従ってただけだ。ソイツとは話さない、顔も見たくない。さっさと消えてくれりゃいいと、そう願ってんだ。……でなきゃ、俺がソイツを殺すかもしれねぇ。俺はもう冷静じゃいられねぇんだ、消えてくれ」
「言われてますよ、何したんですか」
……ツキはひとしきり考えた後、呟いた。
「知らん」
「───テメエ……知らねえだと?」
「その口で、その眼で……ッ、よく言えるよな……長火鉢ツキ」
憤りを露わにするハナビ。
いきなりの展開に困惑するツキを、アカゲは見た。
「……私への殺気はずっと気付いてた。だからアカゲに迷惑かけないように黙ってたけど」
「私に何の恨みがあるんだ?なんでさっきから妙に馴れ馴れしいんだ」
怒りと恨みを抑え込み、静かに、耐え忍ぶように、目の前の女に言ってやる。
「───5年前、イナ村、そして……この傷」
「……!」
その言葉に、ツキが反応する。イナ村といえば、アカゲも話に聞いていた……“ツキの故郷”である。
ハナビは、左眼を塞ぐ眼帯を自ら外していく……。
するりとほどいた黒の眼帯、そのまま髪を掻き上げると、痛々しい傷が姿を現した。
その、あまりに醜い傷に、二人は息を呑む。
「“弾丸”は俺の左眼を抉り、脳を撃ち抜き、頭蓋骨を突き破った」
「答えろ。あの日、お前は───何をしていた?」
左眼から斜め右上にかけて、大きな窪みが、その顔を貫いている。
「まだ思い出さねえのか、そうやって全部忘れちまったのかよ」
「───“アカリ”のことも」
アカリ、その名を聞いてツキは珍しく狼狽える……。
『───私ね、20歳になったらハナビ君と結婚するの』
思い出が繰り返す。アカリの声が頭に響く。
青い顔をしたツキは、アカゲに呟いた。
「ごめん、ちょっと、降りてくれ……」
「あ、ああ……」
アカゲは言われるまま地面に降ろされる。
優しく降ろしてくださいね、とも到底言えない……冷たい空気が場を支配する。薄暗い路地裏で、アカゲは口を閉じた。
ハナビに向き直ったツキが、静かに、告げる。
「変わったな。……気付かなかった」
「“変わった”か。そんなこと言えるヤツは、この世にお前しか残ってない」
ハナビは少し笑ったような顔をして……。
その後憎悪を滲ませた。
「あの村は燃えた、人も全て燃えた……ッ」
「───俺はお前を、“燃え残り”とは認めねえ。絶対に……!」
「燃え、残り……」
「もう一度訊く。……あの日お前は、何をしていた?」
「私は……あの日。……私、は」
ツキが言い淀む。弱々しい声で、言葉を絞り出す。
「隠れ、てた……。家の、クローゼットに……」
返答を聞いて、ハナビが浅いため息をついた。
「……そうか」
「刀を持って来なくてよかったぜ。お前を殺すとこだった」
「でも、私は……!」
「───もう一つ訊く。お前はこれまで、どこで何をしていた?」
またツキは俯いて、言葉に迷った……。
「剣の……修行……」
ハナビは頭を抱える。
「ああ、そうか。そうかよ」
「……お前がアカリの友達じゃなけりゃ、殴り殺してた」
「さっきから……なんだよ……」
「私に、何が言いたい」
ツキが問いかける。震え気味の声で、何かに怖がっている。
そんな彼女に、ハナビは言った。
「───テメエ、人を救う気無いだろ」
身体の内側に怒りが赤く滲んで、失くした左眼はツキを睨んだ。
「村で誰よりも……!どの大人よりも強かったお前が!村の皆が死に物狂いで戦ってる時、“クローゼットに隠れてた”?……ふざけんなよ。村の燃える音を聞いたか?人が死ぬ音を聞いたか?聞いてるはずだ、聞いたら耳から消えねぇハズだ。ならどうして……」
「どうして、お前は戦わなかった」
「わ、私は……。私……は」
「挙句の果てに剣の修行だ?笑わせんなよ。テメエが一人強くなってどうなる。俺らの村以外にも下界人は大勢生きてる。上の奴らがいつ攻めてくるかも分からねえまま、怯えて暮らしてる」
「もしテメエが後悔してるんなら、“人を守る”ためにその力を使えよ。力を持つヤツには、力を持たねえヤツを守る義務がある。自分勝手な復讐は正義でも何でもねえ。テメエのやってることはな、誰のためにもなってねぇんだ」
「……だからムカつくんだよ、たかだか一回町を救った程度でヒーロー気取り。頼む、死んでくれ」
「……」
……ツキの眼に涙が滲む。
滲む涙を、アカゲは見ている。
今ここで横槍を入れるべき、そう思った。
「───あんまりうちの子イジメないでやってくださいよ」
座り込んだアカゲにハナビが目を向ける。
「考えてもみてください。ツキは二言しか言ってないじゃないですか。それも、アンタの質問に答えただけだ。恨みで焦る気持ちも分かりますがね、まずは話を聞いてやってください」
俯いたままのツキをアカゲは励ますが、ハナビの言葉は予想以上に深く突き刺さったようだ。ツキの口から弱々しい言葉が溢れ出る。
「やだ……私は、話したくない……。コイツの言ったことが、全部、本当……」
「本当のこと、言われて、何にも……言い返せない……よ」
「だとよ」
話は終わったと言わんばかりにアカゲを見つめるハナビ。
すると、アカゲが自信満々に口を開く。
「なら、オレが言い返します」
「あ?お前には関係ないだろうが」
「当の本人が認めてんだよ、お前の言葉はコイツの首を更に絞めるだけだ。話聞いてたか?」
ハナビの正論。しかし……。
「───オレには全部分かりますよ、全部ね」
アカゲは、道端に座り込んだまま、ハナビに向かってそう告げた。
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