第二五話 透き通る青の瞳

 ハイブエンの傘と地上とに空いた隙間から、チカリと夕陽が差し込んだ。

 歩くツキとアカゲ、左側から光は暖かくスーッと通り抜けて、影を伸ばしていく。

 明るく照らされた夜の地で、目を細めアカゲはオレンジ色に滲む太陽を見やる。

 これでようやく一日の終わりだ。


「そろそろ野営の準備始めましょうか」


「そうだね。……あー、あと良い知らせ」

「後ろからついてきてた変なヤツの気配消えたよ。結構前だけど」


「なんだ、意外と拍子抜けでしたね」


「だね。でも一応夜は注意しとこう」


「了解」


 半壊したコンクリートの建造物が立ち並ぶエリアはまだ続いており、周囲には遮蔽となる壁も多い。

 手頃なビルの残骸をまた見つけ、そこの一番影になっている場所に、焚き火台と薪を設置する。分担して野営の準備を進めていく二人。


「あー、疲れた。めちゃめちゃ風呂入りてえ……」


「贅沢言うな」


「アンタ普段どうしてんのよ」


「水のタオルで身体拭いてる」


「あー。まあ、そうですよね。髪は?」


「三日に一回。リュックに石鹸入ってる」


 背負っていたデカいリュックを指差すツキ。水は貴重だから、三日に一回ぐらいしか洗えないワケだ。


「なるほど……」

「───ってアレ、最後に頭洗った日は?」


 ツキはボロボロになった建物の天井を見上げながら考えた。


「えっと……色々バタバタしてたから。……お前に初めて会った日……の、前日、くらい?」

「おい露骨に避けんな」


───────────────────


 二時間後。


「───どうだった、石鹸は」


 湿った髪をパサパサと振って乾かしながら、アカゲが登場した。


「意外とイケるかも。やっぱサッパリすると気分いいな」


「そーでしょ。バカにするな石鹸を」


 一足先にツキは、下ろした状態の自分の髪をファサファサとやって乾かしている。


「別に石鹸をバカにしてるわけじゃありませんからね」


「あそう」


 思えば昼の休憩を挟んでから、一周回って歩くのにも慣れたアカゲであった。

 しかし疲労は変わらず蓄積し、もう身体はヘトヘトである。

 一つあくびをしてツキに尋ねた。


「例の気配はどうよ、まだ無い?」


「うん、大丈夫。近くにいる感じはしない」


「そりゃよかった」


 しかし、正体は何なのだろうか。

 アカゲは顎に手を当てて考える。

 知能の高い炭化人間、人間を真似る擬態型、惑わす者……。

 イレギュラーと呼べる存在が、アカゲの頭にずっと引っ掛かっていた。


「おい」


 炭化人間の中に極めて知能の高い個体が存在するというのは、恐らくほぼ確実……。しかし知性的な個体とそうでない個体に振れ幅があるのは、何に起因するものだろうか。

 広義で言うところの“炭化”という現象が浅く済んだために、知能をかろうじて維持したまま炭化人間と同様の存在になってしまった個体であるのか。

 それとも、後天的に知性を取り戻した個体……?知性を取り戻すなんて、一体どうやって……。

 待てよ、一番最初に出会った炭化人間……。

 アカゲが話しかけた時は頑張っても日本語には到底聞こえない発語で喋っていたが……途中から……。そうだ、眼の奥が淡く光って、そして流暢に言葉を話した。

 すると、その線も考えられるのか……?


「おいアカゲ」


 ……ただ、やはり上界からの追手というのもまだ捨てきれない。

 しかし、それにしてはどうにもやり口が回りくどい。相手は何を狙っている?

 ツキが眠って無防備になるのを窺っているのか……?

 相手がもし上界人なら、ツキの仇である「右眼に傷のある男」の情報も聞き出せるかもしれない。いや、これは流石に欲張り過ぎか。


 しかし、まだ確実な情報がない以上、考えたところで今は何も深まらないだろう。現時点ではとりあえず、ただ警戒しておくくらいしか……できることはない。


「アカゲアカゲアカゲアカゲ」


「って何すか急に、子どもみたいな」


「“何すか急にぃ”じゃねーよ。呼んでんだよ」


「悪い、気付かなかった」


 ツキは大きくため息をつく。

 ……。

 半睨みだ。

 ……。

 目線の圧が凄い。

 ……。


「肉、焼いて。早く、今すぐ」


「わかったわかった、今焼くから」


 暗闇の中、焚き火の光で照らされる二人の影。用意された肉。

 ジュ──────。と、香ばしい匂いが、辺りを淡く染めていった。


───────────────────


 パチパチと、静寂の中の暖かい食事。

 頬張るツキ。


「旨いぞアカゲ!!」


「知ってますよ。今食べてます」


「なんだよ〜もっと喜べよ〜」


「タチの悪い酔っ払いみてーな絡み方するんじゃないよ。お前そんなキャラだっけ」


 いつになく陽気なツキ。

 左右に揺れながら美味しさと喜びを表現している。

 どうやら、炭化イノシシ肉の味が病みつきになったみたいだ。


「───肉で釣れそうだな、コイツ……」


「なんはひっはは?」


「いいえ、別に」


 粗末な出来のナイフとフォークで丁寧に切り分け、口の中へ運ぶ。

 やはり美味い。芳醇な味わいと、野生の肉らしからぬ柔らかな口溶け。

 脂をたっぷりと含み、それでも全くしつこさを感じさせず、食べ応えも非常に良い。


 ……と、本題を忘れてしまうところであった。

 火も落ち着いたところで、いよいよアカゲは切り出す。


「訊いていいすか」


 アカゲの言葉を聞いて、ツキはごくりと肉を飲み込んだ。


「あー、そうだね」


 そして後ろ手で頭の包帯を解いていく。

 ハラリと包帯は柔らかく落ちて、露わになった右眼の瞼をツキは開ける。


「───“コレ”でしょ」


 生気のない透き通るような青の瞳はぼんやりと淡く光り、その眼はとても、美しかった。

 アカゲは静かに頷いて、興味深くツキの右眼を観察する。


「えっと……あー……」


「───“電機義眼”。っていう、ヤツらしい」


 トントンとこめかみに指を当ててツキは言う。


「……それ、やっぱり義眼だったのか」


 緻密なほど精巧に作られたレンズは、焚き火の光をゆらゆらと綺麗に反射している。瞳の奥は小型のカメラデバイスが埋め込まれていた。

 まるで高貴な美術品のように異彩を放つ人工眼球。人類の技術の粋を集めた代物だろう。


「その眼はいつから?」


「分からない……。物心ついた頃には、もうこれだった」


 俯き気味のツキ。

 本人が“魔眼”と称すのは、ただの冗談だけではなく、忌み嫌うほど異質な右眼であるという表現なのかもしれない。


「……父も、どうして右眼だけこんななのか教えてくれなかった」

「私が訊くといつも微妙な顔して考え込んじゃうから、怖くなってそのうち訊かなくなった」

「教えてくれたのは、バッテリー交換の方法だけ」


 ふむ、と顎髭を触って考えるアカゲ。

 続けてツキが話す。


「……村ではいつも、右眼を隠してた」

「変な眼だから見せたくないってのもあったけど……」


「けど?」


「“視えすぎる”んだ。……あんま伝わんないかもだけど、なんか右と左でめちゃめちゃ見え方が違う。視界がブレまくるから酔って気持ち悪くなる」

「だから、私は右眼の方を塞いだ」


「そうだったのか」


「光を遮ってしばらく経つと電源が切れるみたいだから、いつもあんな感じで覆ってるんだ」


 なるほどね、と一息ついて、水筒の水を一口飲んだ。

 ツキが沈みかけるような顔で語る。

 思い返すのは、六日前。


「───あの時、何が起こったのか分からない。あんなの初めてだった」

「全身がビリビリして、身体が軽かった。まるで、何でもできそうな気分」


 ビルの残骸、鉄筋が剥き出しになった壁の角に置かれたツキのリュック。

 アカゲは中からくたびれた茣蓙を取り出して地面に敷いた。


「あの時の“覚醒モード”みたいなヤツを全部その眼で補ってるんだとしたら、バッテリーの消耗も相当激しそうですね。身体への負担も考慮されてなさそうだ」


「普通に使えば十年は動くらしい。動かなくなったら“だいにしゅえきたいバッテリー”っていうのを入れるんだけど……あれやなんだよな、マジで二度とやりたくない」


「第二種液体……聞いたことないな」

「……んで、アレは明らかに普通の使い方じゃないよな。とりあえず、温存しといた方がいいぞ、覚醒モード」


「言われなくてもそーする」


 アカゲは続けてリュックの中から、あたたかそうな毛布を取り出す。

 くるくると丸められていた毛布をバサリ。

 広げて茣蓙の上に被せた。

 寝床の完成だ。


「歯磨いたら先寝ちゃっていいですよ」


「わかった。見張りよろしく、途中で交代な」


「はいよ」


 気を失っていないツキとこうして、二人で夜を越すのも三度目になるのか。

 変に心細くならないのは、きっと上界での記憶が数えられるほどもないからだろう。更地のような状態になった記憶からのスタートだ。


 そして夜になると、決まって何か昔のことを思い出そうとしてしまう。

 断片的に何かが見えることもあれば、霧を掴むように手応えのない時だってある。


 ───なぜ自分は狙われる?

 下界で目覚めてから不意に訪れる、この“妙な違和感”は何だ?あの不思議な声は……?

 誰かに後ろから見られているような感覚。

 自分が選択する時、何者かが後ろから背中を押す。そんな気分。


 ツキには言わない。

 これはまだ、自分の内だけの問題でいい。


「どうした、アカゲ」


「少し、考え事です。記憶について」


 ツキは頭を掻いた。


「───そっか。……アカゲが知らないアカゲのことは、私も知らない」

「ただ、何か言いたいことがあったら、聞くぐらいは私でもできる」


 気を使っている様子のツキ。

 少し明るさを取り戻したアカゲの表情。


「お、珍しい。そっちも気軽に頼ってくれていいんでね、知恵が必要な時は」


 アカゲは自分の頭をトントンと叩いた。


「ばーか。思い上がるな変人キモ男」

「お前にダウンされると困るってだけだから。足手まといのクセに調子乗んな」


 なんだか賑やかな夜だ。


「ホラ、喋る前にさっさと歯磨いといた方がいいですよ」

「まあアレか、乳歯だから別に大丈夫か」


「は?殺す」


 なんだか、賑やかな夜だ。

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