第二二話 生きろ、冬崎アカゲ

 駆け寄ったアカゲは、目の前の二人を見た。


 肘から下の両腕と膝から下の右脚を失くして、苦しそうに伏すヴァンキッシュ。

 ヴァンキッシュの目の前で、意識を失くしてうつ伏せに倒れているツキ。


 風は冷たく通り抜け、上空に淡く光る靄を見上げた、暗く沈む大地。


「ツキ……」


 アカゲは、何もできなかった。

 場を散々引っ掻き回して、結局何の役にも立てなかった。

 不甲斐なさに心を黙らせながら、彼はゆっくり、ツキを支え起こした。

 満身創痍の状態で動かなくなったツキを見て、さらに言葉が出なくなる。

 眼を閉じた顔は傷だらけで、頬にこびり付いた血は掠れている。

 

「……」


 か細いが、呼吸はしている。

 しかし全身の傷があまりに痛々しい。


 自分は、役立たずだ。何もできずに甘えてばかりだった。

 そんな自分をツキは、守ってくれた。

 果たしてそれがどんな理由だろうと……このどうしようもない人間を、命懸けで守ってくれたんだ。


 途端に溢れ出す謝罪の言葉の数々。

 そのどれかを必死に頭の中で選んで、苦しい顔をした。

 ごめんな、すまない、悪かった、申し訳ない───。

 違う、どれも違う。でも、言うしかない……。言わなければ、心が保てない……。

 どうすればツキに。


「───冬崎アカゲ」


「……!」


 声に驚いて顔を上げると、ヴァンキッシュが項垂れながらアカゲを見上げていた。

 ゆっくり息を吐いて、吸い、彼は話す。


「灰の娘が……生きているのは、間違いなく……お前のおかげだ」


「そんなこと、ありませんよ……」


 ザリ、と姿勢を少し直して、ヴァンキッシュは静かに首を振った。


「───我がお前を連れ去れば……灰の娘は手段を選ばず、お前を……取り返しに来るだろう……」


「……」


「……その時、相対するのはこの我だ。“お前のいない灰の娘は、必ず我に殺される”」

「我が深手を負った理由は……お前にある……」


「!」


 それを聞いて、アカゲはヴァンキッシュの身体を見た。

 血は流れ、欠損した両腕と右脚……。

 普通の人間なら、とうに死んでいるだろう。


「───灰の娘が、最後に見せたあの力は……確実にお前が引き金だ。理由は定かではないが……」


「オレが……?」


 ヴァンキッシュはゆっくり頷いた。


「だから、お前がいなければ……灰の娘は必ず我に殺される」

「だが今は……」


「───オレはここにいて、アンタもオレを連れて行ける具合じゃない。そして、ツキはギリギリ生きてる……」


「そういう、ことだ。最良の結果で……灰の娘は目的を果たした」

「それは、お前がいたから成し得たことではないのか?」


「……」


 ヴァンキッシュは、アカゲに語りかけた。


「───我は知っている」

「お前には……言うべき、言葉があるはずだ」


「……」


 言うべき言葉。そうか。……そうだな。

 アカゲは倒れているツキの肩を抱きながら、優しく声をかけた。


「───ありがとう」


 言葉は空気に染み入り、辺りはほんのり暖かくなった。

 そして微かに音が聞こえてきて……。


 ババババババ……。


 何か、プロペラの回るような音……?上の方から徐々に近づいてくる。

 上空を見上げたヴァンキッシュが言う。


「勝率の薄い勝負には……保険を、掛けるものだ。現に我は、死にかけている」

「……そして、あれは強化人間回収用……独立型飛行機械。そう、平たく言えば……お迎えだ」


「“お迎え”ね……」

「それ、ひょっとしてジョークのつもりですか」


 苦笑い気味に聞くアカゲ。

 今まで無表情だったヴァンキッシュは、ほんのり笑みを浮かべて言い放つ。


「ああ。ジョークだ」

「笑えるか?」


「爆笑です」


 ヴァンキッシュ……。

 彼は、不思議なオーラの人間だ。

 敵なのか?味方なのか?

 今はまだ、分からない。


「このまま旧地に留まりたければ……。お前は灰の娘を連れ、逃げなければならない。……できるか?」


 聞かれたアカゲは自信を持った表情で答える。


「───ええ、バッチリです」


 その言葉に安心したような眼差しを向けるヴァンキッシュ。

 ヘリの音は近づき、アカゲは何やら考え込み、少し神妙な顔をした後に、尋ねる。


「気になってたんですが」

「───アンタ、妙にオレに優しくしますよね。逃す理由も無いのに」


 ……ヴァンキッシュは命令に忠実だ。しかしその反面、アカゲの自由を尊重したいという意志も強く感じる。これは一体、どういうことなのか?単なるお人好しなのだろうか。


「それは、我にも……分からない」

「しかし、心の奥底で声がするんだ。お前に出会ってから、ずっと」


「声?」


「───“彼を自由に”」

「そう、微かな声が……」


 ババババ!!と大きな音で近づいてくる小型無人ヘリ。

 表情を変え、話は終わりだと告げるヴァンキッシュ。


 風を巻き立て、砂埃が激しく舞う。

 そんな砂埃からツキを守るように、アカゲはジャケットを広げた。


 しばらくしてヘリは、ヴァンキッシュのすぐ後ろに着陸する。

 プロペラはゆっくり停止し、半ばむき出しのような構造の操縦席から、何本ものアームが展開して、それぞれがヴァンキッシュの身体を支え起こした。


 ヴァンキッシュは操縦席に綺麗に収まり、アカゲをまっすぐ見た。

 プロペラは再度回転を始め、ゆっくり速度は上がっていく。


「最後に一つ、いいですかね!」


 アカゲが尋ねる!

 速度は上がり、風も立ってくる。


「なんだ」


 アカゲは音に負けないように、声を張る!


「アンタ、一体!」

「何者なんですか───っ!!」


 ……。

 アカゲの質問に、フッと頬を緩め、口を開いた。




「我は、“V”」

「───“ヴァンキッシュ”だ」




 ババババババ!!凄まじいプロペラの音は風を切り、自動で浮上を始める。

 ヴァンキッシュの顔が見えなくなる前、彼はアカゲに向かって何かを言った。

 悲しくもその声はプロペラの音にかき消されてしまう。

 しかし……。

 口の動きで、アカゲは読み解いていた。彼が何を言ったのか。

 ……。


 “生きろ、冬崎アカゲ”


 ……。

 上空へ飛び立ち、その機体のシルエットは、随分小さくなる。


「……」

「秘匿情報、ね……」


 アカゲは呟いて、ツキのベルトポーチを開けた。

 中にはサガミの残した地図が折り畳まれて入っていて、それをパタパタと展開し広げきる。

 ざっと見て、彼はお目当てのものを見つけた。


 ここから西に一キロほどの地点……“サ”という文字が丸で囲って記されている。

 いや、これは……心なしか“け”とも読める。

 サガミが各地に設置した、“隠れ家”の場所だ。


 次の追手がいつやってくるかは分からないが、急いだ方がいいのだろう。

 炭化人間も、先程の浮上装甲車輌が墜落した爆音で寄ってくるはずだ。

 実は、かなり危険な状況である。


「ひとまず、向こうまで避難して……」

「お前の持ち物や食い物の回収は後で考えよう」


 ツキに語りかけるような口調で自分に言い聞かせるアカゲ。

 冷静な顔つきになって、ツキを背負い上げた。


「う、うわ!」


 背負い上げた拍子にツキの刃がアカゲを掠めて悲鳴を上げる。

 ……苦い顔をして、刃が自分に向かないようツキの右手に注意して歩き始めた。

 アカゲの背にはツキ。

 彼らはバディだ。


「怪我したらマジ置いてくんで!!ぜってー当てないでくださいよ!!うわぁ!揺れんな!!」


 その関係は、いびつで中途半端だけれど。

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