第二一話 焼き色とギロチン

 一匹の、炭化人間がいた。

 ……沈んだように静かな髑髏顔で、ゆっくりと歩いたり、立ち止まったり。


 ───すると、どこからともなく音が。


 ……バン、バン、バンバンバンバン。

 

 遠くで何かの音。打ち付けるような、叩き付けられるような……。

 そんな音に炭化人間は「ヒュ」と顔を上げる。

 音の方に向かって、徐々に駆け出した。

 ドサ……ザッ、ザッ、ザッザッザッザッ。


 走り去っていく炭化人間。

 やがて姿は見えなくなる。


───────────────────


 その頃。


 バンバンバンバンバン!

 けたたましく音を立てるトタン板の扉!!

 これが音の主である。


 白髪の男は、こんなもんかな、と小さく呟いた。

 ……両手に持つ2本の麻紐を地面に置き、喧しい扉の音は止まる。


 向こうの方にポツンと、電話ボックスあるいは仮設トイレのようなサイズ感の小屋があった。焦げ跡混じりのくたびれた木の板が打ち付けられた、とても簡易的な小屋である。

 2本の麻紐はその小屋まで伸びて繋がっており、どうやらこの紐を交互に引っ張って操作することで、小屋の扉がバタバタと開閉するようだ。


 白髪の男は、周囲を見渡す。

 彼の名は、冬崎アカゲ。


「お」


 ───下界のだだっ広い荒野。

 アカゲは、向こうから走ってくる炭化人間を一匹見つけた。

 ザッザッザッ、音に誘われ四足で地を駆けやってくる。


 しめしめという顔をして、しばしその時を待つ……。


 ザッ、ザッ、ザッ……。

 ズザザ、と小屋の前で怪物はブレーキをかけ、ジットリ立ち止まった。

 炭化人間の目の前には、半開きになった扉が……。


「……」

「ガァ」


 ───興味を示すように、怪物はゆっくり近づく。

 その様子を瓦礫の壁裏から、息を潜めて見つめるアカゲ。


 ガッチリと異様に尖った指先で、ドアノブを掴んで、ゆっくりと開く。

 そして……。まるで試着室に入るように、炭化人間は小屋の中に自ら吸い込まれてしまった。


 アカゲは先ほどの紐の片方を慎重に持って、静かに引いていく……。

 扉が徐々に閉まっていき……カタ、とついに小屋を塞いでしまう。


 扉が閉まったのを見届けて、先ほどとは違う、別の二本の紐を拾い上げた。

 これも同じく小屋と繋がっている……。

 そして……。


 ───ギュッ!!と勢いよく片方を引っ張る!!

 ガシュン!!という音が小屋の中から!!

 どうやら何かが作動したようだ……。


 上手くいったのだろうか、なんとなく得意げな顔をするアカゲ。

 忘れずに、もう片方の紐をゆっくり引っ張って、小屋の中からはス───ッと何かがスライドして戻る音がした。

 そして最後に五本目の紐だ。これは小屋とは反対側に遠くまで伸びている……。

 拾い上げ、おもむろにグイグイ引っ張って揺らした。

 カランカランと熊除けの鈴みたいな音が遠くで鳴る。


 アカゲは瓦礫の壁から身を乗り出して、周囲をよく確認した。

 辺りに何の気配もしないことを悟ると、小屋の方へ歩いていく。


 ザク、ザク、ザク、ザク……。


 アカゲは扉の前に着いた。

 おもむろにノックしてみる。

 コンコンコン。


「あのー、スミマセン」

「……」


 中から何も音はしない。


「……うーん」

「───大丈夫そうだな」


 よし、と一声呟いて、アカゲはドアノブに手をかける。

 そして、小屋の扉を恐る恐る……。


 ギイ……。

 若干冷や汗気味に、バッ!と勢いよく扉を開け放つ!!


 ───ドサリ!


 咄嗟に身を引いたアカゲは、倒れてきた浅黒い身体を回避した!

 ……まじまじと見つめてみる、地面に横たわるそれは、首のない炭化人間の身体。

 残された頭は、小屋の中にごろんと転がっていた。


 中に入ってその頭を拾い上げるアカゲ。両手で持って、口をガパリと強引にこじ開け、口の中をじっくりと観察した。

 うんうんと満足そうに一人頷いて、地面に頭を置く。


「よし、上出来」


 小屋の中に入って、通称“アカゲギロチン”の刃の部分を回収する。

 見覚えのあるそれは、ちょうど炭化人間の首を切断できる高さにセッティングされており、縛り付けてある紐を解いて、刃の鎬を挟むように固定している木片を外す。

 この仕掛けに欠かせない、大変切れ味の良い刃……。そう、“ツキの定規”だ。

 刀身は相変わらず、ギラギラと滑らかに輝いている。


 しかし一箇所、鋭利な刃がなだらかに溶けかかったような場所がある。

 これは、あの時ヴァンキッシュとの戦闘で……。

 いや、今は仕留めたコイツの後始末だ。


「───夜も近いし、帰りますかね」


 暗く薄闇が支配する荒野、少し肌寒い風が頬を撫でて……。

 冬崎アカゲは、一人息を吐いた。


───────────────────


 ザリザリザリザリ……。

 玄関扉はゆっくり閉まり、コト、と外からの淡い明かりを遮断する。


「ただいま」


 ドサリ、炭化人間の亡き骸を玄関横に寝かせ、ガチャリと扉の錠をかけた。


 ───部屋を、電球の灯りがぼんやりと照らしていた。

 仄暗い部屋。大して広くもなく。

 ここは、ツキの家ではない様子だが……。


 ひゅうと隙間風が少し音を立てる。


「罠、上手くいきましたよ」


 ブーツをごそごそ脱ぐ。


「オレ一人でもなんとかやれるってことです。なんたって、“知恵”があるんでね」


 アカゲは自分の頭を指でトントン叩いた。


 おそらくもう日は暮れる頃だろうか……。

 室内にまで外気が侵入し、ここはよく冷える。


「こうも静かだと、寂しいものがあるな。こう……なんつーか、若干」


 スーツジャケットをきゅっと羽織り直して、悴んだ両手に息を吐いた。

 空気は澄んだように冷えるが、息はまだ白くならない。


 そういえば、季節はいつなんだろうか。

 やけに肌寒い気がするが、もしかしたら冬が近いのかもしれない。

 ここには移ろいを感じる草木もなければ、風流を感じる天気もない。季節など無縁の場所、夜の地で、アカゲはふと考えていた。


 考えながら、部屋の真ん中にある薪に火をつけた。

 幸いにも、ツキの持ち物にはライターが。

 こういったものはどこかで拾ってくるのだろうか…… 。


 パチパチと少しずつ燃えていき、やがて程よい焚き火の完成だ。


 炎を見て、少しほっとするアカゲ。

 顔が暖かく照らされて、とてもよい。


「さて」


 と気合いを入れて、雑に梱包されたデカい肉をドサリと持ってきた。


「今日はお祝いだ。例の水は後で採取するとして……食料も充分に揃ったからな」

「───ついにね。コイツに手をつける時が、来たってことですよ」


 肉の包みを開けてみる。

 姿を現したのは赤黒い肉塊。

 柔らかさとみずみずしさをそこそこに備えた、誘惑的に美味そうな生肉だ。


 アカゲはツキの定規を握り、いよいよとばかりに刃をするりと通した。

 少し分厚くスライスする。……これはなかなか、食べ応えのある厚みだ。

 熟成肉のような見た目の炭化イノシシ肉は、程よく霜が降っている。

 肉……。マトモな肉……。


 どこかで見た石のプレートを、錆び付いた五徳の上に乗せ、焚き火の炎で熱していく。ジワジワと熱くなり、ゴクリ……。


 陽炎はゆらゆらと頃合いを示し、アカゲはその上に……肉を乗せた。


 ジュウ───────────────。


「最高」


 熱々のプレートの上で小刻みに踊り出す肉。油はじんわり溢れ出し、パチパチ弾けて旨い香りが辺りに漂う……。

 ゆっくりと時間をかけて焼き目を付け、頃合いを見計らう。

 細い金属棒を箸のように使い、肉をひっくり返した。


 ジュウ────────────。

 裏返された肉の表面……。


「おお……!」


 ───素晴らしい!!なんと綺麗な焼き色だろうか!!

 完璧な焼き加減である。


 しばらく裏面も火を通し、非常に美味しそうな頃合いになって、アカゲは木製の皿に特大ステーキを移した。


 味は未知数だが、こんなの見る限り……。


「美味くないワケがないよな───」


 ゴクリ。……ツキの持ち物の中から、無骨なナイフを手に取った。

 刃を滑らせ、手頃な大きさに一切れずつカットしていく……。

 見栄え良く盛り付けたら完成だ!!


『“炭化イノシシの下界風ステーキ”』


 アカゲは頭の中にテロップを出しながら、満足げに頷いた。

 早速、針金を曲げて作ったような形のフォークを取り出し、皿を持っておもむろに立ち上がる。

 

「ホラ、ステーキできたぞ。一緒に食べよう」


 広くもない部屋の奥に、薄い毛皮の布団に包まれてすやすやと眠る、娘の姿があった……。近づいて、ゆっくり腰を下ろす。


 灰を被ったように透き通る髪色の娘は、静かに布団の中で息をしていた。

 ───名を、長火鉢ツキという。

 彼女の意識は相変わらず、深く暗い水の中にあるようで……。

 

「食べて、栄養つけようぜ」


 肉の一切れにフォークを刺して、ツキの口元に持っていった。

 ……炭化イノシシ肉の芳醇な香りを嗅がせてみる。


「……?おかしいな」


 ツキは眠ったままで、食べない。

 匂いを嗅がせても、食べる気配はない。


 待って欲しい、これに関してはアカゲがおかしいのではない。

 ツキはいつもなら、近づいてきた食べ物を遠慮せずバクバクと食べるのだ。なんと眠ったまま。

 一体どんな身体をしているのか知らないが、こうして看病するアカゲにとっては、とても助かる習性なのであった。

 しかし今日は、どうも食べる気配がない……。


 ふむ、と考え込んで、先に水かな、と呟いた。

 肉の乗った皿を床に置き、肉の刺さったフォークを右手に持ったまま、アカゲは後ろを向く。

 側にあるデカいリュックの中から金属製の水筒を取り出して、蓋をキュポ、と開けた。


 炭化人間からわざわざ取り出さなくとも、水はまだありそうだ。

 安心してまたツキの方を振り返……。

 ……?


「……お」

「───おまおまおまお前……」


 言葉を失うアカゲ。

 そこには……。


 上半身を起こして、何食わぬ顔でモグモグと口を動かすツキがいた。

 パンパンに頬を膨らませて何かを食べているようだ。

 キョトンとした眼でこちらを見ながら、モグモグしている。

 魂の溶け出したように深く赤い左眼。

 冷ややかな無機質さが淡く青い右眼。

 両の眼を開いて、ポニーテールも解かれた状態の彼女はモグモグする。


 見れば床に置いた皿は綺麗になっており、上に乗っていた特大ステーキは……。彼女が丸ごと平らげたのだろうか?

 モグモグ……。

 ゴクリ。飲み込んだ。

 ……。


「美味い」


 ツキは言う。

 アカゲは呆気に取られて、右手に持った一切れの肉を、何となく静かに口に運んだ……。モグモグ。


 口に入れた途端肉汁が染み出し、旨みの溶け出した香りが口一杯に広がった……!

 何の味付けもないが……炭化生物の肉本来が蓄える豊かな味を感じさせる。

 これはまさに最高の肉……。何となく、美食家になった気分だ。


「美味いな……」


 アカゲは言う。

 ツキは腕を組み、静かに頷いた。


「……」


「……」


 沈黙が流れる……。

 ツキが。ツキが、ついに目を覚ましたのだ……。


 えっと……とアカゲが切り出す……。


「……どこまで覚えてる?」


 ───ツキは少し悩んだ顔をして、あんま覚えてないけど、と口を開いた。


「家が、なくなった。……ヘンな奴と戦って、すごく強かった。で、右眼になんか映って……」

「───あー、どうなった……?」


 アカゲは持っていた水筒をツキに差し出し、ツキはそれを口に運んで水を飲んだ。


「───引き分けだ」


「……」


 引き分けだ、と再度呟いて、俯いた表情で……。

 アカゲは、ツキが戦闘後に意識を失ってから“5日が経過した”ことを打ち明けた。


「……そっか」


 ツキは水筒を床に立たせて、右目の視界に映る文字を捉える。

 “前回の超過稼働から121時間2分11秒”

 どうやら、アカゲの言うことは間違いではないらしい。……それを確認すると、文字はゆっくり消えていった。


 再び流れる沈黙。

 ……ツキがアカゲを見る。


「つか、なんでそんなに暗い顔」


「いやあ……起きたら殴られるんじゃねーかなと思って……ハハ」


 ヴァンキッシュとの邂逅……。

 『───いやあヴァンキッシュさん見ましたよね!これどう考えても“攻撃”ですよ、この暴力娘がねえ全く……』

 あの軽口がなければ、ヴァンキッシュと敵対せずに済んだかもしれない。

 アカゲのせいと言っても過言ではない。


「あー。確かにお前のせいだ。言われて思い出した」


「う……」


 バツの悪そうな顔をするアカゲ……。

 でもツキは何も言わない。


「私が寝てた間、どうだった」


 ツキはアカゲに聞く。

 アカゲは意外にも角の丸いツキに少し戸惑った後、口を開いた。


「そうだな……」

「それも含めて話すとしますか。5日間何があったのか」

「……いやまあ、別に大した話じゃないけどな」


 そしてアカゲは立ち上がる。


「───と、その前に」


 ツキを見て、少し微笑んだ。


「まだ腹減ってるでしょ。おかわりは?」


「いる」


「よしきた」


 殺風景で隙間風の吹き抜ける小さな部屋に、二つの暖かい光はまだ勢いも弱く、静かに灯っていた。心地よい光だった。

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