第十九話 火種

「───ツキ!!」


 華麗に宙を舞う娘、鮮やかな血飛沫を散らしながら。


 ───ドスッ。


 彼女の身体は力を失って……バタリと地に落ちた。


 一目散に駆け寄るアカゲ。

 うつ伏せになった彼女の身体をぐったり起こし、両肩を持ってゆっくり仰向けに寝かせる。

 左胸……鎖骨下辺りから流れる赤い血液。

 アカゲは耳元で呼びかけた。


「ツキ。おいツキ。……しっかりしろ!強いんじゃないのかよお前は!!」

「どうして、こんな訳の分からないことで───復讐はどうしたんだよ!こんなんじゃ……まだ、全然、遠いじゃねーか……」


 彼女の意識は既に無い。


「オレの、せいで───」


 ザク、ザク。

 と、ヴァンキッシュが後ろから歩いてくる。


「───冬崎アカゲ。そこをどいてくれるか。トドメを刺しておきたい」


「……断ります」


「そうか」


 アカゲはツキの右手首をそっと持って、自分の首にあてがった。……その刃を。


「───分かった、冬崎アカゲ。灰の娘に危害が及べばお前は自死を選択すると、先ほど我も学んだ。灰の娘への攻撃はこれ以上行わない」


「……」


「結果的に、灰の娘無力化には成功した。任務遂行に何ら差し支えないため、我はこのままお前を保護、送還する」


「……」


「───まだ灰の娘の息はある。丈夫な身体だ。生存の可能性があり、必ず死ぬという訳ではない」


「……そりゃ、どうも」


 冬崎アカゲはヴァンキッシュを睨みつけながらゆっくり刃を首から離し、そっと元に戻した。


 ヴァンキッシュはツキの右手に縛り付けられた定規を見る。

 先程“ソマリ鋼”とか言われていたシロモノだ。


「灰の娘の“武器”には研究性があるため、回収する必要が生じてくる」

「しかし我には、“冬崎アカゲ以外の人物を上界に上げる”権限が無い」


「……」


「……どうやら武器は、灰の娘の手に固定されているようだ。持ち帰ることができない」


 なんだその理屈。


「アンタ……」

「───悪いヤツには見えないのが、悔しいよ……」


 ここで自分が離れて、ヴァンキッシュと共に上界へ戻る。その選択が最善であることに変わりはないだろう。

 自分がいない後、ツキは果たして目的を達成できるだろうか。


 いや、そもそも。あまり力になど、なれはしないだろう。

 変わらないことだ、自分がいようが、いまいが。

 何もできない。

 足手まといにしかならない、今のように。


「……アンタらは、どうしてオレを狙う」


 それも秘匿情報か?と静かに皮肉って尋ねるアカゲ。


「我にその情報は与えられていない。命令だけが全てだ」


 アカゲは、ツキの髪を優しく撫でた。


「───なんだか、そっちも大変なんですね」


「同情の言葉か?」


「……かもしれません」


「───労わり、感謝しよう。だが時間が惜しい、行くぞ」


 ……アカゲは黙ってツキの身体を寝かせ、痛々しい左胸の傷を見る。

 ありがとう、と祈るように呟いた。

 ただ、無事を願う。

 この人の……。




 ───じゃあな、ツキ。

 お別れだ。


───────────────────


 静かに、暗い空間。

 夢のような微睡みの中。

 左胸に感じる、柔らかな痛み。


 ……私は。

 記憶がぼんやりして、頭がハッキリしない。

 何か、“油断した”ってことだけ、覚えている。


 あとは、アイツ。

 ───アカゲ。

 えーと……冬崎、アカゲ。


 何があったんだっけ。


 ……なんとなく、思い出してきたかも、しれない。───やなことがあったんだ。



 周りには何もなくて。ずっと暗い。

 静かな、場所。

 とっても……。


 その時。

 


 ───!!



『ッう……うぐぁ……!!』


 痛み!右眼の奥にズキズキと痛みが。

 呻く声は反響し、波紋を広げていく。


 頭をぎゅっと押さえてしゃがみ込んだ。

 包帯に包まれた患部の痛みに耐えながら、薄く左眼を開けて辺りを見た。


 ほよほよした風景に、白くぼんやり光る人影が見えた。


 なんだ、これ……。


 人影は、たまに明滅する。

 チカチカと、くたびれた電球のように。


 こちらに手を振ったり、どこかに腰掛けたり、走ったり、自由な動作をする人影だ。


 一体、誰なんだろう。


 痛みが少し引いて……頭を押さえながら、ゆっくり声を出した。


『───お前……。誰だ』


 人影は声に反応したように、ひゅっと動きを止めた。

 いろんな動きを見ていて分かったのは、どうやらあの人影は、“女の子”かもしれないということだけだ。

 シルエットは立ちすくみ、スカートのような影をひらひら揺らしながら明滅している。



「───ツキ」



 ぼんやりと光る人影から話しかけられた!

 その声色はやはり女の子。

 凛とした、優しい声。


 そして、なんだか聞き覚えがあった。

 これは───。


 ……ああ、そうか。

 そうだった。

 お前は。


『……思い出した』


「久██り█ね、██」


 昔、ずっと私の夢に出てきた女の子。

 夢の中でだけ、思い出す。

 前は声だけだったのに。

 今日は違うんだ。


 その声は相変わらずブチブチと途切れ、なかなか聞き取るのは難しい。


『何の用』


「█キ█ね、思██して███んだ」


 なんだ。

 思い出せばいいのか?

 何を。


「守██きゃ██ない人█こと」

「█キが、守██い█思っ██人██と」


『───そうだね。それは、分かってる』


 今更何を言ってるんだろう。

 私はちゃんと覚えてる。

 でも……守るのか、私は。


 にしても、この女の子は。

 何者なんだ……。

 私の、夢に出てきて……。

 一体、何を……。


 そういえば……アカゲは……。

 どうなったんだ……?


 私が、私の目的のために。

 アイツは、私の……。


 こんなとこで、私は……?


「ツキ」


 ハッキリ呼びかけられた。


「行██くて、いいの?」


 凛とした声は、次第に明瞭になってくる。

 それに従って、眼の奥のズキズキも、激しさを、増していく……。


「───ツキ」


 にっこりと、笑いかけてくるような感じが、する。見えるのは、チカチカした白い影だけなのに。


 ズキズキ、ガンガンと激しく痛む!

 ぐぐ……呻きながら割れるような頭を抱える。

 左胸の痛みも、徐々に鮮明になってきた。


「すべては……ツキの……」

「───したい、ように」


 ああ、燃えるように眼の奥が熱い……!

 右眼の奥が、熱い。


 呪いだ。

 何かが、私の中で絡まっている。

 絡まって、何か違うものを見せている。

 ……ここにあるのは、優しさや安堵なんかじゃない。


 呪いを、私自身が。


 私の考えていることが分からない。

 眼の奥が熱い。右眼が。

 グラグラと煮えている。

 この思いは。

 何に辿り着こうとしているんだ。


 それでも、私は……。

 行かなきゃ。

 進まなきゃ、守らなきゃ。

 呪いの言葉に、背を押されて。


『お前、は……誰……なん……だ』


「───█はね、██た█、██████」


 分から、ない。

 分からないよ……。

 ブチブチと途切れる言葉は闇の中に消えていき、次第に引き戻される感じがした。

 私が、行かなければいけない場所に。


 ぐるぐると、視界は歪んで……。

 ああ、私の中の……。

 知らない、何かが……。

 

 嫌だ。嫌だな。

 もう……何も、消えて欲しくない。

 私のものだ。

 全部、全部。

 いなくならないでほしい。


 握手をしたはずの左手が、暖かい光に包まれていた。闇の中でその気持ちは淡く安らぎを届け……。


 私は……身体の形をなくして……。


 待って……。

 ……そんなに急かさないで。

 大丈夫。

 ───今、行くから。


───────────────────


 ギイン……。

 鈍くてデカい轟音が辺りに響き渡る。


 ゴゴゴゴ、地を揺らすジェットの音は、ヴァンキッシュの浮上装甲車輌のものだ。

 車は宙に浮き始め、全壊したツキの家の真上で姿勢を戻した。


 ゴオオオオオオオとやかましい音はゆっくりとアカゲに近づいてきて、その場で砂埃をバチバチと撒き散らし、着陸する。

 風が吹き付ける!

 腕で顔を覆う冬崎アカゲ。

 チラ、と後方に残したツキを見る……。

 ツキは髪を風に靡かせながら、そのままグッタリと横になっている。


 ヴァンキッシュは、ギャ、とコックピットを展開し、車から降りた。


「乗れ、冬崎アカゲ」


 アカゲの方に歩み寄り催促するヴァンキッシュ。


「……分かりました」


 促されるまま浮上装甲車輌の方に歩いていくアカゲ。

 あの。とヴァンキッシュに声をかけた。

 なんだと反応するヴァンキッシュ。


「……アイツ、上界には上げられなくても。せめて下界の安全な場所まで、運んであげられませんか」


「下界に安全な場所など無い」


「いやでも」


 サガミの言っていた組織、下界連合の話を思い出した。ツキのベルトポーチには、その拠点に至るまでの地図が……。


「───“でも”?なんだ?」


「いや……どこかしらに無いかなあって。思っただけです、ハイ……」


 迂闊だ。

 上界人には、悟られない方がいいだろう。

 生き残った下界人の連合、彼らの要衝、その情報は。特に、この連中には……。


「そうか」


 ザク、ザク。

 冷や汗を垂らし、息を呑むアカゲ。

 自分の決断に、後悔はないか。

 ……最善だ。


 アカゲはコックピットの後部座席に乗り込んだ。

 ヴァンキッシュは操縦席に乗り込み、背負っていた武器をガチャリと収納スペースに固定する。

 シュパ、とコックピットのフロントガラスが閉まる音がして、飛び立つ準備は整った。


 アカゲの前には座席裏のモニター、パネル型デバイスが。

 様々な計器と外の様子が全方位カメラで確認できるようになっていた。

 真っ先にツキの姿を探す。


 横たわっている、先程アカゲがその手で寝かせた姿勢のままで。

 このまま、行ってしまうのか……。

 ……。

 祈りの言葉を、選び終わって……。

 正確には選び終わってなどいない、もうジェットエンジンは音を立てて、機体は発進しそうだったから。


「───ツキ……。また、会えたら」


 機内の、静音化されたジェットの音で。

 姿勢が揺らめく振動で、飛び立つのだと分かった。


 浮上装甲車輌は、砂埃を撒き散らし、駆け抜ける風を辺りに勢いよく吹かせながら、ゆっくりと上昇する。



───────────────────



 ギリ……。

 口の中の砂粒を噛み砕いて、薄く左眼を開ける娘がいた───。


「う……」


 自分の左手を胸に持ってきて、じんわりと温かく血液が漏れ出るのを確認する。


 しかし身体は冷えることを知らず、むしろ、右眼の奥の熱が今。

 その脳を焼き切らんばかりに膨張していた。


「マジで……熱い……。なん……だ、これ……」


 まるで“解放しろ”と言わんばかりに、内側から何かが這い出してきそうな感覚。

 苦しい。


 居ても立っても居られず、ツキは右手の定規でザキザキと右眼を覆う包帯を断ち切った。


 はらりと包帯は解かれ。

 ───瞼は開かれた。

 その瞳は明らかになる。


 左の方の眼は相変わらずの“深紅の瞳”だ。

 強く魂を燃やす、命の色と言っても過言ではない。


 ───対して“右眼”は、ひんやりと生気のない、“透き通るように鮮やかな青”だった。


 その眼がなんだか、ジジジジと機械的に小さく音を発している。それもその筈だ、久々の“起動”なのだから。

 周囲環境に適応するため自動メンテナンスが行われ、虹彩には淡く光が灯る。


 ───起動が終了すると同時に、右眼の視界がようやくツキの脳内に流れ込んで来た。


「久々だ、これ……」


 見上げた空には薄く光る靄がかかっている。チカチカと様々な色の光が明滅を繰り返して、それが隅々までよく見える。

 “見えすぎる”。


 ……やっぱ嫌な感覚、と呆れ切ったように小さく呟くツキ。

 2年前に一度だけ右眼を起動させてから、その後ずっと塞ぎ続けていたのだ。


 先程までの異常な“熱”は溶けるように消え去り、身体は開放感に包まれ気分は清々しかった。

 胸の痛みもいつの間にか、気にならないほど和らいでいる。


 手足の末端まで、少しビリビリとした感覚が駆け巡っていき、右眼が神経を介して全身に順応している気がした。


 苦痛が消えていくと、今までのことを流れるように思い出す。

 ヴァンキッシュとの戦闘に敗れ、左胸に銃弾を───。

 ……。




「アカゲ!!」




 ツキは飛び起きた!


 そうだ!私がいなかったらアカゲは!!

 アイツは今どこに!!


 ───ゴオオオオオオオと轟音が耳を貫く。こんなにデカい音、今まで気付かなかった。


 ジェットの風圧は空気をビリビリ震わせ、辺り一帯をヴァンキッシュが放つ異質なオーラで支配していた。

 音の方をバッと振り返ってツキは気付く。


「……!!」


 向こうの方で上昇する浮上装甲車輌の後部座席……。アカゲの姿が見えた!!

 機体は既に地上10メートル程の高さまで上昇している。

 ああ……。

 ……。


「……いやだ」


 アカゲを失うわけにはいかない。

 必ず、取り戻す。

 失いたくない。

 どこにも行かせない。

 ……。

 ギリギリと歯を噛み合わせる……。沸々と煮える怒りはツキの原動力に。

 全部。

 私のものだ。

 ……。






「バカやろ───────────ッ!!」







 空に向かって叫んだ。



────────────────────



 ……声は、アカゲの耳に届いた。


「今の……!」


 モニター越しにツキの顔を見る!

 両眼を見開いてむすっとこちらを睨みつける娘の姿があった!!


 ツキ!!アイツ……!!


 どうにかしなければ!

 いやしかし、一体どうしろというのだ!

 このまま黙ってツキの元を離れるしか……。

 前の操縦席に座るヴァンキッシュは、座席越しに黙ったままだ。


 アカゲは急いで目の前のパネル型デバイスに指を触れた。様々な項目を流れるように素早く辿っていく。

 ……。


 あった!


 “外部スピーカー”……この間の警察隊が呼びかけに使っていた、恐らくアレだ。


 音声の出力を最大に設定して、勢いよくアカゲは叫ぶ!!



────────────────────




『ヅギ─────────────ッ!!』





 ビリビリと鼓膜を突き刺す大音量!!

 割れる音はツキの頭を揺らす!!


「うわッ!!」


 とんでもなくうるさい!!

 咄嗟に耳を覆い、眼を瞑ったツキ。


 ?


 なんだか、右眼の視界に文字が浮き上がっていた……。


『“認証成功”』

『“オーディオ・ブレイン・プロトコル”』


 一体……なんだ……?

 アカゲの声に、反応した───?

 

 電気の文字は、ツキの視界に紛れ込んでくる……!


『“全機能チェック完了”』


 そんなのは、いい!

 今は、アカゲを……!!


 ……。

 だけどこの距離、どうすれば……。

 アカゲは浮上装甲車輌の中。今にも空を駆け出す寸前だ!


 ツキの跳躍力は最大でもせいぜい6〜7メートル。まず届かない。


『“身体チェック完了”』

『“超過稼働状態であれば可能”』


 なんだ?

 何がなんだか……。

 だけど───。

 できるんなら……。


「───もう!!なんでもいいからッ!!」


『“承諾”』


 ……。

 うるさい。早く。


『“超過稼働を開始”』


 ───早く!!


『“3”』

『“2”』

『“1”』

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