第十七話 首狩

 私の過ごした村は、みんな仲が良かった。


 村の名前は“イナ”。イナの村。

 画鋲よりずっと北にある場所だ。


 私達は、森の中に住んでて、炭化生物から身を守りながら暮らしてた。

 住んでたのは、大体50人から60人ぐらい。


 男の人は狩りや遠征に行く。女の人は動物とか野菜を育てる。そんな生活がずっと続いてた。


「───お父さん、わたしの髪と眼、なんで他の子たちとちがうの?」


 私は10歳になった時、父に聞いた。


「うーん、そうだね。それはツキがお医者さんの娘だからじゃないかなあ」


「ふふ、なにそれ〜!」


 はぐらかすばかりで、何も教えてくれなかったけど、父も母も、村のみんなも、私に温かくしてくれた。

 優しいみんな。


 でもね。私の心は、何となくそれに馴染めなかったんだ。

 小さい頃から、何かが違うって思ってた。


 私は。違うんだ、って。

 私は何か違う。髪も、この眼も、身体も。


 走るのは村で一番速かった。大人よりも。

 力も村で一番強かった。大人よりも。

 みんな髪が黒いのに、私は違う。

 まるで違う存在、違う生き物のような感じ。


 「ツキは村の自慢だ」ってみんなは言う。

 でも、信じられなくなったり、分からなくなったりした。

 大人たちは、大きくなったら私を狩りの仲間に入れるか、そのまま動物や野菜の世話をさせるか、話し合ってた。

 私はずっと、この村にいちゃいけないんじゃないかって、自分一人で思っていた……。

 何でか分からない、分からないけど、違うことが嫌だった。全部捨てて、抜け出したかった。


 でも、たとえ抜け出そうにもどこにも行けない、ここから出ることができない。

 黒い雨だっていつ降るか分からない。

 森の中だと黒い雨の影響も少し薄まるけれど、それでも雨雲が見えると、みんな雨に怯えてた。

 炭化生物から逃げて、黒い雨を怖がって、ひっそりと、ずっと生きていく。そんな世界が当たり前なのに、私はずっと不思議に思ってた。


 ……本で読んだような、普通の世界に行きたいな。みんなで。


「ツキちゃん」


「……アカリちゃん、どうしたの?」


「───私ね、20歳になったらハナビ君と結婚するの。向こうのお家と約束してきたんだ。まだ5年もあるけどね」


「え、ああ。よかったね」


「ツキちゃんは誰が好みなの?」

「アラタ君?ハク君?ミドリ君とか?」


「……ごめん、私。そういうのちょっと分かんない」


 15歳になったアカリちゃんは得意げだった。私はまだ13歳。

 二年も経てば分かるようになるのかな。

 でもちょっと、狭い気がするんだ。

 世界が、狭かった。


 私達にとってはそこが世界だった。

 そこで生きて、過ごしていく。

 それだけが全て。

 私の未来は……。


「お母さん」


「どうしたの?」


「お父さんと結婚して、幸せだった?」


「もちろんよ、一番のお医者さんだもの」


 医者だから選んだのかな。


「……この村は、好き?」


「好きよ。だって、ツキがいるからね」


 そうなんだ……。

 そしたら、母は私の耳に顔を近づけて、ヒソヒソと話した。


「───ツキがいなかったら好きじゃないわ。こんな狭い村」


「え!」


 母の言葉に目が覚めた気がした。

 こんな狭い村、好きじゃない。

 ……なんだ。そうか。

 こんな、小さなことでいいんだ。


 私の。

 胸のつかえが、この時なくなった。


「───私も、お母さん好き!」


「ふふ、嬉しいね」


 そして。

 その日は、私の14歳の誕生日だった。


「二人で何を話しているのかな?」


「あら」


「お父さん!」


 父はとある物を持って居間に訪れた。


「ツキ、今日は君にプレゼントだよ」


「え〜!」


 誕生日プレゼント。

 父は“布に包まれた長いもの”を机に置いた。

 

「かわいいツキちゃんに、これをあげよう」


 折り畳まれた布を開いたら。

 金属の“定規”が出てきた。


「え、なにこれ」


「60cm定規だ。お父さんの秘蔵のコレクションだね」


「どんなセンスよ」


 母が横から言う。

 ……まあまあと父はなだめて、私に定規を持たせた。


「14歳おめでとう、ツキ」


「あ、ありがとう……」


 手に持った定規は角張っていて、綺麗に輝いていた。


「かっこいいだろ?これがきっと、ツキの役に立つ。多分ね」


「そうかなあ……」


 どうかな、と母は言う。


「───大切にしてくれるか」


「うん。毎日磨く」


 その時の父の顔を、今もよく覚えてる。嬉しそうで笑ってるんだけど、眼が……少し真剣だった。


「……さあ二人とも、そろそろ食事にしましょ。今日はツキの好きな鶏のスープよ」


 その時だった。


「───長火鉢さああああああああん!!」


 ダ、ダ、ダ、ダ、と木の階段を駆け上がって近所のムラタさんがやってきて玄関を叩いた。


「大変だ!!上界!!上界人が!!」


 ゴオオオオオという大きな音が響いて空を覆い尽くした。何か大変なことが起きていると私は思った。


 耳をすませば、あちこちから銃の音が聞こえた。それはどんどん広がって、やがて村中から悍ましい音がするようになった。

 叫び声、草木が燃える、片っ端から命が失くなっていく音だった。


 助けて、と玄関の向こうで必死で叫ぶムラタさん。父親は急いで玄関を開けた。


 扉が開いて見えたムラタさんは「助かった」という安堵の顔を一瞬して……。

 次の瞬間にはどこかから飛んできた弾丸に首を貫かれていた。


 ……人が殺されるところを私は初めて見た。

 平穏が終わりを迎えるときは、一瞬なんだ。備えていない時に、それはやってくる。


「ツキを連れて奥に!!」


 状況を悟った父は、今まで聞いたことのないような大声を出して私たちに呼びかけた。


 母は私の手を勢いよく握って、そのまま駆け出した。私は咄嗟のことに何も頭が追いつかなくて、人が死ぬ瞬間を頭の中に何度も思い出しながら、母に連れられ部屋の奥に進んだ。


 そして。


 ───パアン!!

 発砲音が後ろからして、私は耳を塞ぐ。


 これは命を失う音だ。

 ……父は、“ああなった”んだ。

 人の命って、あっけない。


 母は私をクローゼットに押し込んだ。

 押し込まれるとき、私は握っていた定規をカキャンと床に落としてしまった。


 そのままクローゼットの扉は閉じられて、母は言った。そのままじっとしていて……。


 言い残して、母は父のところへ走って行った。

 お母さん。

 ───ああ言ってたけど。お父さんのこと、ちゃんと、好きだったんだ。


 そして、二発目の銃声が響いた。


 その瞬間。クローゼットの私の頭の中を、黒い波が埋め尽くしていく。


 許せない。初めてそう思った。

 失って、大事なものを失くして。

 それが何よりも大事だったことに、気づいたんだ。


 辛い、怖い、苦しい。

 許せない。

 絶対に、許さない。アイツらを。

 泣きながら、震えながら、そう思った。


 しばらくして……。

 私の入ったクローゼットに、近寄る足音が聞こえたんだ。

 ミシ……ミシ……。


 足音は止まって、足元の定規をカタンと拾い上げる音がした。

 やがて、扉が軋み始めて……。

 私も失くなるんだ、と思った。

 心臓がバクバクして。


 ギイ……。

 扉が開いた。


 外から顔を覗かせたのは……。



───────────────────



「───そこからのことは全然覚えてない」


 あとは……。と言って、自分の右手に縛り付けた定規を見せた。


「気付いたら、“刃がついた定規”が床に転がってた」


 ツキはよいしょ、とずり落ち気味の肉の荷物を背負い直す。

 それまでの話をアカゲは黙って聞いていた。


「ただ……最後に見えた顔」

「やたら偉そうな服を着た“白い髪”。“右眼に傷のある男”」


「……」


「そいつが、そいつが家族を、村のみんなを殺した。奴らのリーダーだ」


 ザク、ザク。歩き続ける。

 気付けばツキの家の近くまで、二人はやってきていた。

 ……目的地はもうすぐだ。


「───それで、復讐の旅か」


「そうだ」


 なるほどね、とアカゲが答える。

 ツキは少し考えて言った。


「今でもたまに、夢に出るんだ」


「夢?」


「……辺りが燃えて、そして。───あの男が一言だけ言うの。“私を殺しに来い”って。そして風景がぐにゃぐにゃ歪むんだ」


「“殺しに来い”……。それはまた、ヘンな話だな」


 彼女の頭に、呪いのように染み付くその言葉……。


「それが夢なのか、本当の話なのかはわからない」

「わからないけど、私はあの男を殺すんだ。絶対に。必ず殺す、必ず」


「……そうか」


「……私は故郷を焼いてみんなの命を奪ったアイツを許さない。あの男が命令したんだ、全部」


「……」


「これは、やらなきゃいけないんだ。私が」

「何もできなくて、一人だけ生き残ってしまった、私が」


「……」


 ……サガミの言ったことをアカゲは思い出していた。


 『───冬崎よ』

 『ツキ殿の、支えになってあげなさい』


 そういうことね、とアカゲは心の内で噛み締めた。


「どうして今まで隠してたんですか、“復讐が目的だ”って」


 ツキは遠い目をして振り向かずに呟く。


「何となくわかる。あの男を殺しても、後に残るのは虚しさだけ」

「───復讐は……何も生まない」


「ほう」


「……だから、嫌われると思った」


「ニヒヒ、まさか」


 アカゲは少し嘲るように笑う。

 気を入れ直して口を開いた。


「───本当に、殺すんですね」


「───ああ、本当に殺す」


 ツキの決意、灰の娘の、殺意。

 アカゲがそこに呟いた。


「だったら、目的を増やそう」


「……?」


 ツキは振り向く。


「その……右眼に?傷のある男が、なぜ下界の村を襲ったのか。どうして“殺しに来い”とかいう言葉を残して去ったのか、そもそも実際にそう言ったのか。それを解明するんだ」

「探して殺すだけじゃない。それがお前の、長火鉢ツキの“新しい目的”になる」


「だけじゃない……」


「悩んだら、頼って下さい。頭使うのはオレの仕事なんでね」


「……」


 少し、沈黙の時間が流れる。


「……ツキ」


「なんだ」


「───良い旅にしよう」


 いつの間にか歩みは止まっていた。

 二人は何か底知れぬ空気を纏い、対峙する。ツキの過去にアカゲは触れて、今この関係は、今までと少し違うものになろうとしている。


「……」


 ツキは黙って左手を差し出した。

 恥じらいはなく、真剣な眼差しで、アカゲを仲間として認めているのだ。

 アカゲは少し笑って、左手を出し……。


 ───グッと握り合って、二人で固い握手を交わした。


 お互いの顔は暗がりの中だが、なんだか二人とも晴れやかな表情をしていた。

 少し照れくさそうにしながら、それを抑え込みツキは言う。


「えっと……とりあえず、よろしく。アカゲ」


「ああ、こちらこ───」



 ドゴアアアア──────ン!!



「!!」

「!!」


 地面が揺れ突如鳴り響く轟音!!二人は一斉に音の方を見る!!

 すぐ近くだ!!


「まさか……」


 ツキが険しい目つきになる。アカゲの手を振り払って呼びかけた。


「私の家の方向だ。すぐ行くぞアカゲ」


「オイオイあんなデカい音して、危なくないか?またデカいイノシシみたいなのだと思うと……」


「お前が考えることじゃねーから、さっさと行くぞ!」


「分かった分かった、行きますって!」


 二人で駆け出して、ツキの家へ。

 ザッ、ザッ、ザッ。建物の残骸を踏み越えて更に奥へ……。


 そう、平穏が終わりを迎えるときは、一瞬だ。備えていない時に、それはやってくるものである。


「!」


 目的地に到達した二人を待ち受けたのは、壮絶な光景……。


 “浮上装甲車輌”……それも警察の扱うものとは違う型式の乗り物が。


 ツキの家に真上からぶっ刺さっていた。


 家は全壊。

 周囲には、衝突の影響で砂煙が濃く舞っており、視界は悪かった。


「コイツは、一体……」


 想定外の事態に狼狽えるアカゲ。

 横を見ると……。


「ぁ……ぁぁ……」


 ツキが口を開けてガクンと座り込む。

 項垂れていた……。


「お、おい。ツキ。元気出せって」


「…………だ」


「?」


「……どこの誰だ、私の家を……」

「誰がやったんだ、私の家を」

「誰だ?アカゲ。誰だ?」

「お前か?」


「落ち着け、ツキ。お前の家壊したやつ、ホラ。たぶんアレに乗ってるんじゃないか」


「……!」


 二人は、ゴッソリと家に突き刺さった浮上装甲車輌を見やる。

 モクモクと砂煙の切れ間から顔を覗かせようとしていた……。

 その時。


 ギュイ、とコックピットの屋根が作動し、そのまま展開していく。

 ギャ、と開き切り、展開し切ったコックピットの屋根を中から踏みつけるように、身を乗り出す人物がいた。

 タン、浮上装甲車輌のボディを蹴り、そのまま素早く地面に着地するその人物。


 砂煙に巻かれていたシルエットが、いよいよ明らかになる。


「なんだ……アイツ」


 二人は凝視した。


 立ち姿は、中性的な顔立ちをした男のようだ。年齢は若く見え、10代後半から20代前半といったところか。


 髪は肩まで伸びており、癖のある浅い栗毛に強くオレンジのメッシュが入っている。


 黒とオレンジを基調とした戦闘用スーツを着込み、どうやら腰には刀を二本。胸のホルスターには拳銃を一丁。そのどちらも、時代の新しく工学的な見た目だ。

 そして、背中に奇妙な形の“大振りな刀”を備え、どこか威圧的なオーラも感じる。

 特徴的なカラーリングと装備は、どことなく近未来的な雰囲気を全面に纏っていた。


 明らかに“戦う人間”の出立ちをしている彼だが、注意を引く部分が“更に一箇所”あった。


「───何だ?あの眼……」


 アカゲが言う。

 よく見れば、彼はカラフルな眼をしている。少し刺激的なカラーリングだ……。

 菱形でオレンジ色の瞳孔に、菱形で水色の虹彩、そして瞳の色は深紅。

 

 まるで猛毒の生き物みたいなカラーリングの奇妙な眼を、アカゲはじっくり観察していた。


「がるるるる……」


 ツキは溢れんばかりの敵意を顔に滲ませている。

 ツキの様子を見た奇妙な男は、一言。

 「犬」と呟いた。


 そして、戦闘用スーツのコートの裾を風に靡かせながら、目の前の奇妙な男はそっと口を開く。


「───名を、名乗ろう」


「頼みます」


 アカゲは反応。


「……がるる」


 ツキも続く。


 平穏は終わりを告げ、新しい風が吹こうとしている。これもまた、嵐の前というものなのかもしれない。

 二人の未来は果たして……。


 口を開けると特徴的な八重歯が見えた。


「我は、“V”」

「───“ヴァンキッシュ”だ」

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