第九話 試練と先客

「うえ……」


「何じゃ、礼儀がないのう」


「この後味……妙に気持ち悪くて全然慣れないです。腹は膨れましたけど」


 ほほほ、サガミは笑う。

 鮭とばのようなビーフジャーキーのような肉片をいくらか喰らったアカゲだったが、その奇妙な風味に苦戦していた。立ち上がって上を向き、苦い表情をする。

 大きく息を吸う。


「ああ、そうじゃ。まさかお前さん、タダで飯が食えるとは思っとらんよな?」


「え」


「お前さんが飲み干した水、それと炭化人間の肉。お代はキッチリ払ってもらうからの」


 アカゲは自分のカメラを抱え込む。


「あげませんからね」


「ほほほ、ちょっとしたおつかいを頼むだけじゃよ」

「安心せい、そう難しくはない。道中にも炭化人間はおらんじゃろう、たぶん」


「もしいたら?」


「音を立てないように隠れるんじゃ。……それでも見つかった時は」


「見つかった時は?」


「無理じゃ!助からん!ほっほっほ!」


「いやいやいやいや」


 するとサガミは鋭い目をしてこう言った。


「お前さんには、何かしらの“価値”がある。だから連中は連れ戻しに来た、そう考えるのが妥当じゃな」

「自分の意志で下界に残ったのだろう?ならば、下界での生き方を真っ先に身につけておくべきじゃ」


「入門試験ってことですか」


「“守られているだけの無力な自分が情けない”……って思っとそうな顔しとるからのう」


「……」


「ほほほ、図星かね。……まあ、入門試験と呼ぶにはちと簡単すぎるからの。そう構えんでやってくれれば良いぞ」


 サガミはリュックサックの端のポケットから皮のメモ帳を取り出して、パラパラと開いた。左手首に括り付けた方位磁石や腕時計を見て、メモ帳に黒く走り書いてある地図と見比べた。


「向かう場所はここじゃ。このビルを出て北東の方角、700メートルほど道なりに歩くと、円い屋根の建物が見えるはずじゃ。そこを左に曲がり、50メートルくらいかのう……。左手の方に“サ”の字が書かれた戸があるじゃろう。そこがワシの隠れ家じゃ」

「覚えたか?」


「バッチリです」


「設置した隠れ家は各地に点在しておる。ワシはしばらくこの付近に張る予定でな。あそこは暫く使っておらんかったからのう、汚れとるかもしれん。鍵は掛けとらん、中に入ったら掃除を頼むぞ」


「掃除だけで大丈夫ですかね」


「うむ。食糧の備蓄もあったはずじゃから、腹が減ったら食べても良いぞ。……後でワシもそっちに向かうから、掃除が終わったらそのまま待機じゃ。よろしくな」


「うす、了解です」


「ああ、それとな。万に一つ、炭化人間が小屋の向こうに居る場合がある。ヤツらは扉を見つけると入りたがるからのう」


「え、マジですか。その場合はどうすれば……」


「何とか見つからんようにその場を離れるんじゃ。炭化人間がいなければお掃除、いれば掃除は免除。ラッキーじゃな」


「アハハ……。了解です……」


 アカゲは、自分のカメラを肩に掛けると、サガミに言った。


「アレ、その間ご老体は一体何を?」


「水汲みじゃ。お前さんが飲み干した分のな」


「水汲み……?」


 こんな土地のどこに、さっきのような澄み切った水があるのだろうか?土は枯れているし、水道も通っていなさそうだ。

 まあそんなことはどうでもいい。今は任された仕事に赴くとしよう。


「んじゃ、行ってきます」


「うむ、気を付けての」


───────────────────


「700メートル……700メートル……」


 ブツブツ呟きながら歩く男が一人。

 自慢の白髪をそよ風に揺らしながら、ザッ、ザッ、と地を踏み締めていく。


 周りは見通しが良いワケではない。

 2~3メートルほどの高い壁がそこら中に生えている。

 建物の残骸。骨組みだけが残って地面に埋もれたビル、横倒しになったバス停、突き刺さったガラスの板。

 草木は一本もなく、かつて街並みだったと思われる風景が、グチャグチャに壊されて存在していた。


 大きく倒壊して斜めに埋まったビルの側面をよじのぼって見晴らす。

 ───続いている。この光景がどこまでも。


 こんなに見通しのいい場所にいちゃいけないなと呟いて、アカゲはそそくさと周囲を確認する。目印の場所は……。あった。


 砂に埋もれて円い屋根の建物が顔を出している。

 ズァッと斜面を滑り降りる。服についた砂埃を少し手で払った。

 アカゲは建物の方へ歩く。


「んで……」


 建物の目の前に着いたアカゲは、ぼんやりと見上げた。

 確かに目印にはなるだろう。ルネサンス様式に似た、高貴で白っぽい建造物だ。


「───ここで左ね」


 進行方向を確認して、また歩き出す。

 この辺りは少し入り組んでいた。サガミが拠点としていた理由も頷ける。

 目的地はすぐそこだ。


 段々と目も見慣れてきて、そこが普通の街並みのように錯覚してしまう。

 商店街、路地裏、かつての街の姿がかろうじて形を残し、アカゲに元の風景を必死に伝えようとしている。

 側を見ると「キャラメル」と書かれた看板があった。「ラーメン」と書かれたものもある。他には……。

 「立川土地」と縦書きで薄く書かれているものが、ガラス窓に大きく突き刺さっていた。

 そんなものを見ているうちに、アカゲは目的地へ到達する。


「着いたぜ」


 “サ”と墨で描かれているであろう戸が、入り組んだ住居跡の奥にあった。


「……“け”だな」


 あまりの達筆さにアカゲはまじまじと見つめる。“サ”の字体は見事な筆運びで、もはや“け”にしか見えなかった。

 ……まずは、慎重に扉に近づく。ゴクリ。

 アカゲはゆっくりと扉に耳を当てた。


「……」


 何も、聞こえない。

 しかし、まだ安心はできない。

 静かに戸に手を掛けて、少し引いてみる。


「?」


 力の加減だろうか、なかなか開かない。

 ガタッ、ガタガタ。開けようと何度か試みるが、どうやら開く気配はない。

 内側から施錠されているような感覚にも近い。

 中から鍵を掛ける知能は、炭化人間に無いだろう。中は安全だとは思うが、それでも掃除をしなければいけないし、野晒しで待ちたくもない。


「実力行使といこう」


 アカゲは首のカメラを下ろして地面に置いた。

 そのままザッ、ザッ、と後ろに下がって……助走をつけて目の前の戸に一直線に走り出し全体重を肩にかけ飛び込んで───。


 ドン!!


 その瞬間。

 ギ……と戸の向こうで“何かの軋む音”がした。アカゲの努力虚しく依然扉は健在だが……。今の音。もしや……。


「誰かいるのか」


 アカゲは耳を澄ます。……何も聞こえない。

 やはり、炭化人間なのだろうか。いやでもまさか。気を引き締めて集中する。同時にカメラも拾い上げ首に下げた。


「ええ、あー……オホン。オレはですね、えーと、清掃業者です。冬崎アカゲと言います」


「……」


「この物件のオーナーに頼まれちゃいましてね!お掃除をさせていただければなあ、と……。というか外にいたらオレ結構マジで死にかねないんで、開けてもらえると嬉しいというか、その、ね……」


「……」


「ダメ……ですかね……」


「……」


 ガチャリ。

 

「……!」


 錠の開く音がした。やはり中に誰かがいる!

 ゴクリ。アカゲは緊張する。

 入りますよ!そう自分の中で念じてみるが、声にはならない。

 ……意を決して足を踏み出した。


「失礼、します……」


 ギイ……ザリザリザリ……。

 戸は音を立て、次第に中の闇が照らされていく……。 徐々にその輪郭が、光を受けて浮き上がってくる───。


「……マジか」


 中にいたのは。

 ───怯えた様子で見上げる、2人の幼い女の子だった。

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